63.自分が愚かと知る人は賢者なり

ダンマパダ 第5章 愚か者 63

愚か者が愚かと知れば
かれはそれ故に賢者なり
愚か者が賢者と思えば
かれこそ愚かな者と言われる


(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み

人は皆自分は正しいと
思うものだが大間違い
間違っていると思える人は
事実を知る人だから賢者だ


〇子供のためのダンマパダ

人の背中は見えるけど
自分の背中は見えないね
そのように自分のことは
分からないものだよ





〇一口メモ

 「愚か者が(自分を)愚かだと知れば、彼はそれ故に賢者なり」という句からこの詩は始まりますが、なぜでしょうか? 愚か者とは、真理を知らない凡夫のことです。真理を知らないのですから、愚か者なのですが、凡夫は自分の愚かさの自覚がないのです。ですから、自分は自分のことはよく分かっている、自分は正しいという前提で行動しています。事実を正しく認識していないのですから、いろいろな場面で問題を起こし、失敗するのです。

 しかし、少数の凡夫は、自分は自分が分かっていない、自分は間違っているかもしれないという認識があります。愚かさの自覚があるのです。このよう人は、誤りをすぐに修正できます。誤りを修正できれば、正しく行動できるのです。そのために、愚かさの自覚があれば賢者と言えるのです。

 私は仏教を勉強し始めて、自分を知ることは大切だと理解しましたが、それはなかなか困難な課題でした。自己観察が大切だと思いながらも、嫌な自分を見ないように、見ないように、嫌な自分に執着していていたように思います。そして、自分は正しいのだとどこかで思っているのです。昨日のこのブログの記事のコメントに「たま」さんも同様なことを書いておられました。スマナサーラ長老のこの詩に関する説法に、「自分が正しい」と思う問題点について、詳しく解説されておられますので、是非参照して下さい。

 「子供のためのダンマパダ」では、子供も自分のことは自分が分かっていると思っていますから、自分のことは分かりにくいものだということを教えたかったのです。はじめ、「人の顔は見えるけど、自分の顔は見えないように」としましたが、鏡で見えると思う子が多いと考え、背中にしました。背中ならば鏡でも見にくいでしょう。(笑い)


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

「賢者への道」
http://www.j-theravada.net/howa/howa22.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

愚か者自分を愚かと思うならそれこそそれで彼は賢者だ
http://76263383.at.webry.info/200902/article_12.html


〇パーリ(語)原文

63.
ヨー バーロー マンニャティ バールヤン
Yo   bālo     maññati    bālyaṃ,
その 愚者が   考える    愚鈍
パンディトー ワーピ テーナ     ソー
paṇḍito     vāpi   tena        so;
賢者      こそ  それ故     彼は
バーロー チャ パンディタマーニー
Bālo     ca   paṇḍitamānī,
愚者が  しかし 賢者の慢心がある
サウェー   バーロー ティ ウッチャティ
sa ve     ‘‘bālo’’   ti   vuccati.
彼は 実に  愚者   と   言われる

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp54-63.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

2009年12月17日 01:04
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老著「有意義な生き方」をよく参考にしてます。この中に「衣服の哲学」があります。最近、自分の衣服を全てチェックしてみました。かなりのバカでした。格好だけの服やブランド物が(大した数ではありませんが)収納されてました。さすがに仏教を勉強してから買ったものはひとつだけでしたが、残りは着もしないのに、ただあるだけの状態。ブランド志向が隠れてますね。衣服の正道からは外れてます。なので必要とする人に使ってもらうことにしました。「自分は正しい」。確かに「正しいと思う」ことしかできないのでしょうが、「正しさ」を追い求めるのではなく、「間違え」をなくす、正す。というやり方が、今のところ自分なりにはとてもしっくりきます。自分の「思考」は結構、日常生活にモロに出ているのでしょう。習慣化され、見慣れているのでわかりづらい。そうした「現実」の中から少しづつ、「間違え探し」をしていくのもひとつの手だとは思ってます。有難うございました。
たま
2009年12月17日 07:27
新さん
「正しさ」を追い求めるのではなく、「間違え」をなくす、正す。というやり方・・・
なるほどなと思いました。
ありがとうございます。
あっきん
2009年12月17日 10:50
人の背中はよく見えます。私的に愚者は自覚がないだけでなく、盲目的な思い込みがある思います。
そして、お酒を飲むとバカになるそうです。考えると心当たりがあります。つまり自分で自分の首を絞めているバカです。私も完全な人ではありませんが感情的にならず心を守ることが大切と感じます。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
まさこ
2010年08月23日 07:26

自分で気がつかないところ、指摘してくれる人、ありがたいと思います。
こころざし
2015年07月24日 08:25
日常で、自分が正しい・自分は凄い等と思う度合いの強い方は、失敗を他人のせいにしたり隠したりする状況を見る事があります。
分かってない自分が正しいはずはない、との意識をもって、学ばせて頂く姿勢を保ちながら、謙虚に生きて参りたいです。
たか坊
2016年07月27日 06:46
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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