100~102.聞いて心の静まりゆける一つの意味ある句がまさる

ダンマパダ 第8 千の章 100、101、102

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


無意味な句を伴える
一千からなる言葉よりも
聞いて心の静まりゆける
一つの意味ある句がまさる

無意味な句を伴える
一千からなる詩偈よりも
聞いて心の静まりゆける
一つの詩偈の句がまさる

無意味な句を伴える
百の詩偈を語るよりも
聞いて心の静まりゆける
一つの法の句がまさる


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

無益な語からなる
千の言葉よりも
心の静まる一つの益ある言葉を
聞く方がすぐれている 

無益な語からなる
千の詩がよりも
心の静まる一つの益ある詩を
聞く方がすぐれている 

無益な語からなる
百の詩を唱えるよりも
心の静まる一つのダンマパダを
聞く方がすぐれている


○子供のためのダンマパダ

無意味なギャグを
百回聞いて喜ぶよりは
心の落ち着く言葉を
一つ覚えなさい





○一口メモ

 今回の詩について私がいろいろ書くよりは、スマナサーラ長老の説法をすぐお読み下さい。
100番では、「心を清らかにするためには『もう遅すぎる』ことはありません。」とこの詩ができた因縁物語を通じて感動的に語られています。アドレスは下記してあります。

 また、101番の詩では、「心を清らかにすることに、『後回し』はありません。」ということがよく分かるように述べられています。この因縁物語の主人公が「後回し」をしたら、死ぬ前に阿羅漢になることができなかったのです。また、この説法の中では、瞑想の重要なポイントが述べられています。そこだけは下に引用しましょう。

 「釈迦尊は立ったまま説法を始めました。
『バーヒヤ、見るものは見ただけで、聞くものは聞いただけで、感じたものは感じただけ、考えたことは考えた だけでとどまりなさい。そのときあなたは、外にはいない(対象に捕らわれないという意味)。内にもいない(心の中にも執着・煩悩が生まれないという意 味)。外にも、内にもいないあなたはどちらにもいない(解脱の状態)。それは一切の苦しみの終わりである』と。」


○この詩に関するスマナサーラ長老の説法

100番: 実る生き方 ~最後まであきらめない~
http://www.j-theravada.net/howa/howa34.html

101番: 実る生き方 ~明日では遅すぎる~
http://www.j-theravada.net/howa/howa35.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

朝起きて無益な言葉千よりも心静まる一つの言葉
http://76263383.at.webry.info/200903/article_16.html


○パーリ(語)原文

100.
サハッサマピ チェー ワーチャー
Sahassamapi   ce    vācā,
千   たとえ  もし  言葉
アナッタパダサンヒター
anatthapadasaṃhitā;
意味のない句を伴った 
エカン アッタパダン セッヨー
Ekaṃ  atthapadaṃ   seyyo,
一つ  意味の句   より優れている
ヤン  ストゥワー ウパサンマティ
yaṃ   sutvā     upasammati.
それを 聞いて   静まる

101.
サハッサマピ チェ ガーター
Sahassamapi  ce   gāthā,
千   たとえ もし 詩偈
アナッタパダサンヒター
anatthapadasaṃhitā;
意味のない句を伴った
エカン ガーターパダン セッヨー
Ekaṃ   gāthāpadaṃ    seyyo,
一つの  詩偈の句     より優れている
ヤン ストゥワー ウパサンマティ
yaṃ  sutvā     upasammati.
それを 聞いて   静まる

102.
ヨー チャ ガーター サタン バーセー
Yo   ca   gāthā    sataṃ  bhāse,
彼が 又  詩偈を   百   語る 
アナッタパダサンヒター
anatthapadasaṃhitā;
意味のない句を伴った
エカン ダンマパダン  セッヨー
Ekaṃ  dhammapadaṃ  seyyo,
一つ  法句を      より優れている
ヤン ストゥワー ウパサンマティ
yaṃ  sutvā    upasammati.
それを 聞いて   静まる

○99番までの詩のパーリ語については、日本テーラワーダ仏教協会のホームページの「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ(記録文責 柴田尚武様)を参照しておりましたが、99番で終了しております。100番からは、正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。関係者のみなさま大変ありがとうございます。尚、このまとめは現在ネット上にはアップされておりません。広く皆様にも活用できますように、ネット上に掲載して頂けるようにお願いしております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

2010年01月20日 03:39
ワンギーサさん、おはようございます。~最後まであきらめない~、~明日では遅すぎる~、これから毎日唱えます。有難うございました。
おんがえし
2010年01月20日 10:12
 バーヒヤ尊者のお話に関連して書き込ませて頂ければと思います。ワンギーサさまは、専門比丘ですので分かっておられると思いますが、瞑想がまだ進んでいない方もいらっしゃると思うからです。
 たとえば、熱湯に手を触れ、「熱さ」を感じたとします。この「熱さ」は、純粋な感受(感覚)だけでしょうか?私は、そうではないと思います。
 「熱さ」は、過去の「冷たさ」の記憶・思考と比較しているからこそ感じるのだと思います。
 ですので、それは純粋な感受ではなく、思考が入りこんでいると思います。
 スマナサーラ長老が、六処が六根に触れたときに感受が生じ、思考が生じる、その感受と思考の間に一瞬の隙間があるという趣旨のことを暗にほのめかされた記憶がございます。
 クリシュナムルティ師も、「知恵のめざめ」(星雲社、訳小早川詔・藤仲孝司54頁)において、このような趣旨のことを示唆されているように思います。
 「六処が六根に触れたときに、気づいて止まり、思考まで行かない」、それがヴィパッサナーの奥義なのではないかと私は思っています。
 音が耳に触れた場合に、音とラベリングするか、聞いているとラベリングするかにつきましては、http://www.j-theravada.net/dhamma/oriori10.htmlにスマナサーラ長老のご解説がありますので、お読み頂ければと思います。
 なお、スマナサーラ長老が「(みなさんが聴いているのは、ブッダの教えに言う「音」ではなく)耳識」という趣旨のお話をなされた記憶がございます。
 ですので、バーヒヤ尊者に語られたお釈迦様のお話も俗世間のレベルで理解するのは浅智慧だと思います。
おんがえし
2010年01月20日 10:30
 それと、たとえば、カラスの声を聞いたときに「音」とラべリングしても、心で「カラスの声」と分かってしまっているならば、それは「音」で止まったことにはならないと思います。
 それは思考に飛んでいることになると思います。
 純粋に「音」のところで止まらなければならないと思います。
 そうすると真理の世界を発見するということだと思います。
 日本テーラワーダ仏教協会発行の「サティとサンパジャーナ」というテープの中で、このような趣旨のことをスマナサーラ長老が解説されていたように思いますので興味がある方はお聴きいただければと思います。
ワンギーサ
2010年01月20日 18:33
新さん、今晩は。今日は新さんのコメントがないな、病気でもしたのかと心配していましたが、サーバーのメンテナンスの関係で、コメントの連絡が私のところに来なかったのですね。安心しました。また、重要な二言を毎日唱えられるそうで、私も見習います。最後まであきらめない。明日では遅すぎる。
ワンギーサ
2010年01月20日 18:37
おんがえしさん、コメントありがとうございます。コメントの内容は難しいところですが、あなたのコメントを参考に多くの方が実践されるといいですね。
こころざし
2015年08月08日 07:54
情報が過多にありそれに接するだけで大変になりかねない今の状況の中、本当に大切な事を教えて頂ける至福さを感じます。
そしてそれが確信で本当に大切だと分かったら、その他の溢れた情報は放っておいて、大切な事を中心にして生きるとブレないように思います。そのように実践して参りたいです。
たか坊
2016年10月28日 21:10
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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