渇愛に捕まった人は震えてる震えているから苦悩が続く (342)

ダンマパダ 第24章 渇愛 342、343

渇愛に捕まった人々は
わなかかった兎のように震えてる
束縛に執着する衆生は
なんどもなんども苦に到る(342)

渇愛に捕まった人々は
わなにかかった兎のように震えてる
それ故に渇愛を除去しなさい
自分の離貪を望む人は(343)


○この詩から学ぶこと

  「渇愛に捕まった人々は」とは、ほとんどの人間です。悟った人以外が渇愛に捕まっているのですからです。あなたは自分が「 わなかかった兎のように震えてる」と自覚してますか。私はあまり、自覚していません。しかし、静かに自分の心を観察すると、不安や不満を感じていることが分かります。その不安や不満を紛らわすために、常に何かを求めているのです。テレビを見たり、音楽を聴いたり、何かを飲んだり、食べたりすれば、一時的に不安や不満を忘れます。

 「 束縛に執着する衆生は」の束縛はパーリ語ではサンヨージャナですが、仏教用語では「結」と訳されています。欲の世界に人間を結びつけ、解脱を妨げる煩悩です。次のような10種類あります。①有身見、②疑、③戒禁取、④欲愛、⑤激怒、⑥色貪、⑦無色貪、⑧慢、⑨掉挙、⑩無明、です。(それぞれの意味は、星飛雄馬 著「初期仏教キーワード」サンガ p150~p153を参照してください。)

 ちなみに、悟りには四段階あります。第一段階は預流果、第二段階は一来果、第三段階は不還果、第四段階は阿羅漢果と言われています。(既に、本ブログで説明していますので、ブログ内検索で調べて下さい。また、日本テーラワーダ仏教協会のホームページ内の検索にも、多くの記述があります。)

 上記の①②③の煩悩を消滅させれば、第一番目の悟りである預流果の悟りといいます。10種類すべての煩悩を消滅すると、最終段階の悟り、阿羅漢果の悟りに達したと言います。凡夫はこれらの煩悩を捨てるのではなく、煩悩にしがみ付いているので、苦しみの状態を続け、輪廻を繰り返しているのです。

 それ故に、苦しみからの脱出を望む人は、貪欲から離れることを望みます。そのために、煩悩への執着を捨てるこことを試みます。執着を捨てるためには、渇愛を捨てればよいのです。渇愛がなくなれば、執着がなくなるからです。すべての苦しみをなくすためには、渇愛を捨てることなのです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_18.html
 渇愛に捕まった人は震えてる わなにかかった兎のように

○この詩のパーリ語原文

342.
タスィナーヤ  プラッカター   パジャー
Tasiṇāya     purakkhatā     pajā,
渇愛によって 駆り立てられた  人々は
パリサッパンティ サソーワ   バンディトー
parisappanti     sasova    bandhito ;
ばたばたする   兎のように 捕まった
サンヨージャナサンガサッタカー
Saṃyojanasaṅgasattakā,
束縛に執着する衆生は
ドゥッカムペンティ プナップナン  チラーヤ
dukkhamupenti   punappunaṃ   cirāya.
苦に近づく     何度も      久しく
343.
タスィナーヤ  プラッカター パジャー
Tasiṇāya     purakkhatā    pajā,
渇愛によって 駆り立てられた 人々は 
パリサッパンティ サソーワ   バンディトー
parisappanti     sasova    bandhito;
ばたばたする   兎のように 捕まった
タスマー  タスィナン ヴィノーダイェー
Tasmā    tasiṇaṃ    vinodaye,
それ故に  渇愛を   除去せよ   
アーカンカンタ ヴィラーガマッタノー
ākaṅkhanta    virāgamattano.
願う人は     離貪を 自己の

○渇愛に捕まった人は震えてる震えながらも苦悩続ける (342)
○渇愛に捕まった人は震えてる渇愛捨てて苦悩を止めよ (343)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

2009年08月26日 04:09
ワンギーサさん、おはようございます。兎か捕まったのは見たことがありませんが、中学の時教室に小鳥が飛込んできたことがあります。恐怖心に襲われたようで激しく暴れまわってましたが、皆で逃がしました。とても可愛そうでした。この兎の場合、もはや逃げられないので、もがけばもがくほど苦しみます。ひるがえって、私たちは教室に飛込んだ小鳥に冷静さを求めるがごとく、どんな激変にも対処できるよう対策を練ってます。死にたくはないのでインフルエンザ対策に焦ってます。しかし、生死ということからすれば、この兎も、教室の小鳥も、それから人間も同じ運命を辿ります。兎が怖がっているのは、捕まらなければ素晴らしい世界があるはずだと思ってるからではないでしょうか。全て無価値と知って諦めているならば、特に怖がることはないはずです。私たちも諦めない限りは、罠にはまった兎のようにもがき続けるハメになるのでしょう。真理(無常)とそれに逆らって抵抗する渇愛の巨大さを知り、それを完全に無くす必要があります。そのための瞑想修行だと考えてます。有難うございました。
2009年08月26日 07:14
いろんな方法などはありません。瞑想方法はブッダの発見された方法のみです。ブッダは人々の病気を様々なことや比喩などで伝えてくれています。一番ピンときたものだけを選ぶのもいいと思います。全て解脱への道を説かれてます。
2009年08月26日 13:22
才木さんの意図は私なりに理解したつもりです。ただ、ブログの上でのコメントは記事作成者に対するもの(賛意、反対、疑問、質問など)が主で、あとはコメントした者へのコメント(議論のような形式)のような。私は他のブログにさほど目を通してないので、はっきりとは言えませんが、少なくとも私の知ってる範囲ではそうでした。その辺どうなのかは、むしろこのブログをこうして読んでる方々の率直なご意見をお聞きしたいところです。
昭尚
2009年08月26日 19:54
 新様、コメントいつも拝見しております、新様のコメントは、私の視野を広げてくれます、私の狭い了見を思い知らせてくれます、ありがとうございます。
 才木様、なぜだか解りませんが、私に語られているようで身に沁みます、普遍的なのでしょうか?
ありがとうございます。
 繫げる駒、伏せる鼠、私のことだったのですね、ワンギーサ様ありがとうございます。
 生きとし生けるものが幸せでありますように
鈴木
2009年08月26日 20:43
才木さんの頭でっかちでなく気づくか気づかないかだけ、という意見は最もだと僕は思います。なので あまり他を気にする必要はないと僕は思います。
2009年08月27日 05:01
才木さん、おはようございます。とても参考になりました。有難うございます。一方、非常に参考にならなかった方々もいる可能性があるかと思われます。一個人の瞑想体験は時に固定観念を植え付けてしまう可能性があるからです。私もよく先輩方に「瞑想体験談」を聞かされました。少しひねくれた性格なもんで、あまりまともに取り合わなかったことが結果的に良かったと思ってます。でも、実際の体験なので、それなりのインパクトはやはり心に残ります。それに惑わされず、また無視もせず、というのも大切な修行のひとつなのかもしれません。ただ、どなたがご覧になるかわからない。という前提で看過することは私にとって逃げとなります。その辺がとても気になり、コメントさせて頂きました。
2009年08月27日 08:19
コメント有難うございます。慈悲の冥想とウ゛ィパサナー冥想については、スマナサーラ長老がその著書やDVDで指導されており、又直接、冥想指導という形でも行われております。それに従ってやってみてどうなるか?どんなことがあったか?は多分人それぞれでしょう。そして、そのそれぞれが「その人にとって実際どうなのか」は瞑想指導者でないとわかりません。あくまで比喩ですが、「とてもうまくいってます」が実際は「失敗」で「何だかうまくいってない」が「実際の心の裏のレベルでは成長してる」ということだってあるわけです(極端な比喩で悪しからず)。瞑想指導者からのアドバイス以外は、ただ基本的なことを各自やればいい。というのが私なりの意見です。「冥想についてはスマナサーラ長老から教わって下さい」で十分という気がします。
2009年08月27日 08:47
最後の部分、「冥想については冥想指導者から教わって下さい」に訂正致します。
2009年08月27日 09:03
コメントを見ると誰が指導者だかわからん。
仏陀を知らない人が見たら混乱するだけで、無責任と感じる。
ブログ管理者 ワンギーサ
2009年08月27日 10:08
Sさん。コメントありがとうございます。
コメントの内容はすべて参考意見だと思います。自分で納得すれば受け入れ、納得できないものは聞き流してください。但し、真剣に瞑想指導者を求めるのであれば、人生の一大事ですから、自分で努力して求めてください。その気があれば求めることができると思います。
身の丈修行者
2015年06月12日 06:25
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「苦しみからの脱出を望む人は、貪欲から離れることを望み・・煩悩への執着を捨てる・・執着を捨てるためには、渇愛を捨てればよい・渇愛がなくなれば、執着がなくなる」心に響きます。
言葉だけでなく本当に智慧でそう思えるように、心の感じている事の実況中継冥想の実践を行って参りたいです。

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