この世では欲望はなくあの世にも期待持たない彼はバラモン(410)

ダンマパダ 第26章 バラモン 410

この世にもあの世にも
期待を持たない
欲から離れた人
彼を私はバラモンと呼ぶ



〇この詩の蛇足

 現代日本では、輪廻転生を本当に信じている人は少ないと思います。しかし、インドやスリランカ、ミャンマー、タイなどの国々では輪廻を信じている人の方が多いのです。但し、輪廻についての理解は、ブッダの説かれてた内容とかなり異なっている場合が多いものと思います。ブッダは変わらぬ魂が輪廻するとは教えていないからです。

 日本でも昔は輪廻を信じていた人は多かったようです。生まれ変わりを信じている人々は、この世が不幸だったとしても、新しく生まれ変わった時、幸せな状態に生まれ変わりたいと望むのです。

 ブッダの教えは、この世で幸せになるように、また生まれ変わっても幸せになる生き方を教えています。しかし、ブッダの教えはそこにとどまらないのです。ブッダは、この世の幸せも、あの世に幸せも、限界があることを教え、究極の幸せは輪廻を乗り越えて、涅槃に達することを目指すべきであると教えているのです。

 しかし、かなりの人々は、この世での幸せであればいい、あの世でも幸せであればいいと、この世の欲望を満たそうとし、あの世の幸せを期待するのです。ブッダの教えを本当に理解した人のみが、この世での欲望を捨て、あの世に期待することがないのです。その人は涅槃に達することができるのです。彼はバラモンなのです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200812/article_18.html
 この世では欲望はなくあの世にも期待持たない彼はバラモン

〇パーリ語原文

410.
アーサー ヤッサ   ナ  ウィッジャンティ
Āsā      yassa    na   vijjanti,
期待が    その人の ない  見出す
アスミン ローケー  パランヒ  チャ
asmiṃ   loke     paramhi   ca;
この    世で   あの世で  また
ニラーサヤン ウィサンユッタン
Nirāsayaṃ   visaṃyuttaṃ,
期待のない  離れた
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ  brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ   バラモンと

〇この世では欲望はなくあの世にも期待持たない彼はバラモン(410)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年10月23日 04:03
ワンギーサさん、おはようございます。ブッダの超越した智慧の世界はわかりません。ただ、人間のレベルを遥かに超越した智慧で語られている。ということはここ数日のダンマパダでも思うことです。「輪廻転生」については、そんなブッダが語られているのだから間違いないだろう。と今のところ思ってます。現在、自力で理解出来るのは、体重80㎏の若者が事故死したとして、その「心」のエネルギーは決して「無」にはならない。という程度です。原理的に「無」にはなりえません。形を変えるから「無」に見えるだけです。しかし、仮にそうだとしても「天界に転生した」「餓鬼に生まれ変わった」というのはわかりません。ブッダがよく人の「過去世」を観られますが、私もそのような智慧があればな~と思う時があります。ただ、凡夫にとって、輪廻転生は強欲な期待になりかねないし、幻覚を見たら致命的です。またインチキ宗教、詐欺師のかもになるかもしれません。だから、徹底的に「理性」的に生きるということがまずは先決だと思いました。最初の一歩は道徳から。何故なら現にこうして現在を生きてるからです。有難うございました。
2009年10月23日 04:22
それから「幸福の基準」をどこに置くか?という点が極めて大切だと思うのです。長生きで健康、仕事をバリバリこなし才能豊かで人望も厚く、社会的地位や名誉もあり、財産にも恵まれている。…このようなことを「幸福」だとすると、ほとんどの人が「あの世」で幸福になりたいと思うのでしょう。しかし、自分の「煩悩」をなくす。ということが「幸福」であれば「あの世」は怖く感じます。そんな保証がないからです。
2009年10月23日 04:38
「幸福の基準」をどこに置くか?という点が極めて大切だと思うのです。長生きで健康、仕事をバリバリこなし才能豊かで人望も厚く、社会的地位や名誉もあり、財産にも恵まれている。…このようなことを「幸福」だとすると、ほとんどの人が「あの世」で幸福になりたいと思うのでしょう。しかし、自分の「煩悩」をなくす。ということが「幸福」であれば「あの世」は怖く感じます。そんな保証がないからです。「あの世」も見たい、聞きたい、という五欲ならばダメでしょう。失明してる人は見たいかもしれません。しかし目が見えれば「見たくない」ものまで見るハメになります。綺麗なものだけ見てられるか?景色にしても桜にしても「あっちの紅葉が素晴らしい。桜の名所を探そう」と皆苦労してます。男性なら女性の姿に悩むハメになるかもしれません。また、常に同じレベルで「美しく綺麗」なら、飽々してしまうでしょう。飽々するために「あの世」に期待しても理不尽なだけです。飽々しないためには「違い、変化」が必要ですが、何かを選択すれば何か「嫌な」ものがあるはずです。これが「幸福か?」と言えば、結局この世の発想とあまり変わりません。有難うございました。
髙橋優太
2009年10月23日 08:29
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
今日は街に行く予定なので、久し振りにスマナサーラ長老の本を、買わせていただこうと思います。あるいは、法話DVDを買わせていただこうと思います。最近は友人との食事などにお金を使っていましたが、充実感はありませんでした。
へやでプーさん
2009年10月24日 20:19
期待を抱かないことは、善くも悪くもこの世のありのままの姿を受け入れるともいえそうです。ただ、ありのままの姿とは、どんな姿なのか考えるのが問題です。自分の思考も、他人の言動もできる限り観察して、ダルマに照らし合わせると智慧が育つ気がします。
身の丈修行者
2015年07月05日 15:05
「来世に期待して・・」の言葉はしばしば耳にする時があります。ですが来世に人間に生まれるかどうかは分からないのでは・・と感じる時もあります。
本文の「この世での欲望を捨て、あの世に期待することがない」が智慧で分かるように精進したいです。

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