99.阿羅漢には森林は楽しい、そこは人が楽しむ所ではないが

ダンマパダ 第7 阿羅漢の章 99

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


世人が楽しむことのない
森はいずれも楽しいところ
離貪の者らは楽しむでろう
かれらは貪り求めぬゆえに


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

阿羅漢には森は楽しい
そこは人が楽しむ所ではないが
欲を離れた人々が楽しむ所
彼らは欲を求めないから


○子供のためのダンマパダ

みんな森はさびしくて、怖いと言う
アラカンのおじさんは楽しいと言う
なぜだろう
さびしくないのかな、怖くないのかな




○一口メモ

 阿羅漢が楽しいと言っても、それは凡夫が楽しいと言うのとは意味が違うのです。阿羅漢の言う楽しいは凡夫にはうかがい知れない境地なのです。それは、昨日のブログのコメントに名古屋人が書いてくれたことです。

 この記事のメモとしては前回の「この詩から学ぶこと」にいろいろ書きましたので、そちらをお読み下さい。


○前回の「この詩から学ぶこと」

阿羅漢は森や林を楽しむよ欲を求めぬ人々だから
http://76263383.at.webry.info/200903/article_15.html


○パーリ(語)原文

99.
ラマニーヤーニ アランニャーニ
Ramaṇīyāni     araññāni,
楽しい        森は
ヤッタ ナ  ラマティー ジャノー
yattha  na   ramatī    jano;
所の  ない 楽しま    人が
ヴィータラーガー ラミッサンティ
Vītarāgā        ramissanti,
離貪の人々が    楽しむだろう       
ナ  テー   カーマガウェースィノー
na   te     kāmagavesino.
ない 彼らは  欲を求める者で

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp87-99.pdf


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

おんがえし
2010年01月19日 17:13
 スマナサーラ長老が、おおむね、このような喩えで叱られた記憶があります。
 「阿羅漢は宇宙を飛び越えている。(あなたは)まだ月にも到達していない。」
 この叱られた人は、スマナサーラ長老から「瞑想が進んでいる」と言われたこともあり、また、スマナサーラ長老が、後日、「私が瞑想が進んでいると言ったら相当に進んでいるんです。」ともおっしゃられた記憶もあります。
 喩えを読んで頂いても分かりますように、この人は、地球の大気圏は突破しており、自動航行状態には入っていると思われます。
 そういう人に対して、スマナサーラ長老は上のようなことを述べられたのですから、阿羅漢になられた方というのは、ワンギーサさまがおっしゃられるとおり、凡夫にはうかがい知れない境地なのだと思います。
2010年01月19日 17:47
ワンギーサさん、おはようございます。こういう場合、「そんな危険な場所に行かなければいい。危険な場所を安全にしてしまえばよい」と考えるのが凡夫なのではないでしょうか。問題はあくまで「外」にあり。ということで、文明化された現代日本での生活がそれを物語っているように思います。一方、自然超克のための科学文明とある意味対峙してきた「宗教」も、例えば「死の恐怖」などを克服するためにあったのではないでしょうか。その点では科学文明と宗教は持ちつ持たれつの関係と思います。この問題の根本を「自然破壊」という方法にもよらず、宗教の「神」のような超越的概念にもよらず、あくまで人間の「心の問題」、つまり「外」でなく「内」としたところが凄いと考えてます。「心が主」とする仏教の本質を鋭くとらえた偈なんじゃないかと思いました。以上、凡夫の浅知恵感想でした(^_^;)。有難うございました。
Rivar
2011年04月10日 18:14
夫は僧侶で若くして位をとり世間では嫁としてはまあ‥。彼が呑みに行っている常連客として店をみてショックで胸が半年以上つかえました。彼は私に嘘をその都度適度に言い一面エロでうってる女性の集まりのヨウナ店でした‥。在家仏教だなと。1人づつ皆一人もらす事無く皆が僧だと思った。私も既にお釈迦様如来様の御弟子だったと彼より自信をもつぞォ。
こころざし
2015年08月08日 07:44
本文を拝見し、心が明るくて・透明で・安定している様子を感じました。
日常で色々な事がある中で、心が明るく、自我・エゴ等で汚れず、どんな状況でも安定している事を目指したいです。
たか坊
2016年10月27日 17:25
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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