30.不放逸は賞賛され放逸は非難される

ダンマパダ 第2章 不放逸 30

帝釈天は不放逸によって
神々の最高位になった
不放逸は賞賛されて
放逸は常に非難される



〇超訳の試み

マガ青年は気づきを続けて
神々の王である帝釈天になった
気づきある人は誉められて
気づきない人はいつも非難される


〇子供のためのダンマパダ

マガという青年はいつも
自分の行いに注意して
自分の行いを正していました
それで神様たちの王様になったとさ



〇一口メモ

マガ青年はどんなことに注意していたのでしょうか? 
先ず、生き物を殺したり、いじめていないかどうか。
もらったものでないのに、人のものを取ったかどうか。
みだらな行いをしなっかたかどうか。
うそを言わなかったかどうか。
お酒や麻薬など酔ってしまうもの飲まないように注意していました。

自分の行いを注意していると頭がよくなります。
上に書いてた道徳を守ると人から信頼されます。
人から信頼されると幸せな気持ちになります。
人から信頼されるとリーダーになって下さいと頼まれます。
そのようにして、マガ青年は神様たち王様になったのです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

帝釈天は不放逸で神々の最高位になり賞賛された
http://76263383.at.webry.info/200901/article_16.html

〇パーリ語原文

30.
アッパマーデーナ マガワー
Appamādena      maghavā,
不放逸によって   帝釈天は
デーワーナン セッタタン ガトー
devānaṃ     seṭṭhataṃ  gato;
神々の      最勝に  行った
アッパマーダン パサンサンティ
Appamādaṃ    pasaṃsanti,
不放逸を     賞賛する
パマードー ガラヒトー  サダー
pamādo    garahito    sadā.
放逸は    非難される 常に

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp24-32_V2.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年11月19日 22:07
それでいいだよ、今のあなたでいいんだよ、ただ次の瞬間は少しでも、心が成長できればいいんだよ。今ある自分は認めてしまえばいいんだよ。だって過去の自分だもの認めるしかないよね。認め続けたらいいんだよ自分のことを。そうすれば少しずつ変わっている自分がいるんだよ。ありのままの自分を見れたらそれでいいんだよ。自分の存在を疑いを持たず完全に認めたらいいんだよ。認めた時点で変わっているんだよ。

生きとし生けるものが幸せでありますように。

自分のことわかろうと思えば、まずは完全に自分の存在を認めること。こうではだめだ、こんな自分ではないと思ってたら変われないんだ。ずっと堂々巡りになってしますんだ。だから自分の存在を完全に認めよう。その方法は生きとし生けるものが幸せでありますようにと念じることです。この人を誰も否定できませんからね、一日中念じていれば、だれからも否定されません。そこは疑いを持ってはいけないところで、他からも、時からも否定されない自分がそこにはあるのです

生きとし生けるものが幸せでありますように
才木広之
2009年11月19日 22:10
あわてっちゃった。

時のところは、自です。覚えておいてね

生きとし生けるものが幸せでありますように
2009年11月19日 22:51
ワンギーサさん、今晩は。「八戒」を守るにあたって、気づいていなければならないことは勿論ですが、色々な発見がありました。何故「八戒」を敢えて毎日やってるかと言えば、身の行為は白黒はっきりしているのがひとつ。「食」の必要最低限を知るのがもうひとつです。身を厳しく制御することで「心」本来の悪が牙をむいてきます。例えば、「在家は経済活動できる」は正しいですが、「在家は毎日八戒を守る必要などない」というのは詭弁でした。一切の性的行為から離れ、正午を過ぎたら食事をとらない。というのは「本質的に出家者のやることで、在家は適当にやればよい」と思ってました。しかし、在家者である、ということは「八戒を毎日守る必要はない」ことの合理的な論拠にはなり得ません。つまり、在家であることから「八戒を毎日守る必要はない」という命題は証明できません。勿論「守らなければならない」ことも証明できませんが、それまで自明としてきたことに明確な「根拠」がないことが判明しました。その意味で「戒快生活」をエンジョイしてます。有難うございました。
2009年11月19日 23:10
要するに、今までは「在家」という立場を利用して、下らない「食事」と「性的快楽」くらいは生活の楽しみのために「残しておきたいな~」と潜在的には思っていたのです。「欲」の世界から離れようとしつつも、その裏で、「心」は巧妙に「欲」の温存計画を企てていたというわけです(笑)。
身の丈修行者
2015年07月15日 07:36
本文の「自分の行いを注意していると頭がよくなります・・道徳を守ると人から信頼されます・・人から信頼されると幸せな気持ちになります」心に響きます。
そのようになれる様精進したいです。
たか坊
2016年06月10日 15:07
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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