清らかな満月のように淡白で歓喜を望まぬ彼はバラモン(413)

ダンマパダ 第26章 バラモン 413

曇りのない清らかな月のように
清浄で淡白であり
歓喜と生存を望まない
彼を私はバラモンと呼ぶ



〇この詩の蛇足

 村上真完・及川真介著「パーリ仏教辞典」(春秋社)が最近出版販売されました。この辞書はすばらしいものです。この辞書は日本語らしい訳語が出ているのです。例えば vimala は今までの辞書には「曇りのない」という訳語はなかったのです。前後関係を考えて、日本語に相応しい訳語を考えますが、やはり辞書にない言葉を使うのは勇気が必要なのです。しかし、辞書にある訳語であれば安心して使えます。

 実は昨年、この詩に関して、毎日コメントをしてくださる新さんが、「曇りのない」の変わりに私は「汚れのない」という訳語を使いましたが、少し違和感があったようです。今回は「曇りのない」と訳にして良かったと思います。

 「この詩の蛇足」を書くとき、前回の「この詩から学ぶ」ことを再読しますが、これも度々コメントしてくださる才木広之 さんに「解説を書いて、余計に分からなくしてどうする」と言われるような場合でなく、まあまあ悪くないかなという場合は前回の文章を再掲させて頂いています。という訳で、今回も前回の「この詩から学ぶこと」を再掲載いたします。

 以下2008年12月21日「この詩から学ぶこと」より

 皆さんはどのような人生を望んでいますか。最近は不況、景気が悪化して、企業の倒産やリストラがあるため、仕事が見つかればいい、住む場所があればいいなど、あまり派手な人生を望む人が、少なくなっているかもしれません。

 しかし、私たちの欲望を刺激するテレビコマーシャルや番組が多く放映されますから、不必要なものや贅沢なものが欲しくなったり、面白、可笑しく生きて生きたいと思う人は多いのではないかと思います。

 ところが、釈尊が指摘される通り、生きていることは苦しいのです。楽ではないのです。欲望は常に増え、満たされることがありません。そのため私たちいつ も欲求不満なのです。また、人間は皆自己中心主義者ですから、そして自分も自己中心主義者ですから、必ずぶつかります。人間関係は上手くいきません。心に はいつも怒りが溜まっています。智慧はありませんから、解決方法は見つかりません。面白、可笑しくは生きてはいけません。

 釈尊は次のように教えています。不満をなくすためには欲を少なくする必要があります。人間関係を改善するためには自己中心的な考え方を止める必要があります。また人生の諸問題を解決するためには智慧を開発する必要があるのです。

 今回の詩を何度か読んで、イメージを作ってみて下さい。雲がかかってない満月を想像して下さい。赤っぽい月もありますが、この詩の場合は青白い月のよう 思います。そして、「歓喜の生活を望まない人」と言われると、どうでしょうか、皆さんがあんまり成りたくない人ではないかと思います。

 この人は大いに喜び、大いに楽しむ、また大笑いしたりしている毎日を送っているようには思えません。毎日、静かに生活し、笑うと言ってもそっと微笑むく らいです。これは私の勝手なイメージですが、皆さんは刺激の多い生活になれていますから、このような生活は物足りないと思うのではないかと思いす。

 しかし、釈尊はこのような人をバラモンと呼ぶと仰っています。私はバラモンの内心は分かりません。バラモンの内心は私が想像するものと全然違うかもしれ ません。でも外観はそのように見えるのではないでしょうか。仏教を学ぶ人は人生を期待、願望で見るのではなく、ありのままの生活を観察して、如何に生きる か考えるべきではないでしょか。釈尊はその答えを教えています。実践するかどうか決めるのは私たちです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200812/article_21.html
 清らかな満月のように淡白で歓喜を望まぬ彼はバラモン

〇パーリ語原文

413.
チャンダンワ ウィマラン スッダン
Candaṃva   vimalaṃ   suddhaṃ,
月 ように  曇りのない  清浄な
ウィッパサンナマナーウィラン
vippasannamanāvilaṃ;
安静な 明るい
ナンディーバワパリッキーナン
Nandībhavaparikkhīṇaṃ,
歓喜と生存を滅尽した
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ  brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ   バラモンと


〇清らかな満月のように淡白で歓喜を望まぬ彼はバラモン(413)

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

才木広之
2009年10月26日 01:17
生きとし生けるものが幸せでありますように

これが私の全てです

あとは生きているのだから、生きている以上、生きている間は無知を克服するだけです。そう思いませんか。

後は、確実に、死はやってきてくれるのだから、それでこの生が、最後の生になるということです

生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年10月26日 03:22
ワンギーサさん、おはようございます。新型インフルエンザ騒ぎじゃありませんが、どんなに科学技術や医学が進歩したと威張っても、「苦しみ」自体は2500年前と変わりません。蛇足ですが、西洋的価値観で育ってきた側面があるので、蛇足を読むとニーチェの指摘したルサンチマンや二ヒリズムを連想してしまうかもしれません。しかし、「禁欲主義」と「欲を減らす」こととは全く別物だと思うのです。言いたいのは仏教に対する「誤解」のことです。「笑顔」について興味深いことが書かれていますので、紹介させて頂きたいと思います。『テーラワーダ仏教の実践』(ポー・オー・バユットー著)p38「本を読んだ人たちは、仏教というものは何を教えるにしても、人生は苦であり、不快なものだと、理解しているかもしれません。しかし、本を読まずにただ「タイは仏教国」とだけ知って、ふらりとタイへやって来たは、タイの人たちを見ると、スマイルの国と呼ばれるにふさわしく、明るい笑顔を作っていて、タイ国は幸せな国だなと感じるのです。略…いつも深刻な顔だけで笑顔を見せず、苦悩が多くて精神を病んでいる西洋の国とは逆なのです。」(続く)
2009年10月26日 03:56
(続き)p42「短く言えば、仏教は苦を覚知し、幸せに生活することを教えます。それをもっと短くすれば、「仏教は苦を観て、楽を与えること」を教えるのです。観るための苦、生きるための楽です(太字です)。ですから、仏教は楽の宗教であり、苦の宗教とみるべきではありません。西洋人は正しく把握してないのです。誤解してます。」…以上、私が実践に仏教国に足を運ぶ機会がなかったので引用させて頂きました。もちろん、仏教徒の全てが阿羅漢ではないのでしょうが、普通に暮らす人々も心穏やかであれば、それが真の「幸せ」ではないでしょうか。解脱というと何か神秘的ですが、どんなことがあっても「心穏やか」なのが「バラモン」と想像してます。冒頭でインフルエンザのことを書きましたが、医学や科学の発展自体は素晴らしいことで、決して否定されるべきでないのは当然のことと思います。ところが、そんな現代知識から見ると、素朴で簡単そうで、その実恐ろしく「深遠」のが「初期仏教」の教えだ。とことある機会に痛感しています。本当に自由で「信仰宗教」じゃないですよ(笑)。「証拠宗教」ですね。有難うございました。
2009年10月26日 06:20
ご紹介いただいた『パーリ仏教辞典』、近日中に購入したいと考えてます。有難うございました。
ときこ
2009年10月26日 16:27
ワンギーサ様
 今回の訳文で「歓喜と生存を望まない」のところが、前回では「歓喜の生活を望まない人」とありました。この違いについて、もう少し解説が頂きたく思います。
ワンギーサ
2009年10月26日 20:43
ときこさんへ。
 訳文を変更した直接的理由は「パーリ仏教辞典」にそのように書いてあったからです。昨年は「生存を望まない」とは書きにくかったからです。しかし、阿羅漢は生存の渇愛も滅尽していますから、「生存を望まない」とした方がよいと思い変更しました。
ときこ
2009年10月26日 22:29
ワンギーサ様
 お返事有難うございます。 合掌
身の丈修行者
2015年07月06日 07:47
私事で恐縮です、職場で期待される仕事が出来ず・態度の大きい新人の対応に困る時があります。辞められては困るのでとこちらが態度を低くし文句を言われながら対応する中で、疲弊する事があります。
好き・嫌いで自分の心を曇らせるのではなく、淡白にして引きずるような事がなく、ものにならないなら(この職場では)無理という事も視野に入れ、智慧を持って接して参りたいです。

この記事へのトラックバック