81.賢者は非難と称賛に決して動じることがない

ダンマパダ 第6 賢者の章 81

阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


あたかも堅い岩山が
風によって揺るがぬように
賢者は非難と称賛に
決して動じることがない

(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み

岩山は台風が来ても
揺るがぬように確信ある人は
誉められても舞い上がらず
貶(けな)されても落ち込まない


〇子供のためのダンマパダ

両親や先生のしつけを守る子は
自分に自信がもてるので
誉められてもはしゃがない
馬鹿にされても泣かないよ



〇一口メモ

 今回の詩に関しての基本的な解説は、下記のスマナサーラ長老の説法や前回の「この詩から学ぶこと」を是非お読み下さい。その内容は世間で幸福を感じる四つの事柄、不幸を感じる四つの事柄について述べられていて、感情に支配されずに、感情を支配するように教えています。その上で以下に一つ思うことを書きたいと思います。

 私たちは、確かに誉められると、たとえそれがお世辞と分かっていてもうれしくなってしまいます。
また、逆に貶されると腹が立ったり、落ち込んだりしてしまいます。誉められても、貶されても自分は変わらないはずなのです。しかし、誉められて舞い上がれば舞い上がった自分になり、貶されて落ち込めば落ち込んだ自分になります。誉められても貶されても、動じないことが、自立した人間の態度であると思います。

 なぜ、このようなことになるのでしょうか? 何回か前のブログの記事でも書きましたが、私たちはいつも人に認めてもらいたいという思いで生きているからです。誉められれば認められたと思い、貶されば自分を否定されたと思うのです。他人の評価に左右されない自立した人間を賢者というのです。

 すべての生命は他者への依存なしにはに、一人では生きていけません。しかし、一方的な依存では、自由や幸福はないのです。正しい相互依存を築く必要があるのです。さらに、何にも依存しない自立した人生を仏陀から学ぶ必要があります。(参考文献:スマナサーラ長老著「お釈迦さまが教えたこと6 自立への道」)

 今回の「子供のためのダンマパダ」に書いたことは、大人でも難しいことですが、このような子供もいますから、そのような子供からは大人も学ぶべきでしょう。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

賢者人間入門(2) ~感情に支配されず感情を支配する~
http://www.j-theravada.net/howa/howa27.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

岩山は風が吹いても動かない 非難賞賛何するものぞ
http://76263383.at.webry.info/200902/article_27.html


〇パーリ(語)原文

81.
セーロー ヤター エーカガノー
Selo     yathā  ekaghano,
岩の    ように 一つの堅い
ワーテーナ ナ  サミーラティ
vātena     na   samīrati;
風によって ない 動かない
エーワン ニンダーパサンサース
Evaṃ    nindāpasaṃsāsu,
そのように 非難 称賛において
ナ  サミンジャンティ パンディター
na   samiñjanti     paṇḍitā.
ない  動か       賢者は

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp76-86.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~


◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。


     ★2010年1月10日(日) 新春初期仏教講演会のお知らせ★

お釈迦様が説く、幸福の「縁起」論─無知の「無限軌道」の切断ポイント

講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老

日時 2010年1月10日(日) 18:40 受付開始 19:00 開演 21:00 終演

NHKラジオ深夜便「こころの時代 怒らない生き方」出演で話題のアルボムッレ・スマナサーラ長老。2010年初となる講演会のテーマはズバリ「縁起」。 仏教のエッセンスとされながらも、イマイチ難しそうな「縁起の教え」を私たちの日々の生活にいかして、幸福に生きる秘訣を探してみましょう。

■会場 文京シビック小ホール(文京シビック2F 定員371名)
■最寄駅 東京メトロ後楽園駅 4bまたは5番出口 徒歩3分/都営地下鉄春日駅(連絡通路)徒歩3分
■参加費 無料(ご喜捨)※予約は必要ありません
■主催・問合せ 日本テーラワーダ仏教協会
Tel: 03-5738-5526 Mail: info@j-theravada.net

この記事へのコメント

CyberBaba
2010年01月04日 01:16
あけましておめでとうございます

非難と称賛に動じないというのは難しいですね。表面的に動じないとか、動きを抑えるとかはできますが、そういうことではなく、根っから動じないということなのでしょうね。そのためには我というものを無くす必要があると思われ、覚るまではどうしても多少は動じてしまうと思われます。動じない境地に達したいです。
2010年01月04日 05:31
ワンギーサさん、おはようございます。あくまで私見ですが、人の評価はその人の「エゴ」に基づいてます。ある人にとって都合がよければ、私を誉めます。都合が悪ければ非難します。例えば、「酒を飲まない」にしても、酒が嫌いな人はその行為を評価し、好きな人は評価しなかったりします。この評価は極めて感情的でアテになりません。それを受ける私の判断が更に「エゴ」「感情」に汚染されていると、いわゆる「世間に振り回されて生きる」ようになります。例えば、人の好みに無理に合わせることで自分の「エゴ」が守られ、傷付くことが減ったりします。また強硬な姿勢でワガママを押し通す場合もあります。両方悪いです。諸悪の根源「エゴ」「ワガママ」をなくす方法を仏陀が説かれているので、実践するしかありません。有難うございました。
ワンギーサ
2010年01月04日 13:40
CyberBabaさん、コメントありがとうございます。
本年も宜しくお願いいたします。
仰るとおり、非難、称賛に動じないとは、表面的な問題でなく、根っこから動じないことですね。テーラワーダ仏教では、悟りは四段階で考えますが、第一段階の預流果に達すれば、確信というものができますから、ほとんど動揺というものはなくなるとは思いますが、根本から動じないというのは、慢という煩悩が完全になくなる阿羅漢にならなけれ無理だといわれています。私もその境地に達したいと思っています。
ワンギーサ
2010年01月04日 14:00
新さん、コメントありがとうございます。
本年も引き続き宜しくお願いいたします。
仰るとおり、人の評価はその人のエゴに基づいていますね。しかも、それを受けとる自分のエゴに基づいて受け取るのですから、舞い上がるのも落ち込むのも事実からは離れて、勝ってにやっていると言ってもいいのでしょう。諸悪の根源「エゴ」「ワガママ」はいろいろ形を変えて巧妙に攻撃してきますから、注意深い対応が必要がです。それには高いレベルでの対応が要求されるということです。戒を守ると同時に、主観的、感情的判断をやめ、客観的、理性的に対応することです。偉そうなことを書きましたが、私の課題でもあるのです。
こころざし
2015年07月29日 12:32
社会の中で「認めてほしい」という状況は日常の中で少なくなくあるように思います。それとは違うかもしれませんが、自分の気持ちを分かってほしい、との状態に遭う事も多いように感じます。
自分の心が誉められても・貶されても動揺しないように、成長して参りたいです。
たか坊
2016年08月19日 14:20
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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