112.堅固に精進努力して一日生きる方がまさる

ダンマパダ 第8 千の章 112

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


怠惰に耽り、励むことなく
百年生きながらえるより
堅固に精進努力して
一日生きる方がまさる

(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

怠けて、不精進で
百年生きるよりも
堅固に精進に励み
一日生きる方が優れている


○子供のためのダンマパダ

努力して有意義に一日生きるのと
怠けて無意味に百年生きるのと
どちらが幸せな生き方でしょうか?
私は前者だと思いますね





○一口メモ

 今回の詩のキーワードは、仏教用語で言えば精進です。八正道の正精進です。日常用語では努力です。仏教では四つの努力が勧められています。

1.注意する、または防ぐ努力。まだ生じてない不善を抑えて起こさない努力。
2.捨てる、またはなくす努力。生じた悪・不善を捨てる努力。
3.増進、または生じさせる努力。まだ生じてない善を生じさせる努力。
4.維持する努力。既に生じている善を根付かせ、さらに完全になるまで増進する努力。
(ポー・オー・パユットー著 野中耕一編訳「仏教辞典」p53より)

 男心あるいは女心でも、どちらでも心は変化しやすいのです。努力しようとするやる気もすぐなくなりやすいのです。スマナサーラ長老の説法に、「落ち込むの人間の本性」とあります。落ち込みを克服して、努力することが大切です。百年努力を続けようと考えると、困難だと思えますが、一日だけでも、努力してみると、満足や充実感が得られるのです。そのエネルギーで次の日も努力が続けられます。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「落ち込むのは、人間の本性」 ~良い目的はやる気を持続させる~
http://www.j-theravada.net/howa/howa42.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

不精進 怠けて百年生きるより堅固に励み一日生きよ
http://76263383.at.webry.info/200903/article_20.html


○パーリ語原文

112.
ヨー チャ ワッササタン ジーウェー
Yo   ca   vassasataṃ   jīve,
人が 又   百年     生きる
クスィートー ヒーナウィーリヨー
kusīto      hīnavīriyo;
怠惰で    精進しないで
エーカーハン ジーウィタン セッヨー
Ekāhaṃ      jīvitaṃ     seyyo,
一日の      命が     より優れている
ウィーリヤマーラバトー  ダルハン
vīriyamārabhato       daḷhaṃ.
精進に励んでいる者の  堅固に

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。関係者のみなさま大変ありがとうございます。尚、このまとめは現在ネット上にはアップされておりません。広く皆様にも活用できますように、ネット上に掲載して頂けるようにお願いしております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

2010年01月28日 03:41
ワンギーサさん、おはようございます。確かに、一生懸命努力すると、充実感が得られます。「今日だけは一日中善いことだけをしようと決意して」やってみる。朝起きて、礼拝し慈悲の暝想をしっかりやる。当然ながら「戒」は守る。妄想が出ないように注意する。集中冥想を行う。出きる限りのお布施をする(空き缶を拾うこと等も含む)。その間は慈悲の暝想はきらさないようにする。又、やることにサティを入れる。苦手な「真心のこもった挨拶」にチャレンジする。勉強は「仏教」に限る。音楽鑑賞、読書などの遊びは一切しない。五欲を刺激することは全てやらない。死を念ずる。無駄な話は全く話さない。雑用はてきぱきこなしておしまい。…こうやって一日過してみると、夜には「別人」になってることが実感でき、とても「充実」できます。悪いのは翌日以降「怠け心」が再発し精進が足りなくなることです。「継続は力なり」。最後まであきらめず頑張りたいと思います。有難うございました。
あっきん
2010年01月28日 08:34
おはようございます。
”鬼は外福は内”
イベントとして見れば楽しいですが、本心でやると自分勝手な発想ですね。経典解説で因果法則により煩悩のエネルギーが妄想になり、なくなるまで焼かれるそうです。この話を聞いて不放逸の章の比丘が森の中で山家事に会い、木が燃えるのを見て全ての煩悩が燃えてないと気がつくの物語を思い出しました。正精進するには根性ですね。便利・楽を前提に考えるとエコライフはできません。何を前提にして考えるかにより、行動が変わります。生きとし生けるものは幸せでありますように。
あっきん栄養ドリンク
2010年01月28日 10:13
山家事→山火事です。
(#^.^#)ヒャハ~ 最近家事もしてるもんで、エコ
も関心持ったしだいです。このプログで心の栄養とってます。
ワンギーサ
2010年01月28日 11:31
新さん、こんにちは。
怠け心は悟らない限り、いつでも出て来ますから、そのつど退治する必要がありますね。自分の怠け心に気づけない場合がありますが、スマナサーラ長老は、背骨の状態でチャックするように仰っておられます。背骨が曲がってきたら、怠けが現れたと思って間違いないようです。
ワンギーサ
2010年01月28日 12:13
あっきんさん、こんにちは。
山家事、気がつきませんでした。
家事をがんばって下さい。
火事には気をつけて下さい。
福は外、福は内。
トム
2010年01月28日 15:09
ワンギーサさんの「背骨が曲がったら」というのは、座って瞑想している時だけ話ですよね? もし、日常生活の場でチェックすると、多くの場で、怠け者になってしまいます・・困った。しかし、怠け心は手に負えないですね。やはり怠け心に対する理解を深め智慧を開発していかないと減らないものなのでしょうね。怠け心を観察しようにも、観察しずらく、逆に組み伏せられてしまいます。精進あるのみですね。
ワンギーサ
2010年01月28日 16:24
トムさん、日常生活でも背筋を伸ばしていると、怠けは退治できますよ。座る瞑想のときほど、厳密にはできないかもしれないので、背骨ではなく背筋にしてみました。(笑い)
こころざし
2015年08月11日 07:54
努めて色々充実して過ごせれた一日と、怠けてしまった一日とで、その日の夜の印象は全く違います。怠けてしまうと、凄く勿体ない気が致します。
怠けが出るのは自然かもしれませんが、それで一日が終わらないように精進したいです。
たか坊
2016年11月08日 01:39
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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