恐怖なく穢れない人生存の欲を捨て去り最後の身体(351)

ダンマパダ 第24章 渇愛 351、352

悟りの境地に達して恐怖がなく
渇愛から離れて穢れのない人は
生存の矢を断ち切った
その身体は最後のものである(351)

渇愛を離れ執着がなく
経典の語義を熟知して
文字の配列や
前後関係知る人
彼は最終身の人
大智慧者、大人物と言われる(352)



○この詩の蛇足

 悟りの境地にある人は、執着するものがないのです。このような人は何も守るものがないのです。そのような人には失うものがないので、恐怖がありません。恐怖は何か守るものがあると現れるのです。それを失しないたくないためです。

 執着のない人は渇愛がない人です。渇愛のない人の心には汚れがありません。そのような人は、生きていたいという執着もありません。これは死にたいということではありません。明るく、清らか、健やかな生き方なのです。彼は執着がありませんから、輪廻することはないのです。

 仏陀以外で、渇愛を離れ執着のない人は「経典の語義を熟知して、文字の配列や、前後関係知る人」なのです。経典とは仏陀が教えた涅槃への道が書かれたものです。つまり、渇愛から離れ、執着をなくす方法が書かれているのです。経典を学び、それを実践することで涅槃に到達できるのです。そのような人は阿羅漢で、輪廻を繰り返さない最終身の人であり、大智慧者で、大人物なのです。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200810/article_24.html
 恐怖なく穢れない人生存の欲を捨て去り最後の身体


○その詩のパーリ語原文

351.
ニッタンガトー アサンタースィー
Niṭṭhaṅgato    asantāsī,
究極に達し   恐れがない
ヴィータタンホー アナンガノー
vītataṇho       anaṅgaṇo;
渇愛を離れ     穢れがない
アッチンディ バワサッラーニ
Acchindi    bhavasallāni,
切断した    生存の矢
アンティモーヤン サムッサヨー
antimoyaṃ      samussayo.
最後の これは   身体
352.
ヴィータタンホー アナーダーノー
Vītataṇho      anādāno,
渇愛を離れ    執着のない
ニルッティパダコーヴィドー
niruttipadakovido;
聖典の語義を熟知して
アッカラーナン サンニパータン
Akkharānaṃ    sannipātaṃ,
文字の       配列を
ジャンニャー プッバーパラーニ チャ
jaññā       pubbāparāni     ca;
知る       前後        また
サ  ヴェー アンティマサーリーロー
Sa   ve    ‘‘antimasārīro,
彼は 実に    最後身
マハーパンニョー マハープリソー ティ ウッチャティ
mahāpañño      mahāpuriso’’  ti    vuccati.
大智慧者      大人物      と   言われる


○恐怖なく穢れない人生存の欲を捨て去り最後の身体(351)
○渇愛と執着離れ経典の語義を知る人偉大な智慧者(352)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


 
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この記事へのコメント

才木広之
2009年08月31日 22:07
 気付きのある人は、外界も自分も無常であることが分かり、感覚から妄想することなく、合理的的で理性的な判断ができ、渇愛に執着することがなくなり、苦悩が生まれないのです。

生きとし生けるものが幸せでありますように
あっきん
2009年09月01日 00:59
「困った時はダンマパダ」を見て、的中している内容だと何度か感じた事ありました。やっぱ仏陀は見る目があるし、自己も知りつくしてたんでしょうね。
かたや、他人の事を言っている様で実は的外れ。己のことだと気がつかない人もいます。
この違いは心の成長のレベルでしょうか。経典を何で勉強してるのか、いまさらながら、この詩を見て分かりました。
2009年09月01日 06:33
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老の経典解説・「中部経典22蛇喩経」を聞いたことがあります。この時はじめて、ブッダの説法の物凄さに仰天しました!心を射抜くようなお話でした。当時のブッダの説法の迫力は相当なものだったんでしょうね。言葉の配置など、私にはわかりません。「心」を知り尽したブッダのなせる技。まさにブッダの九徳ですね。有難うございました。
才木広之
2009年09月01日 21:08
今日は2008,10,13ワンギーサの文字です。ナンデカナー

生きとし生けるものが幸せでありますように
身の丈修行者
2015年06月14日 07:40
本文の「悟りの境地にある人は、執着するものがない・・守るものがない・・失うものがない・・恐怖がありません」を拝見して浮かんだものがあります。

私事になりますが先日一見怖そう?な人がいました。場所が精神科病院の前でその先入観もあったと思います。
その人の横を通る時に自分に何か危険が起きるのではと妄想し恐怖を感じました。
「恐怖が出るのは自分が悟っていないから」と思い・また人を外見で判断してはいけないと戒め、歩くサティに集中して笑顔で横を通り過ぎました。
気のせいか穏やかに、そして何事もなく過ぎました。

執着せず・恐怖なく生きれるように精進したいです。

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