31.不放逸を楽しみ放逸を危険だと見る

ダンマパダ 第2章 不放逸 31

不放逸を楽しみ
放逸を危険だと見る比丘は
小さな煩悩も大きなものも
火のように焼き尽くして行く


〇超訳の試み

気づいていることを楽しみ
気づいてないことは危険だと知る人は
小さな火も大火事のもとと見るように
現れた煩悩を一つずつ消して行く


〇子供のためのダンマパダ

注意深い子は
道路に急に飛び出さない
そのように怒りたくなったとき
怒らずにまつ



〇一口メモ

 不放逸とは気づいていることに安心を感じていることです。ですから、不放逸の人は気づいてない状態は、いつ自分の心に煩悩が現れるか不安なのです。小さな煩悩も、気づかずにいると知らぬまに大きな煩悩になる可能性があるからです。

 パーリ語で、アッパマーダという言葉は、仏教用語では不放逸と訳されます。今回の超訳では「気づいていること」と訳しました。子供のダンマパダでは「注意深い」と訳しました。これらの訳からその意味を知って、アッパマーダを実践しましょう。

 「子供のためのダンマパダ」に説明を付け加えます。子供は急に道路に飛び出すことがあります。そのような時、交通事故などに合うことがあります。そのため注意深い子は自分の外側の事柄に注意をして事故に合わないようにするのです。しかし、自分の外側に注意を向けるだけでは、災難を避けることができません。自分の内側にも注意を向ける必要があるのです。

 例えば、つまらないことで、私たちはよく怒ります。怒ると、怒られた相手は気分を害します。そこで相手との仲が悪くなります。仲が悪くなればお互いに気分が悪いのです。怒っただけで自分の気分も悪くなります。そのため、その時、相手も自分も気分が悪くなるのです。ところが、怒らずに、怒りを抑えることができたならば、相手を怒らすこともなく、自分も怒らないで済ませたので、お互いに平和で仲良くいられます。特に、怒りを抑えることができたならば、それは偉大なことです。その時の心は非常に成長し強くなったのです。子供もでもそれができれば、大人の負けない強い人間です。その力は、自分の内側にも注意すること、不放逸で養成できるのです。

 その他、この詩に関する因縁物語などを、「前回のこの詩から学ぶこと」に書いてありますから、そちらも読んで下さい。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

放逸を危険だと見る修行者は大小煩悩焼き尽くすべし
http://76263383.at.webry.info/200901/article_17.html

〇パーリ語原文

31.
アッパマーダラトー ビック
Appamādarato     bhikkhu,
不放逸を楽しむ   比丘は
パマーデー バヤダッスィ ワー
pamāde     bhayadassi  vā;
放逸を     恐れと見る 又は
サンヨージャナン アヌン トゥーラン
Saṃyojanaṃ    aṇuṃ   thūlaṃ,
煩悩        微細な  粗大な
ダハン アッギーワ ガッチャティ
ḍahaṃ  aggīva    gacchati.
焼く   火 ように  行く

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp24-32_V2.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

2009年11月20日 21:42
自分に対して注意深く生きることは、大変大切なことと思います。どのようにすればよいでしょう。そうです怒らないように注意深くあることです。では怒らないためにはどうすればよいでしょう。

怒りとは自分の思いが伝わらないから、怒りとなることが多いのです。何とか伝えようと、怒ってしまっては伝わりません。伝わらないからと言って何もしゃべらなければ、怒りを内にため込みます。ではどうすればよいのでしょう。

今この瞬間に自分が行える最善のことを行うことが一つ

もうひとつ、自分の言いたいことを、見つけることです言葉にして見つけれれば怒りはなくなり、相手にあなたの言葉をこのように受け取り、このように返答したのだと、言えば、怒りにはなりません。怒りを持つ時点でわがままだということを覚えておいてください

生きとし生けるものが幸せでありますように
あっきん
2009年11月21日 00:24
よく知りませんが煩悩には沢山の数があるそうですね。森の木のように、1本、1本気づきなくしていく
新型インフルエンザで、体のことばかり意識がいってますが、心の感染にも気をつけます。


2009年11月21日 05:20
ワンギーサさん、おはようございます。「不放逸」を楽しむ。というところまではいってませんが「放逸」が危険であることは少しづつ実感できてきました。「怒り」も本来「毒」ですから、まず「自分自身」を真っ先に破壊してしまいます。「危険分子」です。これを知らないと、実感できてないと「怒って何が悪い?」という思いが常につきまとう思います。優柔不断にもなります。誰でもやはり自分が可愛いはずなので、「これはヤバイ」という自覚がまずは必要だと思います。ところで街中では刺激的な情報が溢れてます。「性的刺激」に対して「放逸」な態度をとると、後で自然に守るのがしんどくなったりします。まずは「危険である」を知ることから。という気がしてます。有難うございました。
2009年11月21日 05:59
以前紹介された施本『喜びが絶えない生き方』が12月号のパティパダとともに届きました。よく読んで勉強したいと考えております。今後とも宜しくお願いいたします。私の方でも「施本基金」にはなるべく協力していきたいと考えております。日本テーラワーダ仏教協会の皆様、有難うございました!~生きとしいけるものが幸せでありますように~
pun
2009年11月21日 10:08
おはようございます。昨日は前進座「法然と親鸞」を見させていただきました。ただ南無阿弥陀仏と唱えれば、救われる。その教えが生活苦などで修行できない民衆にとってどれほど救いになるか、その教えを見出した法然や親鸞の慈悲の深さに心打たれました。ただ、念仏よりは少しむずかしいですが、慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想の方が、私の悩み苦しみには効果的のようにも思えます。慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想という修行法を、もっとシンプルにすることは可能なのかどうか、など、いろいろ考えるきっかけになりました。「法然と親鸞」は青山劇場で12月15日までやっているそうですから、ご興味があればぜひご覧になってください。
ワンギーサ
2009年11月21日 10:59
PUNさんへ。
「慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想という修行法を、もっとシンプルにすることは可能なのかどうか、など、いろいろ考えるきっかけになりました。」このように考えることは仏陀の教えをゆがめることになります。仏陀の教える通り実践しなかれば、道を誤ります。善意からかもしれませんが、仏陀の教えをゆがめる人々がたくさんいました。また、善意といっても、心の底には八正道を正しく実践したくないという意図があるのです。そのことに気がついて下さい。PUNさん他人を救おうと考えるよりは自分をしっかりさせて下さい。
2009年11月21日 12:32
ワンギーサさん、こんにちは。愚問かもしれませんが表題の「放逸を楽しみ」は「ブラックユーモア」なのでしょうか?朝から気になっていたので…。
PUN
2009年11月21日 17:00
ワンギーサさん、仰るとおりです。私には善意などひとかけらもありません。自分をしっかりさせたいと思います。
ワンギーサ
2009年11月21日 18:18
新さん、御指摘ありがとうございました。間違いました。早速、訂正いたします。私はあまりブラックユーモアを使える人間ではありません。スリランカのお坊様方は結構きびしいブラックユーモアを使います。
身の丈修行者
2015年07月15日 07:40
コメントの「他人を救おうと考えるよりは自分をしっかりさせて下さい」心に響きます。
他人を救おうとしたとすると、自分のその救おうとする価値観に相手を合わせようとする・・ようなニュアンスも出るように感じます。
自分の修行が進む事が大事で、そしてその生き様から接して下さる事によい影響が与えるような道徳的な生き方を目指したいです。
たか坊
2016年06月11日 19:33
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック