92.93.彼らの行方は知りがたい空飛ぶ鳥の行方のように

ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 92.93.

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


貯え蔵することがなく
食べる物に知悉(ちしつ)して
空にしてまた無相なる
解脱の境地を得た者らの
かかる行方(いくえ)は辿(たど)りがたい
空飛ぶ鳥の行方のように

もろもろの煩悩が滅尽し
食べる物にも捉われず
空にしてまた無相なる
解脱の境地を得た者らの
かかる跡は辿りがたい
空飛ぶ鳥の跡のように


(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み

蓄えるということがない
生きることの意味を知り
空と無相と解脱の
境地を知る者ならば
彼の行方は知りがたい
空飛ぶ鳥の行方のように

煩悩を滅尽して
生きることに依存しない
空と無相と解脱の
境地を知る者ならば
彼の足跡は知りがたい
空飛ぶ鳥の足跡のように


〇子供のためのダンマパダ

アラカンってどんな人?
たくわえようとしない人
生きる意味を知っている人
違いを知って
違いのないことがわかった人
本当に自由な人だよ

アラカンってどんな人?
なにもほしがらない人
生きることにこだわらない人
違いを知って
違いのないことがわかった人
本当に自由な人だよ





〇一口メモ

 92番の詩については、昨年暮れの12月26日のゴータミー精舎の大掃除の後、スマナサーラ長老がダンマパダ講義を行い、解説されました。幸いなことにその詳細については日本テーラワーダ仏教協会の事務局長佐藤哲朗(ナーギタ)さんがtwitterメモを取ってくれています。そのアドレスは下記の通りです。

2009-12-26 Bi本&2009年最後のダンマパダ講義twitterメモ
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20091226/p2

 いずれ、日本テーラワーダ仏教協会からDVDとして発売されるはずです。ダンマパダの注釈書に基づく解説は片山一良先生の「ダンマパダ」や北嶋泰観先生の「ダンマパダ」にも掲載されていますが、スマナサーラ長老の今回の解説はさらに懇切、丁寧なものでした。

 その一部をナーギタさんのメモ参考に、順番を整理してまとめてみましょう。先ず話の前提は、阿羅漢の境地は人間に絶対ない経験で、説明してもわからない境地だということです。このことをこの詩の最後の二行「彼らの行方は知りがたい、空飛ぶ鳥の行方のように」で語っているのです。
ですから、我々が知っていることから説明するしかないのです。

 この詩で述べられている阿羅漢の特徴は、1.「貯え蔵することがなく」2.「食べる物に知悉して」3.「空にして」4.「無相なる」5.「解脱の境地」です。

1.「貯え蔵することがなく」。スマナサーラ長老はなぜ私達は蓄えるのか?皆さんに質問しました。皆さんいろいろ応えましたが、正解は長老が述べられました。
蓄えることについては、協会ホームページの長老の説法にも詳しく書かれています。アドレスは下に記載しました。

2.「食べる物に知悉して」。食べる物は単に食べ物を言っているのではなく、生きることとは何かということであり、生きることは何かを知り尽くしたという大変は悟りの境地を言っているのだそうです。

3.「空にして」。今回の講義では空については、説明を控えられました。(時間がなかったという意味もあります。)それでも、空は無相と同義語ということもありますが、空は依存性との関係で理解する必要があると一言述べられました。

4.「無相なる」。今回の講義の圧巻は「無相」でした。これについてはナーギタさんのメモをじっくり読んで検討して下さい。その中で一番印象に残った言葉は「無相について解る、いうのはおかしい。わかるのは特相ですから、無相が解る、という言葉がなりたたない。すべての現象は無相なのです。空であることなのです。」

5.「解脱の境地」。空性と無相は人間に理解できない。解脱はまだわかりやすい。自由ということだから。イメージ的に、経験的に、なんとなくわかることです。終身刑だった人が、いきなり恩赦を告げられるようなもの。ものすごい安らぎの波が現れてくる。

 最後に蓄えることに関して質問があり、在家の人は、シーガラ経にあるように、緊急時に備えいくらか蓄えなさいと教えていることにも言及されました。

 以上です。スマナサーラ長老及びナーギタさんありがとうございました。

 93番については、主なる違いは一行目ですが、その点について前回の「この詩から学ぶこと」を御参照下さい。

〇92番に関するスマナサーラ長老の説法

聖者(阿羅漢)の心(3) ~たまったゴミは捨てましょう~
http://www.j-theravada.net/howa/howa32.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

92番 飛ぶ鳥の足跡解らぬそのように空と無相を知る人解らぬ
http://76263383.at.webry.info/200903/article_8.html

93番 飛ぶ鳥の足跡解らぬそのように食に頼らぬ心解らぬ
http://76263383.at.webry.info/200903/article_9.html


〇パーリ(語)原文
92.
イェーサン サンニチャヨー ナッティ
Yesaṃ     sannicayo     natthi,
彼らの    貯えることは   ない    
イェー パリンニャータボージャナー
ye     pariññātabhojanā;
彼らは  食物をよく知る者
スンニャトー アニミットー チャ
Suññato     animitto   ca,
空        無相    又
ヴィモッコー イェーサン ゴーチャロー
vimokkho    yesaṃ    gocaro;
解脱      彼らの    境地が
アーカーセー ワ サクンターナン
Ākāse      va  sakuntānaṃ,
空の      如く 鳥の
ガティ テーサン ドゥランナヤー
gati   tesaṃ    durannayā.
行方  彼らの   知り難い

93.
ヤッサーサワー パリッキーナー
Yassāsavā      parikkhīṇā,
彼の煩悩が    滅尽し
アーハーレー チャ アニッスィトー
āhāre       ca    anissito;
食物おいて  又    依存しない
スンニャトー アニミットー チャ
Suññato     animitto   ca,
空        無相    又
ウィモッコー ヤッサ  ゴーチャロー
vimokkho    yassa   gocaro;
解脱       彼の  境地
アーカーセー ワ  サクンターナン
Ākāse       va  sakuntānaṃ,
空の       如く 鳥の
パダン タッサ ドゥランナヤン
padaṃ  tassa   durannayaṃ.
足跡  彼の   知り難い


〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp87-99.pdf


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

名古屋人
2010年01月12日 21:29
蓄えることについて、卑近な例えであげると、引越しの時を思うといいです。生活しているときには、必要だから買ったものでも、運送の邪魔になりそうだからと、けっこう思い切って捨てられるものでえす。捨ててしまえば、なんだ、無くてもよかったのにと思いもします。しかしながら、そこが凡夫(笑)。引越し先で、また、旧に倍するぐらい買い込んでしまう。皆様も経験がお有りでしょう。
たま
2010年01月12日 23:19
ナーギタさんのtwitterメモを読んでみました。
特相、無相の話、今の私には理解がとても難しいです。

特相がある=変わらないその物としての特徴があるってこと??
本当は無相だ、というのは、全ては現象であって、瞬間瞬間変化しているから、物によって、これは何で、これは何で、という区別が本当はないのだ、ということ??

妄想でサビた頭では・・・。
もっと修行して頭を明晰にしようと思います。
CyberBaba
2010年01月13日 02:04
蒸し返すようですが、、、

「法に反して、自分の成功を望まない」で、賢者と言う者は法に反しようがなかろうが、根本的に子供も、財産も、権力も望まないのではないかとコメントさせていただきましたが、この章はそれを裏付けるのでないでしょうか?子供も、財産も、権力も蓄えようという心であり、足跡を残す行為です。阿羅漢・賢者という者はそういう思いを全く持っていないと思われます。

しつこくすみません。
2010年01月13日 06:25
ワンギーサさん、おはようございます。いや~、これは難しいですね。DVDで勉強したいです。スマナサーラ長老は「何がどう難しいのか?」を伝えてくれます。これは凄いことだと思います。単に「難しい」だけなら、私にも言えます(笑)。ナーギタさんのメモでは「蓄える衝動を、釈尊は渇愛というんです」の部分で一応目処がつきました。「生存欲」さえ全くない阿羅漢に至るまではかなり大変そうですが、一歩一歩全ての「渇愛」をなくすために、八正道を頑張るしかありませんね。有難うございました。ナーギタさん、お疲れ様でした。
ワンギーサ
2010年01月13日 07:53
名古屋人さん、コメントありがとうございました。

たまさん、コメントありがとうございました。
ヴィパッサナー瞑想を確実に実践すれば、頭は抜群に明晰になると思います。がんばって下さい。

CyberBabaさん、コメントありがとうございます。
ナーギタさんのコメントを読んで頂ければわかると思いますが、「しつこい」は日本では貶す言葉ですが、真理を発見するためには、「しつこさ」が必要だと、また「しつこい」とは頭がいいということだとスマナサーラ長老は仰っていました。CyberBabaさんは自慢していいくらいです。
さて、本題ですが、84番の詩をもう一度読んで頂ければわかることですが、「自分の成功を望め」とは言ってないのです。成功は法に従った行動でついてくるということです。そんなところで納得いただけたでしょうか。

新さん、おはようございます。
そうですね、DVDで詳しく勉強する必要がありますね。


おんがえし
2010年01月13日 15:56
 ワンギーサさま。前のダンマパダのコメント欄でのお返事ありがとうございました。

 慈悲の瞑想の点、まさにその通りだと思いました。

 ところで、J・クリシュナムルティという方をご存知でしょうか。スマナサーラ長老が、この御方について、ブッダの実践心理学2(サンガ、藤本晃先生との共著)において、「生まれながらにして預流果と思う。」というようなことをおっしゃられていた記憶があります。また、「自我がないことも見えるのです。」というような趣旨のこともおっしゃっていたように思いますので、その後、阿羅漢に達せられたのだろうかとも思われる御方です。

 この方が、「自己の変容」(めるくまーる)の、「気づき」という題名の中で次のようにおっしゃっておられます。

 …そのすべてがなんと単調なくり返しでしょう!気づきは私たちにその罠の性質を明らかにしました。それゆえ、すべての罠はなくなります-ですから、今、心は空です。〈私〉や罠が空になっているのです。

 この心には異質の、異次元の気づきがあります。この気づきは、自分が気づいていることにすら気づきません(引用終わり)。

 ですので、「気づき」にも想像を絶したレベルがあるのであって、普通の人は分かったつもりになっているだけだと思います。
CyberBaba
2010年01月14日 01:09
ワンギーサさん、ありがとうございます。

この記事のコメントの方は納得いたしました。しかしそうなると「84番法に反して、自分の成功を望まない」の一口メモは誤りだということになりますね。なぜならこう書いてあるからです。「法に反しなければ、自分 の成功を望んでもいいのです。」正しくは「自分の成功を望んではならない。必要な場合には成功は自ずとついてくるが、それを望んではいけない。」となるはずです。

納得いただけましたでしょうか?
ワンギーサ
2010年01月14日 07:47
CyberBaba さん、おはようございます。
前回のCyberBaba さんへの返事のコメントを書くときは、その辺の事情を考慮して、注意深く書いたつもりです。以下再掲載しますので、再度お読み下さい。

「仏教は勝利者の道が説かれています。世間でも出世間でも法に従って成功する道を説いているのです。法に反して、成功しようなどという負け犬の道ではありません。しかし、法に従って成功するためには智慧が必要です。愚か者にはできないことです。
 もう一歩踏み込んで考えると、仏教は涅槃への道を説いているのですから、その過程でいわゆる世俗の成功たとえば子供、財産、権力などを得ることは全然問 題ないのです。それらを望まないのが目的ではありません。涅槃への修行の過程で人格が向上し、智慧を開発した人は当然世間での仕事など当然成功するでしょ う。」

「それらを望まないのが目的ではありません。」が多少問題になるのでしょうが、阿羅漢はもちろんそんな望みはありません。



CyberBaba
2010年01月16日 00:20
ワンギーサさん、ありがとうございます。

一般的に言えば、世俗の成功たとえば子供、財産、権力などを得ることは問題ないと納得いたしました。しかし私は困難であっても阿羅漢の境地を目指したいと思います。

ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。
こころざし
2015年08月06日 08:10
本文を拝見し、深さを感じました。容易には分からない印象も感じますが、子供のためのダンマパダをもう一度拝見して、内容を思いました。子供等家族やお金等々・世俗の事に執着せず、阿羅漢を目指したいです。

たか坊
2016年10月21日 19:51
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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