この人生で重荷下ろして束縛を解放した人彼はバラモン(402)

ダンマパダ 第26章 バラモン 402

この世において自分の
苦の滅尽を知り
重荷をおろし、束縛を解いた人
彼を私はバラモンと呼ぶ


〇この詩の蛇足

 先日、10月10日に2009年 第5回初期仏教一日体験会がありました。その時、スマナサーラ著「仏教の『無価値論』」という施本が配布されました。この本は2001年に京都の宝泉寺で「初期仏教宿泊瞑想実践会」でスマナサーラ長老の説法を施本にしたものですが、絶版になっていたのです。このたび改定再版されたのです。

 この本の副題は「ゴミの宝物を捨てて、進むべき道・・・・・」です。その内容のほんの一部を紹介しましょう。

(以下引用)
 「価値」とは実際にあるものではなく、われわれの概念からでてくるもう一つの概念です。価値の世界は、具体性はほとんどない、頭の中に生まれる抽象的な概念なのです。わかりやすく言えば妄想です。・・・・・

 ダイヤだけでなく、世の中のすべてのものに人間は価値をつけるのです。この価値というのは概念のみです。「ただの概念だから、ほっといてもよいのではないか」と思って、落ち着いているわけにはいきません。この「価値」が、執着をつくるのです。束縛をつくるのです。自由を奪うのです。他に害を与えるのです。他を殺すのです。他に殺されるのです。争いを起こすのです。戦争を起こすのです。憂い、悲しみ、悩み、苦しみを生むのです。この「価値」が、安らぎに、平和に、平安に、解脱に、厚い蓋を被せているのです。・・・・・

 仏教は、人間の限りない苦しみの原因は、この価値観にあると説いています。価値観はこころにあるもので、ものにあるのではないのです。価値観から解放されたら、それが悟りの境地です。われわれの普段の生き方というものは、価値観から離れる道ではなく、強引にでも、無理やりにでも価値をつけることです。いわゆる苦しみが増える生き方です。・・・・・

 われわれは瞬間瞬間、変わっていって、歳を取って死んでしまう。この世の中で、何ひとつも私のものにはなりません。この体さえも、私のものにはなりません。この体の面倒をいくら見てあげても、体は好き勝手に変化し、変わって、老化して死に至る。どうにもならない。体のことを悩んでみても、心配してあげても、川のように流れて変わってしまうのだから。ばかばかしい。・・・・・
(以上引用)

 以上引用したように、私たちの価値観が、人生の重荷であり、束縛であり、苦しみの原因なのです。そのことを悟り、価値観を捨てた人は阿羅漢であり、バラモンと呼ばれる人なのです。

 尚、初めに紹介した施本「仏教の『無価値論』」は、日本テーラワーダ仏教協会の事務局に依頼すれば送付してくれると思います。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200812/article_10.html
 この人生で重荷下ろして束縛を解放した人彼はバラモン

〇パーリ語原文

402.
ヨー ドゥッカッサ パジャーナーティ
Yo   dukkhassa  pajānāti,
人   苦の    了解する
イデーワ カヤマッタナー
idheva   khayamattano;
ここだけ 滅尽 自己の
パンナバーラン  ウィサンユッタン
Pannabhāraṃ    visaṃyuttaṃ,
重荷下した人を  離縛した人を
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ  brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ   バラモンを

〇この人生で重荷下ろして束縛を解放した人彼はバラモン(402)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年10月15日 05:27
ワンギーサさん、おはようございます。「仏教の「無価値論」」の一部引用有難うございました。今は手元にありませんが、いずれ読んでみたいと思います。「街作り」という言葉があります。地元商店街やNPO法人、そして行政などが参加して今後の街をどうするか?の「決まり文句」みたいなものです。コンセプトと称して「付加価値の創出」「他との差別化」という文言がよく出てきます。利便性など実質的なものでは人の心は動かせないから、何かイメージのようなもので気持ちを引こうという発想のようです。そして、イメージは雑誌やテレビなどのメディアによって周知化されていきます。扇動されて動く人が多いからです。街中で育ったため、とても哀れに思えるときがあります。それは俗っぼい表現をすれば、裏事情に精通して実態を知ってるからです。仏教の立場からすれば、イメージによって街中をさまようがごとく、私たちは人生をさまよっているのかもしれません。施本の内容はわかりませんが、人は実質より「価値」の世界に生きるのかもしれません。「価値」は流動的なので、失望や競争の原因となるでしょう。有難うございました。
あっきん
2009年10月15日 07:30
おはようございます。
毎日、単調な生活。朝起きて、仕事に行き帰宅するとPCを見たりして。そのなにげない積み重ねが、10年、20年と月日が経ってしまうのだろう。その間なにをしていたかが、大切だと思うこの頃であった。
またダイヤに価値をつけようが、つけなくてもその人の勝手です。本物・本質を読む能力を身に付けたいです。
その為には、瞑想大切。さてと動き出します。
生きとし生けるものは幸せでありますように
PUN
2009年10月15日 08:40
おはようございます。歩く瞑想一時間終了いたしました。欲、怒り、無知という重荷を捨ててゆき、毎日仏道修行させていただきたいと思います。生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年07月03日 08:12
本文の「私たちの価値観が、人生の重荷であり、束縛であり、苦しみの原因なのです。そのことを悟り、価値観を捨てた人」が智慧で分かるように、冥想実践して参りたいです。

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