バラモンは悪がない人修行者は静寂行で出家無垢人(388)

ダンマパダ 第26章 バラモン 388

悪を排除したのでバラモンと呼ばれ
寂静修行によって修行者と呼ばれ
自分の心の汚れを落としたので
出家者と呼ばれる


〇この詩の蛇足

バカでないのでバラモン
行い静かだから静かな人
垢を落としたので
垢抜けた人と呼ばれる

 388番の詩はパーリ語では、パロディー訳のようなものですが、日本語訳ではできません。下記のパーリ語原文でその感じを感じて見て下さい。

 釈尊のユーモアのセンスは抜群で、しかもそれは決して無駄話ではないのです。聞いている人の心がほころんだ所で、真理を学ばせるのです。ですから、バラモンはバラモン族に生まれたからと言ってもバラモンではない、悪を排除したのでバラモンであると教えています。修行者は、苦行をするから修業者のではない、行いが静かだから修行者と呼ばれると言います。また、出家者は、家を出たから出家者なのではない、心の垢すなわち煩悩を落したので、出家者と呼ばれるのだと教えます。

 ブッダの言葉はすべて、単なる言葉遊びではないのです。どんな時もことの本質を私たちに教えています。

〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_24.html
 バラモンは悪がない人修行者は静寂行で出家無垢人

〇この詩のパーリ語原文

388.
バーヒタパーポーティ ブラフマノー
Bāhitapāpoti       brāhmaṇo,
排除した 悪を と   バラモンは
サマチャリヤー サマノーティ ウッチャティ
samacariyā     samaṇoti   vuccati;
寂静者なので   修行者   呼ばれる
パッバージャヤマッタノー マラン
Pabbājayamattano      malaṃ,
捨てる  自分の      垢を
タスマー パッバジトー ティ ウッチャティ
tasmā  ‘‘pabbajito’’  ti    vuccati.
それ故  出家者    と   呼ばれる


〇バラモンは悪がない人修行者は静寂行で出家無垢人(388)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
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この記事へのコメント

才木広之
2009年09月30日 22:11
「ブッダの言葉はすべて、単なる言葉遊びではないのです。どんな時もことの本質を私たちに教えています」とのご発言ワンギーサブッダの御言葉でしょうか

この事が言えるということはワンギーサさんは、ブッダの言葉のすべて、本質が分かっているブッダと同等の、お心を持っておられると読み解きました、ワンギーサブッダに、敬礼いたし、帰依させて頂いてもよろしいでしょうか、よろしくお願いします。

それとも、このように断言された御方がおられるのでしょうか。おられるのであればその方をご紹介いただければ幸いです、よろしくお願いします。

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之
2009年09月30日 22:30
以上のことば、削除していただいても結構ですので、ご随意に

生きとし生けるものが幸せでありますように
ワンギーサ
2009年09月30日 23:03
才木広之さん、こんばんは。
このように断言されたのは、ブッダ御自身です。

三宝のご加護がありますように。

才木さん、それではお休みなさい。
2009年10月01日 12:03
ワンギーサさん、おはようございます。このブログで紹介された「沈黙行」を最近やってみました。最初は簡単のように思いましたが、6時間ほど経過したあたりから「もやもや、イライラ」して、落ち着きがなくなってきました。いろんな衝動が湧いてきました。一応、朝から晩までやるにはやりましたが、普段自分がやってる「正語」はインチキだと痛感しました。それは、「何か話したい衝動が先ににあって、それから正語らしきものを探してる」に過ぎませんでした。どうせ話すなら、嘘をつくよりつかない方がましだ。という程度のものです。それはあたかも、感情に基づいて先に出した「結論」を正当化するために、都合の良い情報ばかりを集め、もっともらしい理屈をこねくりまわす。という作業とそっくりです。今月のパティパダに「正語」についての詳しい説明が書かれてます。今後もチャレンジしたい課題ですが、ひとつわかったことがあります。自分の心の状態を知るには「沈黙行」が非常に有効だということです。その時、どこまで「心の沈黙」ができるか、で自然とみえてくるものがあると思います。有難うございました。
PUN
2009年10月01日 12:16
こんにちは。高校時代、よくビートルズやピーター・ポール&マリーのCDを聞いていました。imaginとか、we are the worldとか、because all men are brothersとか、音楽を聴くという遊びを通して、思想的な歌詞も自然と頭にインプットされたのを記憶しています。ブッダの言葉も、そうだったのかと、今日の記事でわかりました。「垢抜ける」という表現を、煩悩を落とすという意味で使ったワンギーサさんには、「俗語を正す」といわれた俳聖芭蕉のことばの実践を見る思いがいたしました。
2009年10月01日 14:12
★上記「沈黙行」について、以前は「結果的には何もしゃべらず沈黙していた」から「沈黙行」など簡単だ。と思ってました。しかし、その時は本を読んだり、本屋さんに行ったり、街中を歩いたり、音楽を聞いたり、と「刺激」があって結果的に成立しただけです。今回、食事以外の行為は極力避け、身体もなるべく静かにしてました。何もせず、何も考えず、ただただ生きてるような感じでしたが、色々な発見がありました!有難うございました。
身の丈修行者
2015年06月28日 06:20
本文の「修行者は・・行いが静かだから修行者と呼ばれる・・。出家者は・・心の垢すなわち煩悩を落したので、出家者と呼ばれる」心に響きます。
(自己評価でない)尊敬出来る方に、そのように実践出来ていますよとご指摘頂けるように精進したいです。

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