69.愚か者は悪を蜜の如しと思うが
ダンマパダ 第5章 愚か者 69
悪がいまだ熟さぬうちは
蜜の如しと愚者は思う
しかし悪が熟すとき
そこで愚者は苦を受ける
(片山一良先生 訳)
〇超訳の試み
悪行為の結果が現れるまで
愚か者はそれを蜂蜜のように思う
しかし、悪行為の結果が現れた時
愚か者は苦を受ける
〇子供のためのダンマパダ
だれかさんは弟のケーキも食べました
おいしくて得したと思いました
夜になってお腹が痛くなりました
だれかさんは後悔しました

〇一口メモ
この詩が、愚か者の章にあるのは理由があるのです。行為にはその結果があります。しかし、愚か者は行為の直接的な結果を予想するのですが、それに関するいろいろな結果を予想できないのです。実は行為に関連するいろいろな結果を予想ができない人を愚か者というのです。
今回の「子供のためのダンマパダ」の例で説明しましょう。誰かさんは、自分のケーキを食べ、おいしくて、もっと食べたくなったのです。弟のケーキがあったので、人のケーキだと分かっていたのですが、それを食べました。その時、誰かさんは、弟はケーキがないと泣くかものしれませんと思いました。そんなことはどうでもよいことにして食べました。また、弟のケーキまで食べれば食べすぎでお腹が痛くなるかもしれません。しかし、それも無視しました。さらに、弟の分のケーキを食べてしまえば、お母さんに怒られるかのしれません。そのようのことを考えずに、人のケーキを食べてしまったのです。このような人を愚か者というのです。
上の例は、私たちが普通に考えれば、予想できるものですが、お釈迦さまは、超越した智慧で、生命の死後の世界における結果についてもその大筋を教えておられます。私たちはそれを実証できないのですが、もしそのような世界があったとしても、心配のない生き方をすればよいのです。
もし、この世で悪いことをすると、この世で悪い結果になるばかりでなく、死後も悪い結果になると教えています。人殺しなどをすると地獄に行き、想像もできないほどの苦しみにあうこと、しかも一度地獄に落ちるだけでなく、何回も地獄に行かなければならだと教えています。ですから、絶対に人殺しなどしてはいけないのだと知るべきなのです。
一般に、悪人と言われる人は愚か者なのです。自分の行為の結果が分からないか、無視しているのです。愚か者は善因善果、悪因悪果の因果法則を否定したり、無視しているのです。愚か者になりたくないのであれば、因果法則にしたがって、悪行為をしないで、善行為をすべきなのです。
〇この詩の関するスマナサーラ長老の説法
「愚か者」もいろいろ
http://www.j-theravada.net/howa/howa23.html
〇前回の「この詩から学ぶこと」
悪行は刃に付いた蜂蜜だ初めは甘いが口を切るなり
http://76263383.at.webry.info/200902/article_16.html
〇パーリ(語)原文
69.
マドゥワー マンニャティ バーロー
Madhuvā maññati bālo,
蜜 ように 思う 愚者は
ヤーワ パーパン ナ パッチャティ
yāva pāpaṃ na paccati;
まで 悪が ない 煮られ
ヤダー チャ パッチャティ パーパン
Yadā ca paccati pāpaṃ,
の時に しかし 煮られる 悪が
アタ バーロー ドゥッカン ニガッチャティ
atha bālo dukkhaṃ nigacchati.
その時 愚者は 苦を 受ける
〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp64-75.pdf
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。
悪がいまだ熟さぬうちは
蜜の如しと愚者は思う
しかし悪が熟すとき
そこで愚者は苦を受ける
(片山一良先生 訳)
〇超訳の試み
悪行為の結果が現れるまで
愚か者はそれを蜂蜜のように思う
しかし、悪行為の結果が現れた時
愚か者は苦を受ける
〇子供のためのダンマパダ
だれかさんは弟のケーキも食べました
おいしくて得したと思いました
夜になってお腹が痛くなりました
だれかさんは後悔しました


〇一口メモ
この詩が、愚か者の章にあるのは理由があるのです。行為にはその結果があります。しかし、愚か者は行為の直接的な結果を予想するのですが、それに関するいろいろな結果を予想できないのです。実は行為に関連するいろいろな結果を予想ができない人を愚か者というのです。
今回の「子供のためのダンマパダ」の例で説明しましょう。誰かさんは、自分のケーキを食べ、おいしくて、もっと食べたくなったのです。弟のケーキがあったので、人のケーキだと分かっていたのですが、それを食べました。その時、誰かさんは、弟はケーキがないと泣くかものしれませんと思いました。そんなことはどうでもよいことにして食べました。また、弟のケーキまで食べれば食べすぎでお腹が痛くなるかもしれません。しかし、それも無視しました。さらに、弟の分のケーキを食べてしまえば、お母さんに怒られるかのしれません。そのようのことを考えずに、人のケーキを食べてしまったのです。このような人を愚か者というのです。
上の例は、私たちが普通に考えれば、予想できるものですが、お釈迦さまは、超越した智慧で、生命の死後の世界における結果についてもその大筋を教えておられます。私たちはそれを実証できないのですが、もしそのような世界があったとしても、心配のない生き方をすればよいのです。
もし、この世で悪いことをすると、この世で悪い結果になるばかりでなく、死後も悪い結果になると教えています。人殺しなどをすると地獄に行き、想像もできないほどの苦しみにあうこと、しかも一度地獄に落ちるだけでなく、何回も地獄に行かなければならだと教えています。ですから、絶対に人殺しなどしてはいけないのだと知るべきなのです。
一般に、悪人と言われる人は愚か者なのです。自分の行為の結果が分からないか、無視しているのです。愚か者は善因善果、悪因悪果の因果法則を否定したり、無視しているのです。愚か者になりたくないのであれば、因果法則にしたがって、悪行為をしないで、善行為をすべきなのです。
〇この詩の関するスマナサーラ長老の説法
「愚か者」もいろいろ
http://www.j-theravada.net/howa/howa23.html
〇前回の「この詩から学ぶこと」
悪行は刃に付いた蜂蜜だ初めは甘いが口を切るなり
http://76263383.at.webry.info/200902/article_16.html
〇パーリ(語)原文
69.
マドゥワー マンニャティ バーロー
Madhuvā maññati bālo,
蜜 ように 思う 愚者は
ヤーワ パーパン ナ パッチャティ
yāva pāpaṃ na paccati;
まで 悪が ない 煮られ
ヤダー チャ パッチャティ パーパン
Yadā ca paccati pāpaṃ,
の時に しかし 煮られる 悪が
アタ バーロー ドゥッカン ニガッチャティ
atha bālo dukkhaṃ nigacchati.
その時 愚者は 苦を 受ける
〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp64-75.pdf
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~
◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。
この記事へのコメント
新さんの本日のコメントその通りですね。わたしにメールで相談された方に、そのお応えの一部にこのコメントをコピーさせて頂きます。宜しくお願いします。
自分の行為が返ってくる事を理解し、日々の生活で気をつけたいです。
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪
https://noritsu.seesaa.net/article/200912article_20.html