悪いことなさないように苦しむよ善いことすれば後悔がない

ダンマパダ 第22章 314

悪いことをするよりしない方がよい
悪行は後で苦しむから
するならば善いことをする方がよい
それをしたら後悔することがない


○この詩から学ぶこと

 仏教の要点を一つの詩にまとめたような詩があります。その詩は次のダンマパダ183番です。
 
一切の悪業をなさないこと
善業をつむこと
己の心を清らかにすること
これが諸仏の教えである

 314番の詩は、183番の詩を論理的にしたもののようです。論理的であることとは、ある主張に根拠が示されていることです。「悪いことをするよりしない方がよい」という主張に対して、「悪行は後で苦しむから」と根拠が示されています。苦しむのは嫌ですから、悪はしないことにするのです。

 また、行為を「するならば善いことをする方がよい」と主張されています。その根拠は「 それをしたら後悔することがない」と示されています。最近は、電車に優先席というものができて、若者がお年寄りに席を譲る機会が少なくなっていますが、それでも、老人や弱い人に席を譲りたくとも、恥ずかしくて、躊躇(ちゅうちょ)したりしたとき、後であの時席を譲ればよかったなどと後悔します。それはつまらいことで、善いことはやった方がいいのです。そうすれば後悔がないのです。諺にもいろいろあります。親孝行したい時には親はなし。後悔先に立たず。

 何が悪いことか、何が善いことか、後になって分かっても遅いので、あらかじめ知っておく必要があります。釈尊はそのことについて、明確に教えています。

 善いことをするには、二通りの方法があるのです。一つは悪いことはしないこと、これは偉大な善行為なのです。もう一つは文字通り善いことをすることです。

 例えば、生き物を殺すことは、非常に悪い行為です。ですから、生き物を殺さないことは、生き物の命を守る偉大な善行為なのです。仏教徒(仏教徒だけではありません)が守るべき五戒をを守ることは、善行為なのです。

 文字通りの善行為とは、四摂事(ししょうじ)と言われる四つがあります。
1.分かちあう(布施)
2.優しいことばを語る(愛語)
3.世の中のみんなに役立つことをする(利行)
4.どんなときでも平等な気持ちでいる(同事)
    (スマナサーラ長老著「ブッダの青年への教え」p231~p240)

 さらに、心を清らかにする瞑想(慈悲の瞑想、ヴィパッサナー瞑想など)の実践も善行為です。心を清らかにすることは、人々の心を穏や かにして、人々に平和をもたらします。これは大きな善行為です。また、心を清らかにすることは、上に述べた他の善行を確実なものにするものです。

 今回の詩は根拠をもって、悪行為をやめ、善行為を実践するように教えています。私たちはこれらを実践しなければなりません。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200809/article_30.html
 悪いことをすれば苦しむ善いことをすれば苦しまない

○この詩のパーリ語原文

アカタン  ドゥッカタン  セッヨー
Akataṃ   dukkaṭaṃ    seyyo,
しないこと 悪をすること よりよい
パッチャー タッパティ ドゥッカタン
pacchā     tappati   dukkaṭaṃ;
後で      苦しむ  悪をすること    
カタンチャ  スカタン   セッヨー
Katañca    sukataṃ    seyyo,
すること と 善をすること よりよい
ヤン  カトワー   ナーヌタッパティ
yaṃ   katvā     nānutappati.
それを すれば   後悔しない

○悪いことなさないように苦しむよ善いことすれば後悔がない

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~ 

この記事へのコメント

2009年08月08日 05:55
ワンギーサさん、おはようございます。私は子供の頃から生き物を殺しすなど悪いことを沢山してきました。少し大人になりイキがって、その悪行を自慢げに話しても、単に軽蔑されるだけだと知り、それを隠す方が無難だと判断しました。まだまだ仏教を知る以前のことですが、その後内心ビクビクしながら生活しなければなりませんでした。悪行を隠すためにウソをつき取り繕ったり、バレないかとビクビクするハメなりました。仏教と出会い一応五戒を守りましたが、自分が殺されそうだから攻撃しない。防犯カメラが心配で不安で盗まない。口説く自信がないから不倫しない。ウソをつきとおす才覚がないからつかない。酒に弱いから飲まない。という程度の「怯えや自信のなさ」で守っていた面がありました。これではまるで犯罪予備軍です。原因は全て「心」にあります。だから、「心の悪」を退治し、善心に基づき、悪を為さず善をなせば、いつどんな時でも、ビクビクすることなく、たとえ世界中の人に訴える話でも見栄をはらずに堂々とできるのだと思います。仮に人に非難されても、堂々と怯えないで生きる生き方をしたいものです。まだまだ修行が足りません。有難うございました。
2009年08月08日 08:03
おはようございます。ダンマパダ183は、大乗仏教でも「諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教」と訳されています。重要な教えなのでしょう。悪いことをするのは喜びは多いですが後味が悪い。瞑想修行の喜びは、甘さ控え目で、後味の悪さがない。
髙橋優太
2009年08月08日 17:23
ワンギーサ先生、皆様、今晩は。
三宝に帰依いたします。
頑張ってみます。これからもよろしくお願いいたします。
身の丈修行者
2015年06月06日 07:39
善行為をするには、周囲の観察が不可欠と思います。
その観察も「自分の好き・嫌い」が基準では心が曇り、満足に出来ないのではと想像します。
心が清らかな状態で周囲の観察が出来るように、冥想修行を日常から行って参りたいです。

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