人生の障害難路乗り越えて涅槃に達した彼はバラモン(414)

ダンマパダ 第26章 バラモン 414

この障害、難路、
輪廻、迷いを乗り越えて
彼岸に到った冥想者
動揺のない疑惑のない
執着のない涅槃に達した人
彼を私はバラモンと呼ぶ


〇この詩の蛇足

 人生は楽ではないということです。楽なこと、楽しいこともありましたが、やはり苦しいことが多かったのではないでしょうか。私は年寄りですから過去を振り返ってみるとそう思います。若い人々は将来に楽しいことがたくさんあるように思うでしょうが、なかなかそうはいきません。もっとも最近は若い人々も将来を明るく夢見るとはいかなくなっているようです。目先は受験や就職それらは非常に厳しいようです。いつの時代もそれが現実です。

 しかし、どんな苦しみも自分自身が作り出していることなのです。このことはなかなか気づけないことです。このことに気づけば人生は楽になります。自分で作りだした苦の原因を止めればいいのですから。

 多くを望まない少欲の人には、物が充分になくとも満足できて、苦しいとは思いません。その人は、障害や難路はのり越えているのです。輪廻は、なんとしてでも生きていたいと思う人が、繰り返すことですから、この世に未練ない人は、輪廻を乗り越えているのです。

 真理が分からない人は迷います。ヴィパッサナー瞑想をして智慧を開発し、真理を見た人は迷いません。真理を体得した人は、動揺のない、疑惑のない人です。この人はこの世に執着すべきことはないことを知っていますから、すべての執着を捨てて、涅槃に達した人なのです。彼は阿羅漢であり、バラモンなのです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

http://76263383.at.webry.info/200812/article_22.html
 人生の障害難路乗り越えて涅槃に達した彼はバラモン

〇パーリ語原文

414.
ヨーマン  パリパタン ドゥッガン
Yomaṃ   palipathaṃ  duggaṃ,
人はこの  障害を   難路を  
サンサーラン モーハマッチャガー
saṃsāraṃ    mohamaccagā;
輪廻を     迷いを超え
ティンノー パーラガトー  ジャーイー
Tiṇṇo    pāragato     jhāyī,
超えた   彼岸に到った  瞑想者
アネージョー アカタンカティー
anejo       akathaṃkathī;
不動の     疑惑のない
アヌパーダーヤ ニッブトー
Anupādāya     nibbuto,
執着なく      寂滅した
タマハン ブルーミ ブラーフマナン
tamahaṃ  brūmi   brāhmaṇaṃ.
彼を私は 呼ぶ   バラモンと

〇人生の障害難路乗り越えて涅槃に達した彼はバラモン(414)


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年10月27日 06:07
ワンギーサさん、おはようございます。何としても生きていきた~い。という「渇愛」をなくしたいと思います。せめて薄めたい。有難うございました。
ときこ
2009年10月27日 11:15
ワンギーサ様 コメントを残されている皆様
 最近このブログを拝読するようになりましたので、〝前回の「この詩から学ぶこと」〟も、参考にさせていただいております。学ぶ事、共感する事、反省する事もあり、清々しい時を過ごさせていただいています。有難うございます。
 ワンギーサ様の、今回の「どんな苦しみも自分自身が作り出していることなのです」の、お言葉には特に胸にしみました。有難うございました。前回にも「なるほど」の気持ち玉に一票いたしました。 合掌
あっきん
2009年10月27日 12:14
替歌です。♪ 人生楽ありゃ苦もあるさ 涙のあとには虹も出る 歩いてゆくんだ~ しっかりと~ ヴィッパサーナ瞑想で気づきをふみしめて 解脱の道を歩むんだ♪水戸黄門さま時代は、印籠が価値あるものだったようですね。共感する歌ですが生きる事には、さほど価値が無い。それより心をキレイにして必要とされるような人になりたいです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
身の丈修行者
2015年07月07日 07:44
本文の「ヴィパッサナー瞑想をして智慧を開発し、真理を見た人は迷いません」の言葉心に響きます。
自分のわずかな実践では、冥想で真理を見れる・・には程遠い気が致します。言葉・認識・概念の知識で多少把握できているとしても、それが智慧になる・・と言う事が実際の智慧で分かりません。
実践あるのみと毎日を大切にして参ります。

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