34.心は悪魔の支配から離れるべきだ

ダンパパダ 第3章 心 34

水の棲みかから
陸に打ち上げられた魚のように
恐れおののくこの心は
悪魔の支配から離れるべきだ



〇超訳の試み

心は安らぎの世界にはなく
恐ろしい恐怖の世界にいる
心は欲望の支配する世界を出て
安らぎの世界に向かうべきだ


〇子供のためのダンマパダ

君は父母に守られているから
安心して楽しくしているでしょう
父母からはなれるとこわいでしょう
しかし、本当の敵は君の中にいるのだよ




〇一口メモ

 この詩の眼目は、心は恐れおののいている事実をありのままに理解させることにあると思います。
一部の感受性の強い人間やありのままに見ることができる人、又は明らかな危険や死の恐怖に直面した人意外には、このようには思わないのです。

 しかし、動物を見ればよく分かります。特に小動物はいつも身体を動かしています。これは心が恐怖を感じている表れです。象やライオンなどの大きく強い動物は落ち着いて、恐怖などないようにみえますが、絶えず危険がないか調べているのです。

 すべての生命は、生きていきたい、死にたくないという欲望(渇愛)があります。生きていくためには食べ物が必要です。また、自分が他の生命の食べ物にならないようにならないようにしなくてはいけません。食べ物がえられるかどうかという心配です。ない時の恐怖があります。他の生命の食べ物になるかもしれないという恐怖があります。生命の心は安心していられないのです。ですからいつも恐れおののいているのです。

 この恐怖は 生きていきたい、死にたくないという欲望が原因ですから、この欲望がなければ恐怖もなくなります。欲望の世界は悪魔に支配されていると言われていますので、この詩では欲望をなくすことを、「悪魔の支配から出て」と表現されているのです。そうすれば、恐れおののくことのない「安らぎの世界」に向かうと述べられているのです。

 「子供のためのダンマパダ」について。父母が外敵から君を守ってくれて、食事を用意してくれるので一応は安心していられるように思っているでしょうが、君を幸せにしない敵が君の心の中あることを考えて下さいということです。それは何でしょうか? 食べ物の好き嫌いはどうでしょうか。好き嫌いをすると丈夫な身体になりません。怠ける心、勉強を怠けてゲームやテレビばかりにていると頭の悪い子になります。また、すぐ怒ったり、いじわるする心が君の中にあれば、嫌われる子になります。嫌われる子になると幸せではありません。また、うそをつく心があれば、友達から信頼されません、信頼されないことも不幸です。これらの君を不幸にする敵を君の心から追い出す必要があるのです。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

棲みかから打ち上げられた魚のよう恐れる心欲から離れよ
http://76263383.at.webry.info/200901/article_20.html

〇パーリ語原文

34.
ワーリジョーワ タレー  キットー
Vārijova     thale    khitto,
魚  如く    陸地に 投げられた
オーカモーカタウッバトー
okamokataubbhato;
水から陸へ 引き出された
パリパンダティダン チッタン
Pariphandatidaṃ   cittaṃ,
おののく        心は
マーラデッヤン パハータウェー
māradheyyaṃ   pahātave.
悪魔の領域を  捨てるべき

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp33-43.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年11月24日 01:52
ワンギーサさん、おはようございます。私たちは「生きる」ということに「不感症」になっていりのかもしれません。最近では24時間スーパーがやっていて、コンビニに行けば何かを食べられます。ライフスタイルが多様化したのでニーズも様々なのでしょうが、「食」はいつでもある。という錯覚。その上で「食」の必要最低限の判断を下すのは想像以上に難しいと思いました。本来なら「理性」が主導権を握る必要がありますが、それを妨害しているのは「ちょっとお菓子でも」という「五欲」と、「死なないために何か食をとらなければ」という強迫観念的、「渇愛」です。これは「八戒」を実施してみて、「これは生きるために必要だから食べるのですか?」と自問した結果生まれてきた感覚です。所詮は恵まれた環境にある「お坊っちゃんのお遊び」だとはじめ思ってましたが、「戒」で断つことで、実感出来ました。「渇愛」を常に感じていることで、ブッダの教えを学ぶ意欲がどんどん増していきます。有難うございました。
2009年11月24日 02:29
「八戒」を無理してでもやることで、怒りやすくなることは確かにあります。それはちょうど「五戒」に反発を感じていた頃のようです。でも結果として「五戒」を守ることはよかった。まずは「実践」からだと感じてます。またこの選択はあくまで私の「自己責任」です。仏教を一からやろうとしてます。それには「戒」から始めるのがオーソドックスだと思います。「心」は実に曲者で「瞑想」では掴みづらい面があるのに気づきました。自信に過大評価をしがちなのです。「心の悪」を素直に見ようとしたくないのです。その点、身体の行為に過大評価は一切できません。性的行為をしたか否かなどははっきり自覚できます。完全に誤魔化しはききません。「戒、定、慧」。なぜ「戒」が最初にあるかの理解も深まりました。これはもっても極端な例ですが「気づきがあればAV鑑賞もいいだろう」と思ったことがあります。「気づきの乱用、悪用」です。「気づき」とは「必要か否か、役立つか否か」という実践の上で初めて意味をなすとことと思います。「八戒」を実践してみて、生活全体の「無駄」もかなりわかってきました。「怠け」にうち勝ちたいと思います。有難うございました。
高橋優太
2009年11月24日 07:44
ワンギーサ先生、皆様、おはようございます。
昨日は「人生が楽しくなる三つの条件」、「心の中はどうなっているの?」を購入しました。
「人生が楽しくなる三つの条件」でお釈迦さまはたとえようもないくらい素晴らしい方だと思いました。生きとし生けるものが幸せでありますように。
ワタナベ
2009年11月25日 01:03
いつもありがとうございます。
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Pariphandatidaṃ   cittaṃ,
おののく        心は
マーラデッヤン パハータウェー
māradheyyaṃ   pahātave.
悪魔の領域を  捨てるべき
---------------
このpahātaveという不定体の訳を「「捨てるべき」と訳しているところが実に斬新で意味が通ってわかりやすいです。通常例えばここのところを「この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。(中村訳)」のように訳されている事が多いのですが、この「~すべき」という訳し方はスマナサーラ長老も確かこう訳しておられて、「比丘、修行者の間では、この偈は『~すべき』で意味は通っている云々」と講義中お聞きしたように僕個人も記憶しております。
「有り難い解釈」だと思います。ありがとうございました。
ワタナベ
2009年11月25日 01:04
いつもありがとうございます。
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Pariphandatidaṃ   cittaṃ,
おののく        心は
マーラデッヤン パハータウェー
māradheyyaṃ   pahātave.
悪魔の領域を  捨てるべき
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このpahātaveという不定体の訳を「「捨てるべき」と訳しているところが実に斬新で意味が通ってわかりやすいです。通常例えばここのところを「この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。(中村訳)」のように訳されている事が多いのですが、この「~すべき」という訳し方はスマナサーラ長老も確かこう訳しておられて、「比丘、修行者の間では、この偈は『~すべき』で意味は通っている云々」と講義中お聞きしたように僕個人も記憶しております。
「有り難い解釈」だと思います。ありがとうございました。
身の丈修行者
2015年07月16日 06:25
怖いと思うのは、自分がそう思うから・・と学ばせて頂きました。
怖いと思わなければ、怖くなりません←でもそれは、気がついていない方が多いように思います。
心の観察をして参りたいです。
たか坊
2016年06月16日 01:22
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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