仏教を確信した修行者は諸行寂止の境地に至る(381)

ダンマパダ 第25章 比丘 381

ブッダの教えを歓喜して
確信する比丘は
諸行の静まった安楽な
静寂な境地に到達するだろう


〇この詩の蛇足

 お金持ちでも、不幸を感じている人と幸福を感じている人がいます。貧乏でも、幸福を感じている人と不幸を感じている人がいます。この事実を整理すると、お金持ちか、貧乏かは、幸福か不幸に関係なく、不幸か幸福があるということになります。

 では、不幸か幸福の違いはどこから生まれるのでしょうか?ある人が「幸福な人は感謝する人だ。感謝しない人は不幸だ。」と答えました。たしかに、その通りのような気がします。感謝とは幸福に生きるために必要な態度であると思います。しかし、ダンマパダには直接、「感謝」にふれている言葉はないように思います。なぜでしょうか?

 自己観察をしている我々には、感謝する前に感じている心は、「満足」なのです。満足している人は幸福です。不満の人は不幸なのです。これは金持ちか貧乏とは関係ありません。不満の人は満足するため、欲しがりがります。不満だから怒りが現れます。貪欲や怒りのある人は不幸です。

 幸福になるためには、不満を止めて、満足することが大切です。しかし、それはそれほど易しいことではないのです。ブッダはその方法を原理から解き明かして、具体的な修行方法を示しました。それは、仏教用語で言えば、四聖諦と八正道です。その意味が理解できれば喜びが生まれます。また、その教えに確信が持てます。

 その教えを実践すれば、不満がなくなり、心の反応の静まった満足した心になり、静寂な境地に到達できるのです。

〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_17.html
 仏教を確信した修行者は諸行寂止の境地に至る

〇この詩のパーリ語原文

381.
パーモッジャバフロー ビック
Pāmojjabahulo      bhikkhu,
喜びの多い       比丘
パサンノー ブッダサーサネー
pasanno    buddhasāsane;
信じる    ブッダの教え
アディガッチェー パダン サンタン
Adhigacche     padaṃ  santaṃ,
到達するだろう  境地に 静寂な
サンカールーパサマン スカン
saṅkhārūpasamaṃ     sukhaṃ.
行の止滅した       幸福に


〇仏教を確信した修行者は諸行寂止の境地に至る(381)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

10月10日(土)2009年第5回初期仏教一日体験会のご案内

スマナサーラ長老の講演と冥想指導が一日で受けられる!
※10月中の東京での冥想指導はこの日だけです。
2009年第5回初期仏教一日体験会
「幸福」の道は「友情」で完成する
~お釈迦さまが称賛する「善き仲間」とは~
講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老
日程 2009年10月10日(土)
会場 銀座ブロッサム(銀座中央会館)
参加費 1,000円(当日支払い)要予約,先着900名
予約申し込みはお早めに!
http://www.j-theravada.net/

 
◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

才木広之
2009年09月23日 22:37
満足感を得られれば無駄な行いも消えていくように思います

満足感は結果として得られるものと読み解きました

四聖諦、八正道というものを学んでみようと思います

生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年09月24日 05:09
ワンギーサさん、おはようございます。四聖諦に「確信」をもつとは一体どういうことか?現時点での私の結果です。「捨てる、求めない、とらわれない」限り、四聖諦から八正道から離れません。損して得とれ。とはごく普通の心境だと思いますが、仏教の「捨てる」を実践すると、四聖諦を自然と感じてきます。しかしそこで「そうか!」とある程度発見したり納得していい気分になると、「何とか得よう」としているのがわかります。そこでストップ。だから、常に「捨てる勇気」さえ持ち続けられれば、そこに四聖諦も常にある。確信と思ったことを捨てて、その結果確信に出会い、勇気をもってさらにそれを捨てていく…。そんな感じが現時点での自分なりの理解です。有難うございました。
pun
2009年09月24日 08:33
 ブッダの教えを確信する。これは実は大変むずかしく、悟りの第一段階目の預流果にならなければ、仏法僧への確信は生じないと、サンガ新書『心の中はどうなってるの?』の「信」の説明のところにありました。私の場合、欲と怒りを本当にどうにかしたいと、思って必死に努力をしてきましたが、どんなに苦しんでも、キリストを信じようとしても、何をしても、全くだめでした。とにかく、仏法僧に対する疑いが消え、今日の空のように晴れ晴れとした心になりたいと願っています。
pun
2009年09月24日 08:33
ワンギーサさん、質問があります。『ブッダのことば』「大いなる章 二、つとめはげむこと」に、お釈迦様は修行時代のことを語った文章があります。

「われは七年間も尊師(ブッダ)に、一歩一歩ごとにつきまとうていた。しかもよく気をつけている正覚者には、つけこむ隙をみつけることができなかった。」

 これは悪魔の言葉です。これが真実ならば、お釈迦様は、出家した時点で、すでにサティの達人であったということになるのですが、それはつまり、どういうことなのでしょうか。それともこれは、後世の作り話か。少し気になりましたので質問させていただきます。それとも、サティの技術とか、そういうことじゃなく、

 「このわたくしがムンジャ草を取り去るだろうか? この場合、命はどうでもよい。 わたくしは、敗れて生きながらえるよりは、戦って死ぬほうがましだ。」(『スッタニパータ』大いなる章)

 という、何か気合いのような、ものが、ブッダを清く正しく美しい心をキープさせ、不善心をよりつかなくさせたのか。

 もしも、『心の中はどうなってるの?』の「信」の説明を信じるならば、お釈迦様のこの確信は、預流果のものです。お釈迦様は出家した時点で、預流者であって、あと七年かかって阿羅漢になりましたと、こういう話なんでしょうか。

 面倒な質問ですみません。とにかく、私も七年修行していて、預流果を得ない。だから、とにかく、預流果への糸口を掴みたいと、こう思ってまして、質問させていただきました。自分の七年間の修行を振り返ってみると、とてもお釈迦様の七年の修行が、本当だったとは思えなかったので。
髙橋優太
2009年09月24日 09:00
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
経典や長老のお話を聞いて、しっかり仏教を理解します。今年はスマナサーラ長老の講演会に行けませんが、その分、長老のDVD、本で勉強し、理解を深めていこうと思います。皆様、ありがとうございました。ワンギーサ先生、ありがとうございました。三宝に帰依いたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
pun
2009年09月24日 15:05
ワンギーサさん、もう一つ質問があります。

『ブッダの実践心理学』第二巻に、次のようにありました。

p312

 心や身体・物質の問題もそういうことです。どんな人間にも、どの生命にも、門は平等に開かれていますが、各生命が実際に瞑想して悟れるかどうかは、また別の問題なのです。

とあり「論理的な可能性と実践的な可能性は違う」とも、スマナサーラ長老は仰っているそうです。私は七年間、スマナサーラ長老を信じてきました。その言うことを、実践しようとしてました。しかし、こんな言葉は読んだことがなかった。つまり、やっても悟れない人もいると。

 私はどうなのでしょうか。悟りを開けそうな人間なのでしょうか、それとも、悟りを開けなさそうな人間なのか。
才木広之
2009年09月24日 20:50
少し話題は異なりますが。少し書きたいです

人を尊重する。当然の事です

人の間違い(妄想の可能性もある)を指摘する。当然の事です。

この二つが、行えている団体、個人は、安全です

それは、スマナサーラ長老をはじめとして、テーラワーダ仏教協会です

あなたを尊重し、間違っていると思うこと(妄想の可能性もある)を指摘する。当然人を尊重するのだから間違いだと気付けば謝る。

これが出来てない団体、人等は相手にする必要なし

生きとし生けるものが幸せでありますように

ワンギーサ
2009年09月24日 22:04
PUNさん、質問については、このコメント欄でお答えして解決するようには思いませんので、お寺にお話しに来てください。日時は日本テーラワーダ仏教協会の事務局にお伝え下さい。
鹿
2009年09月25日 07:21
私も含め、自灯明と法灯明は不一致かと思います。気付きによって、自灯明の向う方向を知り、同時に法灯明は何であるを探りながら、ふたつの灯明が重なりあうのを目指すものだと思いました。
身の丈修行者
2015年06月26日 07:44
以前「全てに感謝ですよ」と教えて頂いて、無理やり全てに感謝するようにし→有効でしたが何故か?の理由が分かりませんでした。
ですので、本文の「感謝する前に感じている心は、「満足」なのです・・幸福になるためには、不満を止めて、満足することが大切です」心に響きました。
四聖諦と八正道が智慧で分かるように精進したいです。

この記事へのトラックバック