賢明な友を得るならそれにより心にかなう生き方できる(328)

ダンマパダ 第23章 象 328,329,330

もしも正しい生活している賢明な
友を得るならば共に歩め
それで一切の困難を克服して
心にかなう気付きある生活ができる(328)

もしも正しい生活している賢明な
友を得られないならば
征服した王国を捨てる王のように
林中の象のように一人歩め(329)

愚か者と付き合うよりは
独り歩む方が良い
林中の象のように悪をすることなく
求めること少なく独り歩め(330)


○この詩から学ぶこと

 仏教では、善友に親しむことは、修行上で重要であることが、幾つかの経典で述べられています。その代表的な一つを前回の「この詩から学ぶこと」で述べました。釈尊は善き友と親しくすることは、「仏教修行の全体である」とまで言われるのです。その根拠は「八正道を修めることが出来るであろう」と述べられているのです。

 八正道を含む四聖諦は、人間の能力を越えた能力で仏陀が発見された偉大な聖なる真理ですから、教えてもらわなければその真理に触れることができません。その真理を教えてくれる人が善友です。そのような善友に出会ったならば、四聖諦の教えを学ぶことができます。そして、八正道を実践することができます。それは気づきのある、心にかなう(喜びのある)生活で、すべての苦しみから脱出することができる生き方なのです。ですから、善友と親しむことは、王の征服した国以上に価値あることなのです。

 しかし、もしそのような善友に出会うことができなくて、愚かな友と付き合ったらどうなるでしょうか。愚かな友とは、欲のある、怒りのある、無知な友です。自分の欲が増え、怒りに感染して、無知な人間になるのは直ぐ分かります。正しい知識に基づいて心を育てることをしないならば、もともと自分も愚かな人間だからです。

 善友がいないと言っても、愚かな友とは付き合ってはいけないのです。愚かな友は、たとえ大切な友に見えても、王が征服した王国を捨てるように、捨てて付き合わないようにした方がよいのです。付き合って招く不幸ははかりしれないものがあるからです。(それでは友達に対して冷たく感じるかもしれませんが、あなたの人格が完成したら付き合って下さい。)

 善友がいなければ、林の中の象のように独りで進んでください。悪いことはしないように独りで進んでください。求めることは少なく生活してください。独りであればそれが可能です。そして、善友に会える業があれば、善友に会い、その後解脱することができるでしょう。残念なことに、善友に会えなくとも、悪いことをしないで、欲の少ない生活をしていれば不幸な結果にはなりません。最高とは言えなくとも幸福な結果になることは間違いありません。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_11.html
 賢い友が得られないならば独りで歩め象のように

○この詩のパーリ語原文

328.
サチェー ラベータ ニパカン サハーヤン
Sace    labhetha  nipakaṃ   sahāyaṃ,
もし    得る    賢い     友を
サッディン チャラン サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ   caraṃ   sādhuvihāridhīraṃ;
共に    行う    正しく生活する賢者を
アビブッヤ  サッバーニ パリッサヤーニ
Abhibhuyya  sabbāni    parissayāni,
克服する   一切の    困難を
チャレッヤ   テーナッタマノー  サティーマー
careyya     tenattamano      satīmā.
送れるだろう それで心にかなう  念のある
329.
ノー チェー ラベータ ニパカン サハーヤン
No   ce    labhetha  nipakaṃ  sahāyaṃ,
ない もし   得る    賢い    友を
サッディン チャラン サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ   caraṃ   sādhuvihāridhīraṃ;
共に     行う   正しい生活する賢者を
ラージャーワ ラッタン ヴィジタン パハーヤ
Rājāva     raṭṭhaṃ  vijitaṃ    pahāya,
王のように  王国を  征服した  捨てて
エーコー チャレー マータンガランニェーワ ナーゴー
eko     care     mātaṅgaraññeva      nāgo.
独り    行け    林中の象 ように     象
330.
エーカッサ チャリタン セッヨー
Ekassa    caritaṃ   seyyo,
独りの    歩みが  より善い   
ナッティ バーレー サハーヤター
natthi   bāle      sahāyatā;
ない   愚者との   親交は
エーコー チャレー ナ  チャ パーパーニ カイラー
Eko     care    na   ca   pāpāni     kayirā,
独り    行け   ない 又   諸悪を    なせ
アッポッスッコー マータンガランニェーワ ナーゴー
appossukko     mātaṅgaraññeva      nāgo.
少欲として     林中の象 ように     象

賢明な友を得るならそれにより心にかなう生き方できる(328)
賢明な友が得られぬその時は独りで歩め孤象のように(329)
愚者たちと付き合うよりは悪をせず求めることなく独り歩め(330)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

2009年08月19日 04:21
ワンギーサさん、おはようございます。全くその通りだと思います。愚かな友を、「欲、怒り、無知」に価値をもってる人たち、としてもいいかもしれません。さて「人はいろんな人と付き合うべきだ」なんて完全な間違いです。病気になればお医者さんにかかれば済むことです。お金が足りないなら働けば済むことです。実際、他人は困った時には何もしてくれません。それ以外に悩みがあっても酒のつまみになる程度で、ロクな処方箋をもってません。今私が付き合ってるのは、比丘サンガの方々、家族親戚、仕事関係、それから仏教を学ぶ同士(法友)です。愚かな友人と全く付き合ってないと言えば、それはウソになりますが、やはり百害あって一利なしです。友人(愚か)がいないことで心配することは一切ありません。有難うございました。
2009年08月19日 04:40
☆注★~あくまで私個人の戒めです。仏教を学び、同士(法友)と親しくなり和気あいあいとなることは、決して悪いことではないと思います。老若男女に関係なく言えることだと思います。ただ、男女の仲良しだけは互いに仏教徒であれ注意すべきだと自戒してます。「心」をテーマとする仏教では、お互いより以上に親しみを感じ、心を開放しやすいのは当然のことだと思います。しかし、ともすればそれは「恋愛感情や性的好奇心」になりやすいものだと実感してます。怒りを正義で正当化してしまうように、欲の感情を仏教で正当化してしまう危険性があります。男女間は要注意(^_^;)。このことに気を付けていきたいと思ってます。有難うございました。
才木広之
2009年08月19日 04:50
ワンギーサ先生

おはようございます

善友ブッダは今は生きておられなく、ブッダの教えが善友であり、ブッダの教えを伝え日本語にまでして教えてくださるスマナサーラ大長老が今私の善友です。またその教えを学ぼうと努力されておられる方々は兄弟のようなものです。

私は過去は一人歩む象でした。一人歩む象は真理を探したがるものです。ブッダがこの言葉をおっしゃられたのならこの言葉を妄想で見ないのであれば見えてくるものが有ります。

一、もしも今つき有っている友が正しい生活をしているなら、困難を克服出来る気づきが生まれてくるはずである。

一、付き合ってみなければ分らなく、正しい生活でない場合は、付き合うまでの心に戻れ

一、それでも悪をすることなく求めること少なく独り歩んだほうが良い。

私の善友の見方は、この自分の心の中の事で誰がどこにいようとへっちゃらです。相手に必要とされればだれとでも会います。善友は心が知っていますから。

生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年08月19日 04:56
同士じゃなくて同志でした(^_^;)。
あっきん
2009年08月19日 10:12
おはようございます。
人は感化されやすいもので、言葉にも表れたりする。
また似た物同士が集まる。なので善・悪の人かを的確に判断する必要性を感じます。さかさま思考の判断だと時に悪にハマッテしまう事もあり、何事も自己責任ですね。
才木広之
2009年08月19日 12:33
私は善、悪の判断はしません。疲れます。

自分が善であればおのずと善に感化されます。

似た者同士であれば、その人の嫌いなところを見つけ、自分自身を直していくことです。自然とその方に対しての感情が薄れていきます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あっきん
2009年08月19日 20:58
こんばんわ。
上のコメント訂正します。人ではなくて、行為に注目です。人は変化しますので。協会入会前に、とんでもない経験ありまして、私からのコメントです。
身の丈修行者
2015年06月10日 07:43
賢明な友→師匠としてお釈迦様を尊敬致します。お釈迦様は今生きていらっしゃらないので、スマナサーラ長老・ワンギーサ長老他協会の御坊様を師匠として尊敬致します。
私事ですが、日常でお付き合いする相手によって得られるものは全く違うと感じています。欲・刺激・・は避け、心の成長に結びつくものに貴重な時間を使って参りたいです。

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