破戒僧食事の布施を受けるより熱玉呑めよ地獄よりよい

ダンマパダ 第22章 地獄 308

戒を守らず無節操な比丘は
土地の信者の布施を受けるより
熱い火炎のような
鉄の玉を呑む方がましだ


○この詩から学ぶこと

 この詩は地獄の恐ろしさを知らないと理解できないのです。火のような鉄の玉を呑んだら、口は焼けどして、死んでしまいます。その苦しさは想像もできません。しかし、地獄の苦しさと比べると比較できないほどたいしたことではないのです。しかも、熱鉄玉を呑んで死んだら、その苦しさは一度で終わりますが、地獄の苦しさは、何千年、何万年、何憶年と続くのです。さらに、地獄から生まれ変わっても、地獄に行くような悪業は一度では終わらず、少なくとも7回地獄に再生するのです。ですから、地獄行くくらいなら、熱鉄玉を呑んだほうが、苦しくないのです。

 戒律を守らない比丘が、それだけで悪業を作っているのですが、比丘を信頼している信者さんにお布施を頂いたら、それこそ信者さんを裏切り、地獄に行くような悪業を作ることになるのです。そのため、この詩で述べているように、お布施を受けとるくらいならば、熱鉄玉を呑んだ方がよいのだというのです。地獄に行くような悪業を作らないのですから。

 さて、人々が道徳を守り、社会秩序を維持するために、2つ心の要素(心所)があります。それは、慚(ざん、パーリ語ではヒリhiri)と、愧(き、パーリ語ではオッタッパottappa)です。

 「慚」は悪いことをすると恥ずかしいと思う気持ちです。これが気持ちが強いと悪いことはしません。よい意味のプライドです。自分は悪いことをするような人間ではないという矜持です。この気持ちがあれば、悪いことをすると恥ずかしいと思うのです。

 「 愧」です。悪いことをすることを恐れる気持ちです。悪いことをすると、親や先生から怒られるのを恐れるということがあります。また、犯罪を犯せば罰せられることを恐れるということもあります。しかし、何よりも大切なことは、因果法則を理解して、悪因悪果を恐れること大切です。この法則からは逃れられないのです。他人が見ていようが、見ていまいが必ず、悪業の結果は現れるから、悪い結果を恐れる気持ちです。これがあれば悪いことはしません。

 今回の詩は、比丘に悪を恐れる気持ち 「愧」の心を育てるために、述べられたものでしょう。

 最後に、「日常読誦経典」の「戒め(サッレカ・スッタ)」p81から引用します。

38.他人は悪を恥じないが、我々は悪を恥じるようにと戒めましょう。
39.他人は悪を恐れないが、我々は悪を恐れるようにと戒めましょう。

○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_26.html
 戒を守らぬ悪行比丘は布施を受けずに火玉呑め

○この詩の原文(パーリ語)及びその読み方と意味

セッヨー アヨーグロー ブットー
Seyyo   ayoguḷo     bhutto,
よりよい 鉄球を     食する方が
タットー アッギスィクーパモー
tatto    aggisikhūpamo;
熱い   火の炎のような
ヤンチェー  ブンジェッヤ  ドゥッシーロー
Yañce      bhuñjeyya    dussīlo,
その人がもし 食するならば 破戒の
ラッタピンダマサンニャトー
raṭṭhapiṇḍamasaññato.
土地で食を受ける無制御の人

○破戒僧食事の布施を受けるより熱玉飲めよ地獄よりよい

~私は幸せでありますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~

この記事へのコメント

2009年08月05日 05:50
ワンギーサさん、おはようございます。今日の内容はある意味単純過ぎて、コメントの余地がありません。人をたぶらかしたり、良心につけこんで悪事を働くことの報いは相当であると推測できます。今日の詩は私個人的には「どんな状況でも悪行為だけはするなかれ」と解釈したいと思います。はじまったばかりの裁判員制度では量刑が争点になってますが、それには情状酌量の余地があります。しかし、それはあくまで人間の判断であって、法則ではありません。因果法則を考えた場合、仕方なかった、という言い訳は全く筋違いになるおそれがあります。また、その時の状況が悪いから、という考えもあくまでその人の主観過ぎず、そう考え出したら、全ての悪行為を正当化できてしまいます。これは恐ろしいことです。有難うございました。
2009年08月05日 06:07
上記コメント、最後の方は「悪事を働く前」、その前は「悪事を働いた後」という区分をしています。
髙橋優太
2009年08月05日 06:24
ワンギーサ先生、新さん、おはようございます。悪行為をしないようにします。戒を守ります。生きとし生けるものが幸せでありますように。
2009年08月05日 10:53
 おはようございます。

 最近、悪夢を見ました。間違ってゲームセンターに入ると、暴力団風の若者がたむろしていて、何か非常に殺気だっていました。私はずっと、平和な場所にいたので、世の中には、こういう世界もあったのだなと思って、怖くなりました。そういう悪夢でした。

 地獄はもっとおそろしいのでしょうか。とにかく、刑務所や、地獄のような場所に無縁であるためにも、慙、愧という善心所が育つように、慈悲の瞑想と歩く瞑想をいたします。

 最近、無慚、無愧の不善心所で生きていて、本当にまだまだです。時々はこのブログを、読まないと、いけませんね。ありがとうございました。

 生きとし生けるものが幸せでありますように。
ツヨシ
2009年08月05日 18:50
 ワンギーサさん、こんばんは。
 悪を恐れるように戒めてみます。
とし
2012年06月04日 04:48
人間って俗世を離れては生きていけないから、時に嘘を言わなきゃいけない時、本心とは違う動きをしなくちゃいけない場面って出てくるじゃん?ただそれが、その相手だけにならいいけど、かなりの人に誤解されるような場面があったりもするしさ。
人間の弱さっていうか、難しさっていうか、例えばお酒。適量で済めば良薬。飲みすぎると色んな罪作り。ましてや車の運転をすると人は傷つけ、家族も犠牲、本人も信用と仕事を失い、死んでしまおうかと思う。じゃ、始めからそんなに飲まなきゃいいじゃん。となる。だけど、それをやってしまう現実。人間って弱さもあり、誰かに依存したいって気持ちもある。しかし、決定をするのは自分だぜ、心を強く、毎日が修行だと思って、明るく生きよう。現実はややつらいけどさ。因みに、俺は合気道を数年間やってきたよ。心のほうは60近い年齢になっても落ち着きがなく、歯がゆいけどね。
身の丈修行者
2015年06月05日 07:51
ワンギーサ長老の分かり易い本文・解説の「比丘を信頼している信者さんにお布施を頂いたら・・信者さんを裏切り、地獄に行くような悪業を作ることになるのです」を拝見し、出家されている方の覚悟を感じました。
同じレベルの方ではないと思いますが、昨日殺人で住職が逮捕というニュースをみたり、少し前になりますが住職が痴漢で逮捕・・も拝見致しました。仏教を学ぶものとしてはありえない事のように感じます。
尊敬出来る方を信頼し、そして学ばせて頂きたいです。

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