61.愚か者とは親交するな

ダンマパダ 第5章 61

行くとき、自己より優れた者や
自己に等しい者に会わねば
独り堅固に行くがよい
愚者には友の資格なし


(片山良一先生 訳)
                
〇超訳の試み

正しく生きようと思うならば
不道徳な人を友にしないほうがよい
行い正しい人がいないのならば
独りで行動したほうがよい

〇子供のためのダンマパダ

いじわるな子とは
遊ばなければいいよ
親切な子がいなければ
犬やネコと遊べばいいよ





〇一口メモ

 本日、新宿の本屋で、片山一良著「ダンマパダ 全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道」(大蔵出版)を発見しました。裏づけには、2009年12月20日 第1刷発行とありますので、発行したてのようです。この本はブッダゴーサ大長老の「法句注」に基づいて書かれ、全ての因縁物語が掲載されてあります。また、何よりもダンマパダの訳が、原文に忠実で、格調高く、美しいものなので、本日からは、この訳を掲載させていただくことにしました。後日、片山先生にはお会いして、ご許可を頂くつもりでございます。尚、「超訳の試み」と「子供のためのダンマパダ」は、詩の理解の助けのために、引き続き掲載いたします。

 さて、今回の詩はありもしない、できもしない理想論を説く一部の偽善者からは非難されるものです。仏教は人を差別するのか、人間は平等だと叫ぶのです。

 仏教は現実をありのままに見て、必要なことを教えているのです。悟ってない凡夫は偽善者が言うように、強くはないのです。いつもいろいろなものに影響されて生きているのです。ですから、凡夫が正しく生きるためには、善友が必要なのです。善友がそばにいれば正しく生きることができます。しかし、悪友がそばにいると最悪です。凡夫は悪友と共に悪事を働き、不幸になるのです。ですから、凡夫は悪友を避けて、善友と親交すべきなのです。

 もし、悪友を助けたいと思うのであれば、悪友の影響に負けない、悪友を導けるだけの人格を作る必要があります。そのためには、修行して悟る必要があります。先ず、悪友を避けて修行してください。悪友と親交すると修行は完成しないからです。

 今回の「子供のためのダンマパダ」は少し難しいですね。上出来とはいえません。皆さんでもっとよいものができたら、是非コメント欄に書いて下さい。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

「いい影響・悪い影響」
http://www.j-theravada.net/howa/howa20.html

 この説法での、スマナサーラ長老の結論は「人は皆平等だから平等につきあうのがよいのではないかなどと、無責任な屁理屈を言って『愚か者』の生き方をするのではなく、成長するためにはしっかりつきあう相手を選ぶべきなのです。『影響』の原理を無視することは『愚か者』の生き方です。」です。

〇前回の「この詩から学ぶこと」

修行者は善友選び自分より愚かな者とは親交するな
http://76263383.at.webry.info/200902/article_10.html


〇パーリ(語)原文

61.
チャランチェー ナーディガッチェッヤ
Carañce       nādhigaccheyya,
修行者がもし   見つけないならば
セッヤン  サディサマッタノー
seyyaṃ    sadisamattano;
より優れた 等しい 自分と
エーカチャリヤン ダルハン カイラー
Ekacariyaṃ     daḷhaṃ   kayirā,
一人の行為を   堅固に  為すべき
ナッティ バーレー サハーヤター
natthi    bāle     sahāyatā.
するな  愚か者と   親交

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp54-63.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

ワタナベ
2009年12月15日 00:07
「ダンマパダ 全詩解説 仏祖に学ぶひとすじの道」(大蔵出版)情報ありがとうございます。
全ての因縁物語が掲載されているとは貴重ですね。
m( )m
2009年12月15日 03:34
ワンギーサさん、おはようございます。「寂しい」時は要注意だと思います。孤独を感じるとき、人との親交を特に求めがちだからです。そんな時の「優しい言葉」には特に弱いものです。詐欺師が研究してる人の弱味です。だから、「孤独感」に対する耐性を強くすることが、まずは優先されるべきことのような気がします。それには、「精神的な依存」を断つのが一番だと思いますが(これはこれで実践難しいと思いますが)、これも仏陀が教えてくれてます。~すごく寂しい時もあるだろうけど、要注意だよ。それに堪えることも大切だよ。だから、すぐに親切そうな人と仲良くするより、工夫して寂しさを乗りきってみようよ。それは、きっと君のためになるよ。~。有難うございました。
作:新さん 編集:ワンギーサ
2009年12月15日 09:42
すごく寂しい時もあるだろうけど、要注意だよ。
それに堪えることも大切だよ。
だから、すぐに親切そうな人と仲良くするより、
工夫して寂しさを乗りきってみようよ。
それは、きっと君のためになるよ
ときこ
2009年12月15日 11:41
こんにちわ
 「自己より優れた者」に、出合った時・・・その優れた方にとって、自己は愚者に相当しないのだろうか? と、いう恐ろしい不安が胸をよぎっちゃいます。「私」が、不道徳でないことや、礼儀正しくあることは当然ながら・・・相手にとって、無益な自分であるならこれもまた、孤独に耐えるより他ないのでしょうか? そして「優れているか否か」は、誰がジャッジ出来るのでしょうか? この詩も大変有名ですが、出会うたびに困難を感じてしまいます。
ワンギーサ
2009年12月15日 13:51
ときこさん。妄想しないでください。相手にとってなど考えることは妄想以外ではありません。自分の立場からしか考えられないのです。素直に受け止めてください。
チヨ
2009年12月15日 18:05
ワンギーサさん。いつもためになるお話ありがとうございます。ひとつおききしたいことがあります。自分の夫についてです。夫が自分より優れた人がどうかよくわかりませんが、優れていない部分もあるような気がします。でも仲良くやって、ふたりで一緒に子供を育てています。今回の詩をどう取り入れて、接してゆけばよいのでしょうか。家族の一員である、というのは仕事の役割を果たしている、というように考えたらいいでしょうか。「友」とはちょっと違うものと考えていいでしょうか。
ワンギーサ
2009年12月15日 18:52
チヨさん。コメントありがとうございます。
優れているか、優れてないかは主に、道徳的な事柄です。ですから、御主人の「優れていない部分」とは付き合わないようにすることです。極端な例で申しわけありませんが、もし御主人が嘘をつくようでしたら、それには決して付き合わずに、あなたは決して嘘をつかないようにすべきです。そう言うことです。
ときこ
2009年12月15日 19:48
ワンギーサ様
 お返事有難うございます。確かに、相手にとってなど考えることは妄想でした。
 ただ、いま少し、理解が及ばない点があります。
「優劣」を考える事も、妄想ではないのでしょうか? 自分なりに、自分目線で仮に決めることが出来たとしても、心境の変化、或いは自分の成長や堕落といった事でも、変化すると思うのです。「優劣」は、相対的なもので、「客観」でも「事実」でもないのではないでしょうか? この詩の場合は、あくまでも、俗世間とは隔絶した厳しい修行について、その有益性を問題にしていると思うのです。俗世間の凡夫には、どこか・・・「塞翁が馬」的な 捕らえ方が、抜けない為でしょうか? 困難さは残ります。
ワンギーサ
2009年12月15日 21:26
ときこさん。度々コメントありがとうございます。
無理に理解できないところを解決しないでもいいのではないですか。疑問は残しておけば、いずれ解決します。
参考のために、http://76263383.at.webry.info/200812/article_20.html を参照して下さい。
ときこ
2009年12月15日 22:11
ワンギーサ様
 お返事有難うございます。
「参考のために」読ませて頂きました。厳しさの中に、何かしら真っ直ぐで清清しいものを感じました。まだまだゴチャゴチャシタ物が、頭に詰まっているようです。いずれ・・・整理できるようになりたいです。有難うございました。
チヨ
2009年12月16日 06:26
ワンギーサさん。さっそくのお返事ありがとうございました。そのようにやってゆきます。
まさこ
2010年08月21日 07:19

私も、小学校の頃、いじわるな友達のグループから抜けた事あります。よかったと思ってます。
身の丈修行者
2015年07月23日 07:37
本文を拝見し、私事ですが職場の同僚が浮かびました。大変失礼な表現をして恐縮ですが、与えられた仕事が(やや)出来ないその方一人の時はそれ程問題にな迄になりませんが、その二人が同調すると責任放棄のサボタージュからトラブルに発展しかねない状況が生まれます。
それは自立して一人でもいれる自分の大切さ、を感じるような機会です。注意をして参ります。
たか坊
2016年07月23日 23:36
今回も
明るく楽しく学べたコトを、嬉しく思います♪

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