修行者の智慧と定とは両足だ両足あれば涅槃に行ける(372)

ダンマパダ 第25章 比丘 372

智慧がない者には禅定はない
禅定がない者には智慧はない
禅定と智慧のある者は
涅槃のすぐそばだ


〇この詩の蛇足

 仏教の修行は、戒、定、慧であるといわれています。この戒、定、慧は涅槃に達するために必要なことなのです。戒は道徳のことです。人間として守るべきことなのです。道徳を守ることで、幸福になれるのです。具体的には五戒です。1.生命を殺さないこと。2.与えられてないものを取らないこと。3.邪な行為をしないこと。4.嘘をつかないこと。5.酒などの酔わせれるものを飲まないこと。この五つを守ると、心にやましいことがなく、生きていることに自信がもて、他人からも信頼されます。そのため幸福になれるのです。

 372番の詩には、直接「戒」という言葉がありませんが、智慧と禅定のためには戒、すなわち道徳は前提です。道徳のない人は、心の安定はないのです。心の安定のない人に禅定はないのです。

 智慧とは何んでしょうか?私が言葉で表現すれば、ものごとを正しく見ることができ、真理を洞察できる能力と、一応言います。もっと適切な表現があると思います。

 禅定とは、集中力です。

 集中するためには、集中する対象が必要ですが、智慧のない人はそれがわかりません。ですから、智慧のない人は集中力が発揮できないのです。つまり、智慧のない者には禅定がないのです。

 智慧は、正しく見ることができなければなりません。集中力のない人は正しく見ることができませんから、智慧はありません。つまり、禅定のない者には智慧はないのです。

 智慧と禅定があるということは、ほぼ涅槃に達しているのです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_9.html
 修行者の智慧と定とは両足だ 両足あれば涅槃に行ける

〇この詩のパーリ語原文

372.
ナッティ ジャーナン アパンニャッサ
Natthi   jhānaṃ    apaññassa,
ない   禅定は    智慧のない人に
パンニャー ナッティ アジャーヤトー
paññā     natthi   ajhāyato;
智慧は    ない   禅定のない人に
ヤンヒ   ジャーナンチャ パンニャー チャ
Yamhi   jhānañca      paññā     ca,
その人に  禅定と      智慧     と
サ  ウェー ニッバーナサンティケー
sa   ve    nibbānasantike.
彼は 実に  涅槃の近く

〇修行者の智慧と定とは両足だ両足あれば涅槃に行ける(372) 

~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

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この記事へのコメント

2009年09月16日 01:36
ワンギーサさん、今晩は。「五戒」もどんどん精度を上げていくと面白いですね。酒の席で酒を飲まず、なおかつ嘘もつかず。なんてのも頭の体操になります。不殺生も単に自分が殺さないではなく少し範囲を広げて、「逃がす」をやったりしてます。最近では、虫嫌いの人が虫を殺そうとしたので逃がしました。ひとつはその人に声をかけて注意をそらした瞬間に。もうひとつは、間に合わないので「ちょっと待った!」と言って。二番目はティッシュペーパーで虫を軽くつつみ逃がしたのですが、あたかも私が殺したものと勝手に思ったようです。この場合も「私がやるから」は嘘のギリギリ。「私が殺すから」は完全な嘘になります。だから「嘘をつかずに五戒を守る」とするとやりやすい面があります。うまくいった例を出しましたが、失敗した例ももちろんあります。その違いはやはり「集中力」にあります。その時「いいアイデア」も自動的に浮かんでいます。うまくやった時は、何とも言えない喜びが湧いてきます。「戒」を100%守ることで、ある程度は「智慧と集中力」らしきものも養成されるような気がします。これからも100%を守るつもりです。有難うございました。
2009年09月16日 01:57
虫の場合の二番目の例ですが、やるべきは「逃がす」ことなので、「逃がした」とは敢えて言いませんでした。その人が不殺生を完全否定してるのを知ってるからです。だからその後「お説教か口論」になることを避けました。その場合に「不殺生」の理由をそれとなくわからせるだけの「智慧」は今の私にはありません。それは今後の課題です。有難うございました。
2009年09月16日 02:43
「五戒」について書いたので、この機会に触れたいことがあります。グレーゾーンみたいなものがあるかと思います。「月に一度ギャンブルしたり、風俗遊びくらいはいいんじゃないか?しかし五戒に触れるのかな?」特に独身男性ならそう考えるかもしれません。私の場合、仏教を学び実践してるうちにそのような疑問は自然消滅しました。実は、このようなグレーゾーンに対する問いそのものが「欲の正当化」であることもわかりました。「欲や怒り」から離れようとする限り、不毛な「問い」も自然消滅して、それで悩む必要もなくなってきます。有難うございました。
2009年09月16日 04:57
蛇足ですが、不殺生戒とはあくまで自分自身が生き物を殺さないことです。それと、殺されそうな生き物をそれとなく「逃がす」こととは違うとは思います。悪しからず。
あっきん
2009年09月16日 06:15
おはようございます。
ダンマパダはいろんな側面から、教えている気がします369の詩は舟で例えてます。私は家の屋根で例えます。(勝手な解釈かも)五戒の1つでも破ると、屋根に穴が1つあき雨漏りがします。智慧ある人は穴をふさいで修理して幸福になります。しかし最初から、完全な屋根はできません。なので腕前を上げるように、励みます解説:私は、仏陀の教えをすぐに分かりませんでした。後で、もしかしてこんな事言ってたのかなと漠然と分かる事もあります。真理そのものバカです。いかに理解できるか瞑想も大切ですね。
生きとし生けるものが幸せでありますように
PUN
2009年09月16日 07:32
仏教ランキング、現在、このブログが第一位でした。前に確認した時は、このブログは三位で、一位は現在二位の創価学会の会員の方でした。

昨日、ワンギーサさんは、イチロー選手のことを取り上げて、継続は力だとか、そういうことを仰っていましたが、それを言葉だけじゃなく、結果で証明しているということは、頭が下がります。
鹿
2009年09月16日 15:03
在家の拝み信仰だと、禅定がおろそかになってしまいがちです。集中で自己観察眼を養う。そして、平常心を培う。例えるなら、知識はあるが、禅定を欠くため、智慧に昇華されず、生真面目な方が死魔の餌食になってしまうといったところだと思います。
身の丈修行者
2015年06月19日 12:31
本文を拝見し、今ここをありのままに・不放逸で気がつく事は、集中力があって出来る・・のかなと感じました。
確かに心はすぐに不安定になり色々妄想しだすので、それを制御する必要性を感じています。
特にその妄想の出だしが勝負なように思います。すぐに気付ければそこで終われ・引っ張らない印象を感じます。
集中して冥想を実践して参りたいです。

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