14.守られた心には欲の誘惑が現れない

ダンマパダ 第1章 ひと組 13、14

粗雑に葺(ふ)かれた家屋からは
雨が浸入するように
修められてない心には
貪欲が入り込む

よく葺かれた家屋からは
雨が浸入しないように
よく修められた心には
貪欲が入り込まない



〇超訳の試み

粗雑に作られた屋根から
雨が漏るように
守られてない心には
欲の誘惑が現れる

丁寧に作られた屋根から
雨が漏らないように
守られた心には
欲の誘惑が現れない


〇子供のためのダンマパダ

ほしいおもちゃを
一人で持つと
仲良く遊べない

ほしいおもちゃを
貸してあげれば
仲良く遊べる

どっちを選ぶかな?


〇一口メモ

 仏陀の言葉は、私達の常識、固定観念を破るものなのです。ダンマパダの1番、2番では「なにごとも心から始まる」と述べられています。多くの人々は、「なにごとも神の意思から始まる」と思っていたのでした。今もそのように思っている人々は多いのです。

 しかし、仏教では、心から始まり、心が主役です。ですから、人間が幸福になるのも不幸になるのも、神しだいではなく、心しだいなのです。心を守る必要があるのです。心を欲の誘惑から守る必要があるのです。心が欲の誘惑に負けるとろくなことにならないのです。この詩は修行の必要性が説かれているのです。

 修行といえば、ヴィパッサナー瞑想です。そのことについてスマナサーラ長老のこの詩に関する説法に詳しく書かれていますから、是非お読み下さい。


〇スマナサーラ長老のこの詩の関する説法

「心のワクチン」 ~苦しみ、悩みという病気に患(かか)らない為に~
 http://www.j-theravada.net/howa/howa7.html

〇前回の「この詩から学ぶこと」

粗雑に葺かれた屋根は雨が漏る修行しないと欲望増える
 http://76263383.at.webry.info/200901/article_7.html

〇パーリ語原文

13.
ヤター アガーラン ドゥッチャンナン ウッティー サマティウィッジャティ
Yathā   agāraṃ    ducchannaṃ,   vuṭṭhī     samativijjhati;
ちょうど 家屋を    粗雑に葺いた  雨が     浸入する
エーワン アバーウィタン チッタン ラーゴー サマティウィッジャティ
Evaṃ    abhāvitaṃ    cittaṃ,   rāgo     samativijjhati.
そのように 修められない 心を   貪欲が   浸入する
14.
ヤター アガーラン スチャンナン ウッティー ナ サマティウィッジャティ
Yathā   agāraṃ    suchannaṃ,  vuṭṭhī    na   samativijjhati;
ちょうど 家屋を    よく葺いた  雨が   ない  浸入し
エーワン スバーウィタン チッタン ラーゴー ナ サマティウィッジャティ
Evaṃ    subhāvitaṃ    cittaṃ,  rāgo    na   samativijjhati.
そのように よく修められた 心を  貪欲が  ない 浸入し


〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp7-14.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

才木広之
2009年11月11日 00:02
有り難い言葉、心もそのように、分かち合いたいものです

生きとし生けるものが幸せでありますように、といつも、いつも願っております。どうぞよろしくお願いします

2009年11月11日 03:30
ワンギーサさん、おはようございます。何故に神を信仰するのか。長老の初心者指導を受ける前後にあるクリスチャンの講演会に参加したことがあります。「さあ、あなたの心を見つめて下さい。ゆっくりと。…神があなたに現れます。」自己暗示の類ですが、しかし「気分がとても良かった」です。ストレスから解放されました。実は「怠け、依存」の極地。強い自己放棄、責任放棄による「安心感」です。その意味で日頃のストレスを麻薬で解消するのと本質的に変わらないのかもしれません。ただ「神」の場合、直接人体に影響はないし、存在が不確かなので「安全」のように思われているだけかも。そんな体験をしたのはそれが最初で最後ですが、問題とすべきは、生活の中に潜む「神」だと思います。先述した「神体験」も「悪いのは自分じゃないんだ」が土台になってます。欲の正当化です。しかし、これはよくある思考パターンではないでしょうか。誤解を恐れず言うなら、仏教徒の中にも「神様」が潜んでいるはずです。「神」の概念がつまるところ「無知、自我愛」を守るためなら、「仏教実践」でそれを破っていくしかないと思います。有難うございました。
2009年11月11日 03:54
上記コメント、「怠け、依存」の極致の誤字でした。つまり、本来「自立」を促す「仏教」も「依存」すると、「神格化」現象が起きてしまうのではないか。という意味です。それは「ブランド依存」「ブランド安住」志向に似ていると思うのです。その辺に、つまり自分の心に巣を作っている「神的」要素を排除して、最終的に「自立」できればな~と思います。
林田明大
2009年11月11日 14:42
 田辺聖恵師の「三宝聖典」、水野弘元教授の「南伝大蔵経」からの抜粋とのこと、を入手しました。1991年に自費出版されたもので、非買品です。
 1冊お贈りしたいのですが、どうしたらいいでしょうか。私書箱か、どこかの存じ寄りの会社宛にでもできればお送りします。
 また、サラっとでもいいですから、お目を通していただき、ご感想を拝聴できればと思います。
 なお、田辺師のプロフィールは、まだ落手しておりませんので、追って送らせて頂きます。
 是非、お贈りしたいのですが、ご都合はよろしければ、ということで・・・。
 お騒がせいたしました。
ワンギーサ
2009年11月11日 17:23
林田明大 先生
御申し入れ、ありがたくお受け致します。
送り先住所は以下の通りです。
〒151-0072
東京都渋谷区幡ヶ谷1-23-9 ゴータミー精舎内
  ワンギーサ
尚、個人メールアドレスは vangiisa@j-theravada.net
でございます。
いつも、丁寧なお心使いありがとうございます。
三宝の御加護がありますように。
まさこ
2010年07月17日 06:34

私も、キリスト教の教会に行ったことあります。
だけど、ダメでした。心、治りませんでした。
今回は、頑張ります。
身の丈修行者
2015年07月12日 08:28
本文の「心を欲の誘惑から守る必要があるのです。心が欲の誘惑に負けるとろくなことにならないのです」心に響きます。まさにその通りと思います。
心の感じている事の冥想実践を行い、心を守って参りたいです。
たか坊
2016年06月01日 14:14
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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