117.118.人が悪を為したら繰り返してはいけない

ダンマパダ 第9 悪の章 117、118

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマー サンブダッサ
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


人は悪をなしたなら
重ねてそれをなすなかれ
それに対して欲するなかれ
悪を積むのは苦しみである

人は善をなしたなら
重ねてそれをなすがよい
それに対して欲するがよい
善を積むのは楽しみである


(片山一良先生 訳)

○超訳の試み

悪いことをしたら繰り返さないこと
悪いことを面白がってはいけない
悪いことを繰り返すと
必ず不幸になるのだから

善いことをしたら繰り返すこと
善いことを楽しみなさい
善いことを繰り返すと
必ず幸せになるのだから


○子供のためのダンマパダ

生き物を殺したり
友達をいじめたり
一度やっても二度はしないこと
不幸になるよ

生き物をかわいがり
友達と仲良くすること
一度やったら何度もやること
幸せになるよ






○一口メモ

 今回の詩を読んで、お釈迦さまは一度の失敗はお許しになっていると、ほっとした方がおられたら、それは大間違いです。これに書かれていることは結構厳しい内容です。これが実行できる人は勇者、英雄と言っていいほどです。だから、できなくていいという訳ではありません。

 なぜならば、昨日記載した116番に述べられているように、心は悪い行為になれていて、それを止めて、善いことをするには勇気と決意が必要だからです。

 実は、私たちは悪い行為が習慣になっています。悪い行為は習慣になっているのですから、それを止めることが大変なことです。上に述べたように、勇気と決意と更に精進、努力が必要なのです。

 一方、善い行為は、私たちはあまりやっていないのです。ですからそれは習慣になっていません。習慣になってないことを、実行するのは大変です。多くの場合、三日坊主で終わるのです。ですから、善い行為は繰り返し行い習慣にする必要があるのです。

 悪い行為の繰り返しが不幸の原因になり、善い行為の繰り返しが幸福の原因になることはもう説明するまでもないことです。

 
○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「心は癖で行動する」 ~心に良い習慣をつけないと自由になれません~
http://www.j-theravada.net/howa/howa45.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

悪いこと一度はしても直ぐやめよ繰り返すなら不幸になるよ
http://76263383.at.webry.info/200903/article_23.html


○パーリ語原文

117.
パーパンチェー プリソー カイラー
Pāpañce       puriso   kayirā,  
悪を もし      人が   為すなら
ナ  タン  カイラー プナップナン
na   taṃ   kayirā   punappunaṃ;
ない それを 為さ   再三再四
ナ   タンヒ チャンダン カイラータ
Na   tamhi  chandaṃ   kayirātha,
ない それに 意欲を    為さ     
デュッコー パーパッサ ウッチャヨー
dukkho    pāpassa    uccayo.
苦       悪の     集積は

118.
プンニャンチェー プリソー カイラー
Puññañce       puriso   kayirā,
善を もし      人が   為すなら
カイラーテータン プナップナン
kayirāthetaṃ     punappunaṃ;
為す  それを   再三再四
タンヒ チャンダン カイラータ
Tamhi  chandaṃ   kayirātha,
それに 意欲を    為すように
スコー プンニャッサ ウッチャヨー
sukho  puññassa    uccayo.
楽    善の      集積は

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

名古屋人
2010年01月30日 23:48
自分で悪いと分って行う「悪行為」は、繰り返さないように注意して生きることは、意志が強固ならば可能でしょう。しかし、問題なのは、知らずに犯す「悪行為」です。特に「善行為」だと思って犯す「悪行為」は、如何ともし難い。自分が今行っているのは、本当に「善行為」なのか、実は「悪行為」ではないのかと、わが身を振り返ると冷や汗が出そうですね。

今日、読んだ本ですが、
内田樹 「邪悪なものの鎮め方」パジリコ 1600円
直接、仏教の話が書かれているわけでは有りませんが、慈悲の冥想の最初に、なぜ「私は幸せでありますように」が置かれているのかが、よく理解できます。いや、むしろ「私が幸せでありますように」がトップでなければならないのには、深い意味があることが納得できました。興味のある方は、お読みください。
2010年01月31日 04:11
ワンギーサさん、おはようございます。「お布施」という善行為ができるのは、実に喜ばしいことだと思います。先日紹介されたスダンマ長老のブログでのお話が大変役立っております。「お布施」した後、「あれはちゃんと使用されただろうか?」などと妄想しては「ダメ」という点です。これを実行するには、私の場合「次のお布施」のこと、「何かしてあげられることはないかな~」という「思い」を常に継続させることが一番です。その努力によって「そのことに気を抜くと「楽して頂こうではないか」という気持ちが湧き出てきて、それが自然な感情だ」というのが実感できます。まさに悪感情は労せずして出てくることがありありと分かるわけです。また、そうして「心の状態」に注意していると、自然と楽に「怒り」にも気づけることが分かります。それで自動的に「冥想」になっています。確かに「悪を止め、善を行う」のは大変ですが、克服の「コツ」があるように考えてます。「お布施」はアクセスしやすく「コツ」を掴みやすい方法ではないでしょうか。今後とも「真のお布施」に精進したいと思います。有難うございました。
トム
2010年01月31日 05:37
新さんのコメントは何か気づきをあたえれくれます。ありがとうございます。
お布施ですが、経済的、お手伝い、などについてはまだまだ腰が重いのですが、すれ違った人、散歩中の犬、鳥などの生き物に対して、「幸せでありますように」と心の中でつぶやくのもお布施の「はしくれ」になるのでしょうか?日常的にできますので気づいたときにチャレンジしていますが・・・。
2010年01月31日 09:15
おはようございます。トムさんへの参考意見です。私の場合、簡単なお布施は、空き缶を拾う、倒れている自転車をなおす、サッサで町中の自販機や郵便ポストなどを拭く、などでしょうか。自転車が一番わかりやすいのですが、自分の自転車とそうでない自転車をおこすのとは「心」が違ってます(物理的には変わらないものなのにおかしな話です)。「これは自分のもの」という執着、自我意識が減る方向なら「お布施」と言えるのではないでしょうか。厳密な教義的なことについては分かりません。
トム
2010年01月31日 17:02
新さんありがとうございます。
結構手軽な「お布施」がありそうですね。
発見するたのしみもありそうですね。
ただ、あまり形式的になると疲れそうですので、「お布施」をあまり意識せずに「いい塩梅」でチャレンジしていきたいと思います。
ワンギーサ
2010年01月31日 17:57
新さん、トムさんへの回答ありがとうございます。

トムさんへ。
布施には、テーラワーダ仏教では2種類、財施(財物を施すこと)、法施(法を説くこと)と分類しています。大乗仏教では無畏施(恐怖心でおびえている人から恐怖を取り除くこと)が加わっています。もっともテーラワーダ仏教でも、ジャータカ物語で、殺されそうな生き物を助けることを無畏施として述べられています。
 改めて、トムさんへ。その行為が布施かどうかはどちらでもよく、あなたの利益になり、相手の利益になり、みんなの利益になる善行為にチャレンジして下さい。
こころざし
2015年08月12日 17:37
良い事なのか悪い事なのか、そのような気付きの観察をしながら、良い事を繰り返して実行し習慣づけれるように精進したいです。
毎日実行する大切さを教えて頂いていますが、読経や冥想を毎日する事で、現在それが習慣になっています。毎日実践する大切さを実感致します。
たか坊
2016年11月18日 20:55
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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