104.105.他の人々に勝つよりも己に勝つ方がすぐれている

ダンマパダ 第8 千の章 104、105

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


自己を征服する者は
他の人々に勝つにまさる
つねに自己を調えて
自ら制しゆく人あり

かかる人の勝利ならば
神もまたガンダッバも
さらに魔も梵天も
誰も敗北に転じえず


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

他の人々に勝つよりも
己に勝つ方がすぐれている
絶えず己を制し
行いを制御する者 

このような人の勝利を
神も音楽神も
悪魔も梵天も
敗北にすることはできない


○子供のダンマパダ

自分自身の欲望に
打ち勝つことは
どんな勝利より偉大だよ
もう彼には負ける相手がいない





○一口メモ

 今回の詩も、自分自身に勝つこと、克己がテーマです。この詩では、己に勝つとは、「絶えず己制し、行いを制御すること」と定義しています。己を制しは感情のままに生きるのではなく、理性的に判断して、悪い行いを止め、良い行いをするということです。この意味するところは自分の欲望あるいは自分の煩悩を克服するということです。

 ここで、少し考えておきたいことは、単に欲望あるいは煩悩がはいけないことだから、捨てなさいということでなく、欲望あるいは煩悩の問題点をよく理解して、その捨てる方法も知っておく必要があるのです。無理をして捨てるということではないのです。理解が進めば、無理なく捨てたくなるものです。捨てるのが苦しい人は、仏教の勉強をさらに深める必要があります。本来仏教は苦を克服するためのものだからです。

 幸い、「中部経典第2 一切煩悩経」の現代語訳を柴田尚武様を中心とするパーリ語輪読会がネット上にアップしています。アドレスはhttp://d.hatena.ne.jp/pali/ 。このお経は、題目の通り、一切の煩悩を克服する方法を、七つに別けて詳しく説かれています。少し難しいかもしれませんが参考になります。

 いつものことですが、この詩ができた由来の物語などがスマナサーラ長老の説法にありますので、そちらも是非お読み下さい。

 「子供のためのダンマパダ」は今回少し難しいかのしれませんが、自分の欲望をコントロールできれば、怖いものはありません。そのことを大人も子供といっしょに考えてみましょう。



○この詩に関するスマナサーラ長老の説法

競争での勝利は勝利にあらず ~必要に迫られても悪は正当化できません~
http://www.j-theravada.net/howa/howa37.html

○前回の「この詩から学ぶこと」

戦場で百万人に勝つよりも一人の己に打ち勝ちがたい
http://76263383.at.webry.info/200903/article_17.html


○パーリ(語)原文

104.
アッター ハウェー ジタン セッヨー
Attā     have   jitaṃ   seyyo,
自己に  実に 勝つことは より優れている
ヤー チャーヤン イタラー パジャー
yā    cāyaṃ    itarā    pajā;
こと しかしこの   他の   人々に  
アッタダンタッサ     ポーサッサ
Attadantassa        posassa,
自己が調御された者   人の
ニッチャン サンニャタチャーリノー
niccaṃ    saññatacārino.
常に     調御して行う者

105.
ネーワ    デーヴォー ナ ガンダッボー
Neva      devo     na  gandhabbo,
ない まさに 神は   ない 音楽神
ナ  マーロー サハ ブラフムナー
na   māro    saha  brahmunā;
ない 悪魔   ともに 梵天
ジタン アパジタン カイラー
Jitaṃ  apajitaṃ    kayirā,
勝利を 敗北に    する    
タタールーパッサ ジャントゥノー
tathārūpassa      jantuno.
そのようなあり方   人の

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。関係者のみなさま大変ありがとうございます。尚、このまとめは現在ネット上にはアップされておりません。広く皆様にも活用できますように、ネット上に掲載して頂けるようにお願いしております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

2010年01月22日 04:47
ワンギーサさん、おはようございます。柴田様「一切煩悩経」の翻訳有難うございました。ワンギーサさんが指摘されたように理解すればよいのでしょうが、「間違った」理解はやぶへびになるでしょう。だから、「これは苦である」について、間違いを指摘して頂ければと思います。まず、昨日の朝カルでスマナサーラ長老がポイントとされた「地球の生命の存在するための戦いは存続の危機になっている」という内容は「苦の説明」と理解してます。生きることの矛盾です。さて、今月10日の「縁起」についての講演会でのポイントは、「瞬間の因果論が大切」ということでした。照明があるから本が読める。など。対して、世間の因果論は「時間」というラインで考えている。昨日の講義で「矛盾」とされたことは、この「瞬間の因果論」に基づいたものと理解してます。物事には必ず両面がある。一方、時間を長く取りすぎると「因果」どころか「常住論」が生まれる。過去や未来のことを考えると、「自分がいる」と決めてしまう。時間の前提と「変わらない自分がいる」とすることとは不可分離で、煩悩対策は徒労に終わるのだと理解してます。有難うございました。
ぱん
2010年01月22日 10:41
昨日、「歩く瞑想毎日一時間を一年間継続する」という計画がうやむやになっていたことを書きました。このブログの2009年10月12日の記事のコメントで、立てた計画です。先週、ワンギーサさんから七覚支についてアドバイスをいただいたことによって、念覚支(今の心に気づく)を継続すれば捨覚支にまで自然と進むという方向性がかなりはっきりと見えたこともあり、去年の12月頃に中断していた瞑想実践を再開したいと思います。自分自身に勝つために、地道に毎日、小善を積み重ねてゆきたいと思います。近道はないようですから。生きとし生けるものが幸せでありますように。
ワンギーサ
2010年01月22日 14:47
おんがえしさんへ。
私はあなたのことを知っています。
あなたにメールでお答えしたいと思っていましたが、正体を名乗っておられませんし、メールアドレスを知りませんので、やむおえず、このコメント欄でお答えします。
あなたのコメントで皆様に役に立つと私が判断したものは公開していますが、わたしのブログの雰囲気に合わないと私が判断したものは公開いたしません。そのことを了解して下さい。
 一つ提案ですが、御自分のブログを作って、自分の主張を述べたらどうでしょうか。
 三宝のご加護がありますように。
あっきん
2010年01月22日 15:02
楽を追求するとバカボンになって退化します。アッキンはあまり風邪をひかない(バカボンかも)
何故かと言うと暖房器具があるのにあまり使いません。
すると、体が温度に適応するからです。体には本来そういった機能があるそうです。真実を見つめ戒を守り天才はじめ君のようになりたいです。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
1951男
2010年01月22日 17:52
一切煩悩経を紹介していただきありがとうございます。
18(5)誤った思惟(邪見)の事例として、
「自分の存在に疑惑を持つ者となること」があげられています。ここで迷わないようにしましょう。


慈悲と知慧
2010年01月26日 22:27
素晴らしいブログですね。ツイッターにてパーリ経典のブログと共にこのブログを紹介させていただきました。パーリ経典のブログは今後も訳を掲載していくのでしょうか?なのであればこの先楽しみです。
ワンギーサ
2010年01月27日 00:19
慈悲と知慧さん、コメントありがとうございました。
パーリ経典のブログは柴田さんが掲載されていますが、輪読会で、経典を一つ輪読終了したした時点で、新しい経典の訳を掲載されると思います。
こころざし
2015年08月09日 13:21
職場で相手の対応にクレームしますが、自身の事は見れない様子・・の方を拝見し、そもそも自分でない人より、自分の等に気が付きそれを律していく必要があるのではと感じました。
自分の事が制御出来ていて→非がないのであれば、相手にどんな対応をされても心は揺るがない、と思います。
自己の観察をして、自身の欲望等を制御出来るように努めたいです。
たか坊
2016年10月31日 02:54
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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