91.白鳥が池を離れるようにかれらは家をつぎつぎ捨てる

ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 91

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


念をそなえて努力する
かれらは住処に楽しまず
白鳥が池を離れるように
かれらは家をつぎつぎ捨てる


(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み(あるいは直訳)

有念者は出家する
在家を楽しまない
白鳥が沼を捨てるように
彼らはあの家この家を捨てる


〇子供のためのダンマパダ

なんだろう?
なぜだろう?
疑問を持つことは
智慧の始まりですよ





〇一口メモ

 今回の詩の一行目「念をそなえて努力する」、これは釈尊の遺言と同一の趣旨です。直訳すると「超訳の試み(あるいは直訳)」の一行目「 有念者は出家する」になりますが、意味は片山先生が訳された方が良いのです。これは注釈書に従った訳です。

 「念をそなえて努力する」、これは釈尊が勧める人間の最高の生き方です。日々の生活はこのようにあるべきなのです。この生き方を完成された方が阿羅漢なのでしょう。念をそなえて努力すると真理が見えてくるのだと思います。真理が見えてくると、世俗の価値観がいかに無意味なものか分かってくる筈です。そのような人々は在家の生活を楽しめないのです。そのような人は、在家の生活を離れ、出家する方もおられるでしょう。その前に在家の生活、価値観への執着は少しもないのです。

 その様子は白鳥が北の国を目指して、池から離れて飛び去るようだと美しく表現されています。そのためテーラワーダ仏教では白鳥は修行者の象徴として描かれいます。東京渋谷区幡ヶ谷のゴータミー精舎の一階の仏像の背景の絵には白鳥が描かれいますし、天井にもデザインされています。

 「念をそなえて」の念(サティ)については、前回のこの詩から学ぶこと」に書きましたので、参照してください。ここでは、蛇足を一つ、念という漢字は「今の心」と書きます。サティは「今の心」に気づいていることですから、念の漢字はサティそのものを表現しているように思います。しかし、今では念の字は、念じるという意味で使っていますので違いに注意する必要があります。

 「子供のためのダンマパダ」では、今回の詩から離れているように思えますが、私は離れていないと思っています。疑問を持つ子供は、眠っていないのです。起きているのです。起きていることは気づいていることです。起きている子供の周りの世界はすべて未知の世界ですから、疑問が起きて当然です。何?何故?と思うのです。起きている子供の能力は発達します。大人は子供の疑問をつぶさないで下さい。それは子供の能力を伸ばすことになります。昨日1月10日の講演会でスマナサーラ長老はこのこともお話しなっておられました。大人は子供の疑問に答えられれば答えればよいのですが、答えられなくとも自分も分からないから、いっしょに調べようとか、大きくなった調べて教えてと言って下さい。それでよいのです。


〇この詩にかんするスマナサーラ長老の説法

聖者(阿羅漢)の心(2) ~真の自由人間への道~
http://www.j-theravada.net/howa/howa31.html

〇前回の「この詩から学ぶこと」
春になり白鳥沼を捨てるよう念ある人は執着捨てる
http://76263383.at.webry.info/200903/article_7.html


〇パーリ(語)原文
91.
ウッユンジャンティ サティーマントー
Uyyuñjanti       satīmanto,
出家する        有念者は
ナ  ニケーテー ラマンティ テー
na   nikete     ramanti   te;
ない 家で     楽しま   彼らは
ハンサーワ  パッララン ヒトゥワー
Haṃsāva    pallalaṃ   hitvā,
白鳥は 如く 沼を    捨てる
オーカモーカン ジャハンティ テー
okamokaṃ     jahanti      te.
家を家を     捨てる     彼らは


〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp87-99.pdf


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~


~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

ワタナベ
2010年01月11日 23:14
>念という漢字は「今の心」と書きます。サティは「今の心」に気づいていることですから、念の漢字はサティそのものを表現しているように思います。
☆ご教授ありがとうございます。僕は今までこの事には全く気づきませんでした。目から鱗が落ちた感じです。m( )m
ワンギーサ
2010年01月11日 23:57
ワタナベさん、コメントありがとうございます。
念という字に関して、昔の中国に「念」という概念があったのか、お経を中国語に翻訳する時、できた漢字なのか知りたいものです。私の予想では後者なのではないかと思いますが、調べて見ないと分かりません。すでにその点に関する研究があるかもしれませんが、ご存知の方は教えてほしいものですね。
2010年01月12日 04:31
ワンギーサさん、おはようございます。勉強して、いい学校に入って、いい仕事に就いて、お金や地位などにこだわりながら人並みに暮らす。標準的な世間の価値観でしょうか。特に仕事が生き甲斐、という価値観があると、職場での「悩み」が絶えませんね。思いきって本業を仏教に変えてみる。それは決して「やるべき仕事(職場)をサボる、いい加減に手抜きする」という意味ではありません。というかそうはなりません。むしろ効率がよくなり、よく働けます。なぜなら、妄想を減らすことで、道理が見えてくるからです。それ以上に、だんだん世間に惑わされなくなります。世間のやってること、とてもこだわっていることに「深刻に悩む」要素などそもそもない。ということが少しづつ分かってきたからです。最初は強引ですから「これって負け惜しみかな?ただのへそ曲がりかな?」と思ってましたが、実はそうではないのだと実感できてきました。仏教に沿って生きることで、幸福感が味わえる。仏教に出会えて本当に良かったと思います。有難うございました。
ワンギーサ
2010年01月12日 07:29
新さん、おはようございます。
本当に仏教に出会えてよかったですね。
私も本当にそう思います。
おんがえし
2010年01月12日 09:11
 念というのは、よい訳語だと思います。しかし、現代日本において、サティが念と訳されていたら、ほとんどの人は、ヴィパッサナー実践はできなかったのではないかと思います。

 サティを「気づき」と初めて訳された方、そして、それを日本において普及された方を決して忘れてはならないと思います。

 真の天才の業績というのは気づきにくいこともあると思います。そして、いつのまにかその業績が当然のこととなってしまい忘れ去られることもあると思います。
ワンギーサ
2010年01月12日 09:42
おんがえしさん、コメントありがとうございます。その通りですね。おんがえしさんは遠慮してか、その方のお名前を出されておりませんが、その方はスマナサーラ長老です。日本人はその恩を忘れてはいけないと思っています。
 私はもう一つ、その方に感謝しなければならない重要な功績があると思っています。それは慈悲の瞑想です。日本人が唱えやすい、釈尊の教えを的確に表現した、日本人のための慈悲の瞑想を作ってくれました。ありがたいことです。
ぱん
2010年01月12日 19:45
ワンギーサさん、昨日はアドバイスありがとうございました。念覚支(今の心に気づくこと)を実践してゆけば、自然と捨覚支まで進むということを知り、七覚支についての理解が明確になりました。ありがとうございました。
こころざし
2015年08月06日 07:52
現在小学生の子供が何かを疑問に思った時、親に聞いたりインターネット等で調べたりしています。容易に調べる媒体があるからか、分からずに終わる事例は少ないです。
そのような経験を通じて「何故疑問に思うのか?」「疑問に思う私って何?」みたいに繋がって行くと良いなと見守っています。そんな質問になった時は、こちらで学ばせて頂いているお釈迦様の教えを説明したいなと思います。
たか坊
2016年10月20日 15:34
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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