40.智慧を武器にして心を守れ

ダンマパダ 第3章 心 40

この身体は水がめのようなものと知って
この心を城壁のように守るため
智慧を武器として悪魔と戦え
勝利は守るべきだが、安住するな



〇超訳の試み

身体は弱くて心を守れない
智慧を武器にして
欲望の誘惑から心を守れ
一つの勝利で安心するな


〇子供のためのダンマパダ

良いことか悪いことか
身体は分からない
良いことか悪いことか
頭と心で覚えよう





〇一口メモ

 今回の詩は、目奪われるような言葉(水がめのような、城壁のように、悪魔と戦え)が幾つか出てきますので、誤読する恐れがあります。私も正しく読んでいませんでした。

 水がめとは、弱い、壊れやすい物のたとえです。そして身体はそのように弱く、壊れやすいのだといっています。そのような身体では心を守ることはできないのです。身体は強くても心守れませんが、しかし、私たちは身体の手入れに余念がありません。壊れやすい身体を一番大切なもののように守っています。身体を守れば幸福になると思っているのです。身体を守っても幸福になりません。人間を幸福にするか不幸にするかは心しだいなのです。きれいな心は幸福にし、汚れた心は不幸にするのです。(ダンマパダの1番、2番 http://76263383.at.webry.info/200911/article_4.html )

 城壁のようなとは、心のたとえなのです。インドや中国の辺境の都市は、日本の城とは異なり、異民族からの攻撃、侵略から守るために、都市の回りに城壁をめぐらして都市を守っていました。そのように心を守れということです。心が汚れるのは、感覚器官を通じて心に入る情報です。好ましい情報が入れば、心に欲望が発生します。好ましくない情報が入れば怒りが発生します。よく分からない情報が入ると心に混乱や無気力が現れます。欲望や怒り混乱などを悪魔と表現しているのです。欲望、怒り、混乱が心を汚すのです。心を汚さず、きれいにするためには心に入ってくる情報を判断・選択する必要があるのです。これができるのは智慧なのです。ですから、智慧を武器に悪魔と戦えで教えているのです。

 更に、心に入ってくる情報は、連続して入ってきますから、悪魔に一度勝っても、次の戦いに備えるべきだと注意を与えています。ありがたい詩なのです。

 「子供のためのダンマパダ」について。子供には良いか悪いかを身体で覚えさせるべきだという意見があります。それは厳密には、身体ではなく感覚で覚えるべきだと言うことです。身体は単なる物体ですから感じることはできないのです。感じるのは身体にある感覚器官を通じて心が感じるのです。ですから、良い悪いは心で覚えるべきなのです。また同時に、理性で良い悪いを判断することも必要です。そこで、「良いことか悪いことか 頭と心で覚えよう」としました。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

この身体壊れやすいとよく知って智慧で戦い心を守れ
http://76263383.at.webry.info/200901/article_26.html

〇パーリ語原文

40.
クンブーパマン  カーヤミマン  ウィディトゥワー
Kumbhūpamaṃ   kāyam imaṃ  viditvā,
水瓶のようなもの 身体を この   知って 
ナガルーパマン    チッタミダン タペートゥワー
nagarūpamaṃ      cittam idaṃ   ṭhapetvā;
城壁のある街のように 心を この   置いて
ヨーデータ マーラン パンニャウデーナ
Yodhetha   māraṃ   paññāvudhena,
攻撃せよ  悪魔を   智慧の武器で
ジタンチャ  ラッケー アニウェーサノー スィヤー
jitañca      rakkhe   anivesano      siyā.
勝利を しかし 守れ    な 安住     ある

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp33-43.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年11月30日 04:32
ワンギーサさん、おはようございます。この詩には大変励まされます。「八戒」を守ろうとする反面、様々な感情(煩悩)が強く出てきて負けそうな時があります。そんな誘惑にかられないために、即効性があるのは私の場合「因縁による一時的な現象であって執着に価しない」と念ずることです。「一切は無常」というのも効果があり、唱えると落ち着きが出てきます。しかし限界があります。無理してる感じがしたりします。それより「よく観察する」ことがすぐれてます。それにより、煩悩の発生メカニズムが自然とわかってきます。「なーんだ。騙されていたな」という気分になります。しかし、それも束の間、次の瞬間には違う情報が入ってきてしまいます。それを治すには私の場合、身体の動きの「実況中継」を「継続」させることです。「瞑想」と「生活」を分離させない。身体の「実況中継」の継続で、自然と「心」の変化もわかりやすくなるメリットがあります。最大の大敵は「怠け」つまり「放逸」ですが、何とか「精進」で克服すべき課題です。「実践」から得る理解は深いと思います。有難うございました。
アンジユ
2011年04月27日 20:04
1)私の実体ない2)生は苦3)常がない。淋しい響きなので同じ生きるなら 自分にも又人様の喜びの為にも生きてみようと。
身の丈修行者
2015年07月18日 10:19
私事ですが小6・4年生の子供がいます。本文の「子供には良いか悪いかを身体で覚えさせるべきだ・・厳密には、身体ではなく感覚で覚えるべきだと言うことです」心に響きます。
ゲームやテレビなどで空想の世界に入ってしまい、実際の感覚が培われない様子を感じます。その為恐ろしい事件が起こるような土壌になるのかもと思う時があります。
空想の世界でなく今をしっかり感じて、良い・悪いが分かるようになれるように教育していきたいです。
たか坊
2016年06月29日 18:35
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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