53.人として生まれたならば多くの善行するべきだ

ダンマパダ 第4章 花 53

山積みの花から
多くの花飾りを作るように
生まれて死ぬべき者ならば
多くの善行するべきだ


〇超訳の試み

花として咲いて散るならば
多くの実をつけましょう
人として生まれて死ぬならば
多くの善行いたしましょう

〇子供のためのダンマパダ

生命は生まれたら
年をとって必ず死にますよ
生まれたからには
多くのよいことしましょうね





〇一口メモ

 先日、中学・高校時代の同級生に会いました。その友達とは中学2、3年生の時、徹夜で死について話しあった友達です。そして彼は「今も死ぬのが怖いのだよ」と言いました。今私達は66歳になっているのです。再会したときは深い話はできなかったのですが、通常、私たちは死について考えたり、自分達はいずれ死ぬのだとは考えないようにして生きています。

 しかし、今回の詩は、美しい花と花飾りという言葉から始まりますが、人間は必ず死ぬだということを直視するように教えているのです。全ての生命は無始の昔から無限と言ってもよいほど輪廻を繰り返しているとお釈迦さまは教えておられます。そして人間として生まれることは本当にまれなことであるとも教えておられます。人間は自分の意思で善行をすることができます。また、その人の精進しだいでは解脱し、輪廻の苦しみから脱出することができるのです。

 そのことを正しく理解できれば、死は悲しいもの嫌なものと言うよりは、警告になると思います。つまり、善行為は、後でやればいいとは言えない、怠惰はいけないと分かります。いつ来るかわからない死というものがあるからです。死は怠け防止薬なのです。

 何が「善いこと」であるのかについては、前回の「この詩から学ぶこと」に書きました。是非参照してください。

 子供に死について教えることは、子供に不安にさせる、怖がらさせる、その他の理由で教育上よくないという意見もありますが、本当でしょうか。大人が死についての理解がないままでは、子供に教育できません。もちろん、大人でも死を完全には理解できないでしょうが、お釈迦さまがこの詩に述べられていることを受け止めようとすれば、ある程度は分かるはずです。また、死の教育は、殺人や自殺防止するためにも重要ではないかと思います。

 私見ですが、スリランカやタイ、ミャンマーの子供たちは日本の子供たちより、死を恐怖として受け止めてないと思っています。それは、彼らが輪廻を受け入れているからだと思います。生まれ変われるから、死んでも心配ないという考え方は、輪廻を正しく理解していない考え方ですが、観念的は死の恐怖を取り除く上では役に立つと思います。


〇前回の「この詩から学ぶこと」

人として生まれて死ぬべきならば多くの善いことしようではないか
http://76263383.at.webry.info/200902/article_4.html


〇パーリ(語)原文

53.
ヤターピ プッパラースィンハー
Yathāpi   puppharāsimhā,
如く も   花  集まりから
カイラー マーラーグネー バフー
kayirā    mālāguṇe     bahū;
作るろう  はなかずら   多くの
エーワン  ジャーテーナ マッチェーナ
Evaṃ     jātena       maccena,
このように  生まれて    死ぬべき者(人間)
カッタッバン クサラン  バフン
kattabbaṃ   kusalaṃ   bahuṃ.
為すべき   善いこと  多く

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp44-53.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

2009年12月09日 04:32
ワンギーサさん、おはようございます。中学の時は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」で、地獄へは行きたくないと思いました。悪因悪果。「死後の存在」は気になってました。しかし同級生と議論したら負けてしまいました。彼が言うには「仮に死後が存在するのなら、生まれる前に何かあったはずだ。君は生まれる前何かあったか?」それに対し「別にない」と答えると「ほら見ろ、死んだらそれと同じように無になるんだよ。」と。確かに、「死後」の存在を信じても、そこに何の証拠もないとその時思いました。『悩みと縁のない生き方』には、「死、怠け」などの問題が書かれており、大変勉強になります。しかし、私の知ってる限り「どうせ一度の人生遊ばなきゃ損」という考えがよくあります。癌になった人が「死ぬんだったら酒を飲んで生きたい」と言って、実行してます。一概に「死」を前提にすれば即「善行為」に繋らない。「輪廻転生」という概念がないと、「死を見つめる」ことが真に有意義であるか疑問です。勿論、「死」「死後」と「どう生きるべきか?」という問題意識があっての話だとは思ってます。有難うございました。
あっきん
2009年12月09日 10:26
生きる為には、どんな事でもしてよいか・・
競争社会で人を蹴落しても、ウソをついてもよいのか、人を見てたまに自問する時があります。
仏陀の教えのようにいずれ死に、生きる事に意味がないのに、一生懸命に執着しているだけと思います。
他人に迷惑をかけるのでなく、役に立つ人間になりたいです。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
にこにこ
2009年12月09日 14:53
初めて、コメントします。毎日ブログの更新ごくろうさまです。
毎日読んで勉強しております。ありがとうございます。
ワタナベ
2009年12月09日 17:23
確か「人の心は放っておくと悪に親しみ易いから、善を無理してでも行うべきである」みたいな話がどこかにあった気がしますが、(^^;本当にそうだなと思いました。ありがとうございます。
まさこ
2010年08月15日 21:22

時々、善行為しようと思い、後で考えると、悪行為だったということが、何度かありました。気をつけようと思います。
身の丈修行者
2015年07月21日 07:32
本文の「善行為は、後でやればいいとは言えない、怠惰はいけないと分かります。いつ来るかわからない死というものがあるからです。死は怠け防止薬なのです」心に響きます。出来る時に躊躇せず、善行為を行って参りたいです。
たか坊
2016年07月13日 17:10
今回も
明るく楽しく学べたコトを、嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック