39.悟った人には恐れがない

ダンマパダ 第3章 心 39

煩悩の心のない人
混乱した心のない人
善悪を克服した人
覚醒した人には恐怖はない



〇超訳の試み

欲に深い人は怖がりだ
落ち着かない人は怖がりだ
悪いことした人は怖がりだ
悟った人には恐れがない


〇子供のためのダンマパダ

犬の怖い子はなんでかな?
虫の怖い子はなんでかな?
犬の好きな子がいるのに
虫の好きな子がいるのに



〇一口メモ

 今回の詩の眼目は「心は怖がりだ」ということです。ではなぜ、怖がるかと言えば、怖がる原因が分かってないからです。原因が分かれば、怖がる必要がないことが分かり、怖がる無意味さが分かり、怖がらなくなります。

 怖がる原因には、二つの面があります。一つは怖がる対象への無知です。怖くないものを怖いと思うことです。もう一つは自分の価値観によるものです。人間の最大の恐怖である死を例に挙げて、考えれば、一つは恐怖の対象の死について知らないことからの恐れです。もう一つは「死は恐怖だ」という思い込みによる恐れです。私たちは、死についてしりません。また、死は恐ろしいものだと思っています。だから、死は恐ろしいのです。

 怖がること、すなわち恐怖については、このブログで度々述べてきました。恐怖の原因がよくわかれば、何も恐れることがないことが分かります。悟った人とは、すべてが分かってしまったので、恐れるものがないということです。ブログ内検索で「恐怖」について検索してみて下さい。いろいろ書いてあります。

 「子供のためのダンマパダ」について。アリなどを怖がる小さな子供がいます。しかし、興味はあるのです。たぶんお母さんが「汚れるから、さわてはダメよ」と言われているのかなと思います。アリはいじめなければ、かんだりしません。ときには手の上を歩かせたりしたらどうでしょうか。

〇前回の「この詩から学ぶこと」

煩悩や混乱のない覚醒した人恐怖はないよ
http://76263383.at.webry.info/200901/article_25.html

〇パーリ語原文

39.
アナワッスタチッタッサ
Anavassutacittassa,
煩悩のない心の人に
アナンワーハタチェータソー
ananvāhatacetaso;
心に混乱がない人に
プンニャパーパパヒーナッサ
Puññapāpapahīnassa,
善悪を捨てた人に
ナッティ ジャーガラトー バヤン
natthi   jāgarato      bhayaṃ.
ない   覚醒した人に  恐怖は

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp33-43.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年11月29日 04:13
ワンギーサさん、おはようございます。アリの例を出されましたが、確かに私から見て何ともない虫を怖がる人は大人でもいます。子供はやはり親の影響を地よ強く受けるのでしょう。親が虫を怖がると、子供が「虫は怖い」と思うようになってしまいがちです。それだけが原因だとは思いませんが、主因のひとつだと思います。以前、私はカラスが怖いと思ってました。あの黒々とした体とくちばしを見るととっさに避けようとしてました。カラスを側で見て「キャー」という悲鳴を発する人もいます。ところが、ある日カラスにエサをあげてみたら、それ以降、恐怖心がなくなりました。「与える」ことで恐怖心がやわらぐかもしれません。アリの好物をあげてみると「恐怖心」がやわらぐかもしれません。「ゴキブリなんて何ともない」という人が世の中に結構います。手で触っても全く平気で、怖がる人の気持ちが理解できないそうです。今年はゴキブリにエサをあげてみようと思ってましたが、出会いがありませんでした。苦手なゴキブリが苦手でなくなると考えたからです。色々できる範囲で試してみると面白いと思います。私は「与える」ということに注目してます。有難うございました。
ワタナベ
2009年11月29日 06:25
ワンギーサさん新さんおはようございます。
今日のこの偈で僕が感じたことは、
Puññapāpapahīnassa, bhayam. natthi
善悪を捨てた人に 恐怖は ない
というところです。
この「善悪を捨てた」というのがインド最初期仏教での最高の悟りの「阿羅漢」の境地の特色の一つだと思われます。
この「善悪を捨てた」ということはちょっと一般的には理解し難いのではないか?と思われます。

ちなみにこの偈には伝統的な後世の註釈がついていまして、それによりますとお釈迦様は過去世に7回出家と還俗を繰り返した事があるそうです。お釈迦様でさえ、俗世に未練をお持ちになって迷われて末に、迷いを断ち切られたわけで、我々もそれに見習いまして、挫けそうになりましても、精進していけたらと思います。(ってなかなか僕は実行できませんがm( )m)
ワンギーサ
2009年11月29日 08:16
新さん、ワタナベさん、おはようございます。
お二人ともいいところをコメントなさいますね。
 先ず、新さん。
実は私はゴキブリに掃除をさせているのです。パンくずなどを流しの流し口に捨てて置くと、ゴキブリが食べてきれいにしてくれます。とてもありがたいのです。このことを今回の「一口メモ」に書くとゴキブリの嫌いな人の顰蹙(ひんしゅく)をかうと思い書きませんでした。でもここで書いたのでこのブログの読者が減るかもしれません。
 ワタナベさんへ。今回のブログの記事の一口メモではふれませんでしたが、善悪について、2008年12月20日ダンマパダ412番の記事で述べました。http://76263383.at.webry.info/200812/article_20.html
チェックして御批判をお願いします。
ワタナベ
2009年11月29日 09:28
ワンギーサ師さま
http://76263383.at.webry.info/200812/article_20.html
読ませて頂きました。
なるほど素晴らしい御解説ではないかと思いました。
勉強になりました。ありがとうございます。
こういったポイントをよく理解する事が、インド最初期仏教の教義をわかるのに早道ではないかと思いました。
ちょっと難しいとは感じますが。。。(^^;
あっきん
2009年11月29日 12:09
ワンギーサさんのゴキブリの話で、生命のネットワークの事を思い出しました。生き物どうしが助けあい生きている。分かってれば、他の生命が怖く感じられないのでないかと思いました。つまり自分だけの事を考えてると、他から協力を得られない。人間の能力でははかり知れない事の方が多いのだから、少しでも仏陀の教えを理解するようにしたいと思いました。
生きとし生けるものが幸せでありますように
身の丈修行者
2015年07月18日 10:14
本文の「怖がる原因が分かってない・・原因が分かれば、怖がる必要がない・・怖がる無意味さが分かり、怖がらなくなります」心に響きます。
何か得体のしれないものを怖がり、そしてえたいのしれないもの?に縋り付く?のではなく、しっかり科学的に分析して真理的な面で分かるように努めたいです。
たか坊
2016年06月25日 17:20
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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