貪欲に染まった人は蜘蛛の巣に逃げ込むのだが断ち切り進め(347)

ダンマパダ 347

貪欲に染まった人たちは流れに落ちる
蜘蛛が自分の作った網に逃げ込むように
賢者たちはこれさえも断ち切って
求めることなく一切の苦を捨てて進む


○この詩の蛇足

 貪欲に染まった人たちは、どんな人たちだと考える必要はありません。自分はどうか考えて見ればいいのです。自分はそれほど貪欲ではないと思う人も。やはり欲はありますから、この詩に述べられているように、「流に落ちる」傾向があります。ここで「流れ」とは渇愛を意味しています。渇愛は居心地の良い巣のようなものです。蜘蛛は何かがあれば、直ぐに逃げ込みます。そのように、人間には直ぐ渇愛に行くのです。

 しかし、賢者は渇愛がすべての苦悩の原因であることを知っていますから、蜘蛛にとっては巣のような、渇愛を何の未練も持たずに、断ち切って前進するのです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_21.html
 貪欲に染まった人は蜘蛛の巣にからまるが賢者断ちて進む

○この詩のパーリ語原文

347.
イェー   ラーガラッターヌパタンティ ソータン
Ye      rāgarattānupatanti        sotaṃ,
人たちは 貪欲に染まった 落ちる    流に
サヤンカタン マッカタコーワ  ジャーラン
sayaṃkataṃ   makkaṭakova   jālaṃ;
自分で作った 蜘蛛の ように  網に
エータンピ チェートゥワーナ ワジャンティ ディーラ
Etampi    chetvāna       vajanti     dhīrā,
これさえも  断ち切り      行く      賢者は  
アナペッキノー サッバドゥッカン パハーヤ
anapekkhino   sabbadukkhaṃ   pahāya.
求めることなく  すべての苦を  捨てて

○貪欲に染まった人は蜘蛛の巣に逃げ込むのだが断ち切り進め(347)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

2009年08月29日 04:34
ワンギーサさん、おはようございます。クモは見かけますが、クモの巣がどんなものだったかかすかに記憶にある程度です。確か、自分で巣をつくり罠に引っ掛かった獲物を食べるような。巣はクモにとって生命線であり死活問題のはずです。私は死にたくないから生きてます。常に死を避けてます。「何としてでも生きていたい」という気持ちさえがなければ、どんなに気楽で悠然としてられるかを想像してしまいます。しかし、実際には渇愛をなくした境地などはわかりません。自らの生命線を未練残さず絶つことは単純に「自殺行為」です。死にたくないから生きてるのに、完全たる自殺行為への道などやはり認めがたいのです。「苦」を遍知してません。有難うございました。
2009年08月29日 05:08
「助けてくれ~」という時、渇愛に逃げ込もうとします。幼いころよく溺れそうになり、必死で何かに捕まろうとしました。実に恐ろしいのはその捕まる「何か」などない。と感じた時です。その時「捨てる、手放す」勇気が必要です。力まなければ水に浮きます。どんどんどんどん追い詰められていっても、最後はブッダの言葉をひらすら信じるしかありません。ブッダからその勇気を学びます。有難うございました。
あっきん
2009年08月29日 09:48
おはようございます。
スポーツするの好きです。でもすぐに体を動かすと危険です、つったりするからね。だから準備体操してます。仏教では五戒を守る事が準備体操と、私的に勝手にとらえてます。”自分が変ればまわりも変わると”あるコーチから教わったことがあり、好きなフレーズです。
身の丈修行者
2015年06月13日 07:38
人間は何かショックな事があると、現実逃避で妄想の世界に行く・・が自分の中で浮かびました。現実逃避しても何も解決しないのですが。
渇愛を持たずに生きる事、目指したいです。

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