他の人のもらったものを羨んで心を揺らす比丘に定はない(355)

ダンマパダ 第25章 比丘 365、366

自分の得たものを軽んじないように
他人の得たものを羨まないように
他人が得たものを羨む比丘は
禅定に達しない(365)

たとえ得たものは少なくとも
自分が得たものを軽んじない比丘
怠ることなく清く生きる彼を
神々は賞賛する(366)



○この詩の蛇足

 ダンマパダの詩はいろいろな切り口で、私たちが幸せになる方法を教えてくれます。今回は、先ず、満足する能力を身に付けるということです。たしかに、何事にも満足できれば幸せです。赤ちゃんの行動を見ていると、何にでも興味を示し、面白がっているようです。少し大きくなると、嫌、嫌と言い始めますが、赤ちゃんはそうではありません。少し、理屈ぽく言うと、満足する能力は初めにあって、後から嫌がる能力がつくのかもしれません。

 それから、だんだん、自分の物と他人の物を比較するようになります。比較して、他人の物が自分の物より良いと感じると、他人が羨ましく思うのです。逆に、自分の物が良いと思うと、優越感を感じます。同じだと思うと、安心するのです。このように、他人の物と自分の物をいつも比較するようになるのです。赤ちゃんにはなかった比較するという習慣が、大きくなるにつれて、だんだんできてきます。

 比較する人の心は、落ち着きません。良いか悪いか、優越か劣等か、満足か不満か絶えずゆれます。このように、「 他人が得たものを羨む比丘は」は心の安定はないのですから、「禅定には達しない」のです。

 「たとえ得たものは少なくとも 自分が得たものを軽んじない比丘」は比較しない比丘なのです。このような比丘は「 自分が得たものを軽んじない比丘」なのです。このような比丘は何事にも満足しているので、心は安定しているのです。心が安定している人は物事を正しく見ることができるのです。物事を正しく見ることができる人は満足しているのです。そのような人は、めったにいないのですから、神々も賞賛するでしょう。


○前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200811/article_3.html
 得たものは少なかろうと満足し清らかな比丘賞賛される


○この詩のパーリ語原文

365.
サラーバン   ナーティマンニェッヤ
Salābhaṃ     nātimaññeyya,
自己の所得を  ない 軽んじる
ナーンニェーサン ピハヤン チャレー
nāññesaṃ       pihayaṃ  care;
ない 他人の物に  羨望を  行う
アンニェーサン ピハヤン  ビック
Aññesaṃ      pihayaṃ  bhikkhu,
他人の物に    羨望する 比丘は
サマーディン ナーディガッチャティ
samādhiṃ    nādhigacchati.
禅定に     ない 到達する
366.
アッパラーボーピ    チェー ビック
Appalābhopi        ce    bhikkhu,
少ない所得といえども もし   比丘が
サラーバン   ナーティマンニャティ
salābhaṃ     nātimaññati;
自己の所得を ない 軽んじる
タン ヴェー デーワー パサンサンティ
Taṃ  ve    devā    pasaṃsanti,
彼を 実に  神々は  賞賛する
スッダージーヴィン アタンディタン
suddhājīviṃ      atanditaṃ.
清浄な生活をする  怠けない

〇他の人のもらったものを羨んで心を揺らす比丘に定はない(355)
〇得たものは少なかろうと満足し清らかな比丘賞賛される(356) 

~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~

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2009年第5回初期仏教一日体験会
「幸福」の道は「友情」で完成する
~お釈迦さまが称賛する「善き仲間」とは~
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会場 銀座ブロッサム(銀座中央会館)
参加費 1,000円(当日支払い)要予約,先着900名
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この記事へのコメント

あっきん
2009年09月10日 00:15
こんばんわ。
ある長老から、在家者にとハンドタオルを頂いた事がありました。長老は袋から取り出し私の番になった時、手にしていたのはピンク色のタオルでした。偶然かな?
色を選別していた様子は感じられませんでした。
仏教では偶然という事はないそうで、カルマだと私的、勝手に思ったのでした。このプログに接しているのも何かの縁でしょうか。私の家は無宗教で仏教をする環境ではなく知識もゼロ。そんな私に仏教に縁あるんだよと協会のメンバーが教えてくれました。いろいろな人から学び得てます。10/10のお釈迦さまが称賛する「善き仲間」とは機会(カルマ)があればぜひ行きたいですね。ありがとうございました。
2009年09月10日 05:55
ワンギーサさん、おはようございます。幼かった頃、夢中になって家中に落書きしたのを思い出します。実に楽しかったおもいでです。今でも真に楽しんでる時は他と比較したりしません。何かに没頭してると周囲が全く気にならないものです。周囲が気になり、更に比較したり嫉妬したりすれば、自分が「つまらない」と感じてる。ということだと思います。これはさまざまなバロメーターになりますね。瞑想会で人のことが気になることがありました。それは「眠っていた」証拠です。「やってるつもり」はやはり誤魔化せないものです。有難うございました。
髙橋優太
2009年09月10日 18:30
ワンギーサ先生、皆様、今晩は。
最近、なかなか満足した生活が送れていると思います。ワンギーサ先生、皆様のおかげです。三宝に帰依いたします。ありがとうございました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年06月17日 07:49
職場で、手土産を持ってきた方がいる時、その贈り物が自分にはないのを知ると、心が曇りそうになります。そんな事で心を汚す事が無いように戒めています。
また、贈り物がないと態度が変わるようになったら人生終わりだなと感じています。
贈り物が無くても・あっても、また贈り物をねだる様な事は決してせず、どのような状態でも態度が変わらず一定で、心の浮き・沈みのない生き方を目指したいです。

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