67.68.結果をみれば善いか悪いかよく分かる

ダンマパダ 第5章 愚か者 67、68


行為をなした後で苦しみ
顔に涙し、嘆きつつ
その果報を受けるなら
なされた行為は不善なり

行為をなして苦しまず
心で喜び、満ち足りて
その果報を受けるなら
なされた行為は善事なり

(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

結果をみれば
善いか悪いかよく分かる
後悔し、不幸なことになるのなら
それは悪い行為です

結果をみれば
善いか悪いかよく分かる
満足し、幸せなことになるのなら
それは善い行為です


○子供のためのダンマパダ

友だちには嫌がられ
先生にもおこられました
あなたはどんなことをしたのですか?
悪いことをしたのです

友だちから喜ばれ
先生にもほめられました
あなたはどんなことをしたのですか?
良いことをしたのです





○一口メモ

 何が善いことか、悪いことか、よく理解することは正しく生きるために必要なことです。しかし、実際にはなかなか判断が難しい場合があります。今回の詩は、何が善い行為で何が悪い行為かを教えたものです。

 ただ、この詩を表面的に読めば、善悪の判断は行為の結果を見なければ分からないとも取れますが、そうではないのです。この詩は、善悪の基準が述べられているのです。悪い行為とは私たちが不幸せになる行為であるということです。そして善い行為とは私が幸せになる行為を言うのです。釈尊の説法はすべて、すべての生命が幸せになる道、最高の幸せに至る道を説いておられるのです。

 ですから、行為の結果を見なければ分からないというのではなく、不幸になるか、幸福になるかで判断しなさいということです。その際重要なことは、①自分も②相手も③他の皆も幸せになれるか判断することです。「前回のこの詩から学ぶこと」では、具体的に十悪、十善についてのべましたが、今回は一つだけ、「慈しみのある行為かどうか」を判断基準にすることを提案したいと思います。慈しみのある行為ならば善い行為なのです。慈しみのない行為は悪い行為と考えて、慈しみの行為を実践するのです。

 「子供のためのダンマパダ」に書きました「友だちに嫌がれる」行為は、慈しみがないからやめるべきです。「友だちに喜ばれる」行為には慈しみがあると思われます。実際には、自分の意図と異なる結果になる場合がありますが、自分が行為する時、慈しみがあるかどうか判断しながら、実践します。そうすれば、その過程で賢くなるでしょう。それは幸せへの道なのです。


○前回の「この詩から学ぶこと」

泣き面で為された行為に後悔し悪果を受ける悪行為なり
http://76263383.at.webry.info/200902/article_15.html


○パーリ(語)原文

67.
ナ   タン カンマン カタン   サードゥ
Na   taṃ  kammaṃ  kataṃ   sādhu,
ない その 行為は   為された 善く
ヤン カトゥワー アヌタッパティ
yaṃ  katvā    anutappati;
その 為して   後悔する
ヤッサ アッスムコー ローダン
Yassa  assumukho  rodaṃ,
その  涙顔で    泣く人が
ウィパーカン パティセーワティ
vipākaṃ    paṭisevati.
報いを     受ける

68.
タンチャ   カンマン  カタン  サードゥ
Tañca     kammaṃ  kataṃ   sādhu,
その しかし 行為が  為された 善い
ヤン  カトゥワー ナーヌタッパティ
yaṃ   katvā    nānutappati;
その  為して   後悔しない
ヤッサ パティートー スマノー
Yassa   patīto     sumano,
その   満足して   善い意の人が
ウィパーカン パティセーワティ
vipākaṃ     paṭisevati.
果報を      受ける


〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp64-75.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



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この記事へのコメント

サヤ
2009年12月20日 00:07
少し前に仕事の中でモヤモヤすることがあり、かなり怒りがなくなっていた…と感じてた自分の中にまだまた゛怒りが満載だったという事実を思い知らされました。こちらのブログや協会HPの中にあるスマナサーラ長老の人間関係に関わる講義などを繰り返し読んで
自分の行動を戒め間違いを正しながら自分自身と毎日試合をしていました。
すると 思いも寄らず責任のある仕事の話を頂き
何より自分自身に勝った様な清々しい気持ちに包まれ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
皆さまにいつもとても学ばせて頂き有り難いです。
未熟ながらも今日の詞を自分なりに実感致しました。サードゥ サードゥ サードゥ!
2009年12月20日 05:29
ワンギーサさん、おはようございます。私が病気のとき、不思議なくらい私に対する親の判断は的確でした。人が人を心底心配すれば、そこに「無知」が機能しない例のように考えてます。スマナサーラ長老は「慈しみがあれば自然と智慧もわいてくる」と仰ってました。まだまだ未熟ですが、『怒りの無条件降伏』の最後に出てくる境地まで頑張りたいです。有難うございました。
おはようございます
2009年12月20日 09:21
今日は、関西月例冥想会、カレンダー配り

二つが重なり、今になり、カレンダー配り言ってきまーす

生きとし生けるものが幸せでありますように
ワタナベ
2009年12月20日 14:45
>新さん
人が人を心底心配すれば、そこに「無知」が機能しない例のように考えてます。スマナサーラ長老は「慈しみがあれば自然と智慧もわいてくる」と仰ってました。
☆なるほど、ありがとうございます。そうかもしれないと僕も思いました。
本日は50代でクモ膜下出血で急死した叔父さんの3回忌でした。人は、いつ死んでもおかしくないのでしょうが、「自分だけはいつも死なないという前提の考え」で生きていると自分自身、今日は実感しました。
「明日から良い事しよう。明日から瞑想をはじめよう」
といつも「明日、明日」と言って一向に進まない事にも気づきました。m( )m
「人生とは今の現実を生きる」ことですので、「明日はない」と思って【今日出来るだけ善行為】しようと新たに思いました。ありがとうございました。
祈願衆生安寧
こころざし
2015年07月25日 07:50
良い行為をすると自分も相手も周りも、心が明るくなる印象を感じています。そのような事は迷いなく実行したいです。
自分とか相手とか、どれかが明るくならないような時はどうするのか考えてしまう時があり、保留を無難に選ぶ事も多かったです。
本文を拝見し、慈しみの気持ちをもっていけば道が出来ると感じました。実践して参りたいです。
たか坊
2016年08月02日 15:58
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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