法悦と法楽を知り法を思惟し法を随観する比丘は善し(364)

ダンマパダ 364

法を喜び、法を楽しみ
法を思惟し
法を随観する比丘は
正法から逸脱しない


○この詩の蛇足

 法とは、パーリ語のDhammaの訳で、法の他に、状態、性質、道、権利、物事、教法、正理などの訳語があります。この詩ではどんな意味に考えたらいいのでしょうか。私は、この詩を読んだ時の心の状態に応じて意味を理解すれば、よいのかなと思っています。

 仏陀の教えに、深く共感したときは、法は仏陀の教えと受け取ればいいのです。また、あるとき、無常に感じ入ったとき、法は無常です。無常を喜び、無常を楽しみ、無常を思惟し、無常を随観しするのです。法は苦でありこともあり、法は無我であることもあるのです。

 法を喜び、法を楽しみ、法を思惟し、法を随観するときは瞑想の時なのです。これは、日常生活の中にもあります。その時、その人は瞑想をしているのです。日常生活の中の瞑想です。この瞑想は、決して日常生活を妨げません。むしろ、日々の生活を成功させるのです。

 逆に、いわゆる瞑想中に、法を喜び、法を楽しみ、法を思惟し、法を随観できない時は、その人は瞑想していません。妄想をしているか、眠っているのです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_2.html
 法悦と法楽を知り法を思惟し法を随観する比丘は善し

○この詩のパーリ語原文

364.
ダンマーラーモー ダンマラトー
Dhammārāmo    dhammarato,
法を喜び      法を楽しみ
ダンマン  アヌヴィチンタヤン
dhammaṃ  anuvicintayaṃ;
法を     思惟しつつ
ダンマン   アヌッサラン ビック
Dhammaṃ  anussaraṃ   bhikkhu,
法を     随念する   比丘は
サッダンマー ナ  パリハーヤティ
saddhammā   na  parihāyati.
正法から   ない 衰退する

○法悦と法楽を知り法を思惟し法を随観する比丘は善し(364)


~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

10月10日(土)2009年第5回初期仏教一日体験会のご案内

スマナサーラ長老の講演と冥想指導が一日で受けられる!
※10月中の東京での冥想指導はこの日だけです。
2009年第5回初期仏教一日体験会
「幸福」の道は「友情」で完成する
~お釈迦さまが称賛する「善き仲間」とは~
講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老
日程 2009年10月10日(土)
会場 銀座ブロッサム(銀座中央会館)
参加費 1,000円(当日支払い)要予約,先着900名
予約申し込みはお早めに!
http://www.j-theravada.net/

 
◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

読者
2009年09月08日 22:41
この詩の蛇足→私の解釈
2009年09月09日 04:34
ワンギーサさん、おはようございます。「法」=「ブッダの教え」ととってみます。ブッダの教えは膨大ですので、「五戒」に限定して考えてみます。「殺生するなかれ、嘘をつくなかれ」は最初強制されてる感じでした。教えだから従った、という方が正直な所です。理解はしたつもりでも、実践しつつ疑問があったので、スナサーラ長老の著書を参照にして自問し考え続けました。他の道徳関係の本も参考にしました。すると、「殺すなかれ、嘘をつくなかれ」がしごく合理的なものだと理解が深まりました。もちろん実践しながらの話ですが、「五戒」を守ることでいかに「楽で喜び」を感じられるかが実感できます。面白いことに「善悪などない。道徳など時代によって変わる人為的なもの」という言説のインチキが見えてきます。また「但し場合によっては嘘仕方ないではないか?」は、本音を隠す偽善であることもわかってきます。100%を実践することによって、自分の心や世間の道理が自然と見えてきます。「ブッダの教えは苦からの解放」ということも実感できます。そして、さらに「法」に耳を傾けて「苦を乗り越えたい」という気持ちになってきます。有難うございました。
髙橋優太
2009年09月09日 14:06
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。
ワンギーサ先生、今日もありがとうございました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年06月17日 07:41
本文の「法を喜び、法を楽しみ、法を思惟し、法を随観するときは瞑想の時・・日常生活の中にもあります」ですが、今・ここの状態をありのままに感じると同じ意味になるでしょうか。
日常で出来ないと意味がない事を実感しています。まだまだ日常の中で妄想状態に成る事が多いですが、少しでもサティしている方が多くなるように自分なりに努めています。

この記事へのトラックバック