82.賢き者はもろもろの法を聞いて澄んでいる

ダンマパダ 第6 賢者の章 82

阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


あたかも深い湖が
静まり澄んでいるように
賢き者はもろもろの
法を聞いて澄んでいる


(片山一良先生 訳)

〇超訳の試み

あたかも摩周湖の水が
澄みきって、濁りがないように
賢者は深遠な仏法を学び
心は澄み、喜びに満ちている


〇子供のためのダンマパダ

濁った水をコップに入れて
静かに待つと濁りが沈むように
お釈迦さまの教えを静かに聞くと
心の濁りがきれいになるよ





〇一口メモ

 お釈迦さまの例えは、よく分かり、しかも美しい。今回の湖の例も昨日の岩山の例の賢者のイメージが明確になります。言葉だけでなく、イメージでも私たちにあるべき態度を示してくれています。その辺のことは、昨年のこの詩のブログ記事で新さんがコメントで詳しくくれています。

 また、この詩は表面的に「賢き者はもろもろの法を聞いて澄んでいる」の文字だけを読むと、賢者は法を聞いて澄んでいるとなりますが、その時の賢者の心の状態はどうなのでしょうか。スマナサーラ長老のこの詩に関する説法では、賢者は真理を知って喜んでいるのだと解説されています。喜びとは、真理を知ることなのです。

 「超訳の試み」で摩周湖を持ち出してきましたが、摩周湖は日本で一番透明度の高い北海道にある有名な湖です。世界では二番目に透明度の高い湖です。ちなみに世界一はロシアにあるバイカル湖です。

 「子供のためのダンマパダ」では、コップの中の濁った水について書いてみました。コップの水を注意深く見ていると、濁りは沈んで、水は澄んできます。静かにそれを観察すると、観察している人の心も静まります。子供だけでなく、大人も試してみるとよいでしょう。これもお釈迦さまの教えです。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

賢者人間入門(3) ~喜びとは、真理を知ることである~
http://www.j-theravada.net/howa/howa28.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

深ければ湖清く濁りない 仏法聞けば心清らか
http://76263383.at.webry.info/200902/article_28.html

〇パーリ(語)原文

82.
ヤターピ ラハドー ガンビーロー
Yathāpi   rahado   gambhīro,
ように    湖の   深い
ウィッパサンノー アナーウィロー
vippasanno     anāvilo;
清浄で       濁りのない
エーワン ダンマーニ ストゥワーナ
Evaṃ    dhammāni  sutvāna,
そのように 諸々の法を 聞いて
ウィッパスィーダンティ パンディター
vippasīdanti        paṇḍitā.
清らかである       賢者たちは


〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp76-86.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。


   ★2010年1月10日(日) 新春初期仏教講演会のお知らせ★

お釈迦様が説く、幸福の「縁起」論─無知の「無限軌道」の切断ポイント

講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老

日時 2010年1月10日(日) 18:40 受付開始 19:00 開演 21:00 終演

NHKラジオ深夜便「こころの時代 怒らない生き方」出演で話題のアルボムッレ・スマナサーラ長老。2010年初となる講演会のテーマはズバリ「縁起」。 仏教のエッセンスとされながらも、イマイチ難しそうな「縁起の教え」を私たちの日々の生活にいかして、幸福に生きる秘訣を探してみましょう。

■会場 文京シビック小ホール(文京シビック2F 定員371名)
■最寄駅 東京メトロ後楽園駅 4bまたは5番出口 徒歩3分/都営地下鉄春日駅(連絡通路)徒歩3分
■参加費 無料(ご喜捨)※予約は必要ありません
■主催・問合せ 日本テーラワーダ仏教協会
Tel: 03-5738-5526 Mail: info@j-theravada.net

この記事へのコメント

ワタナベ
2010年01月05日 00:02
本年も宜しくお願い致します。
僕が初期仏典で感心する点は、お釈迦様の言葉をパーリ語原文や日本語訳で直に読みますとその途端になるほどと思い、思わず引き込まれて読み入ってしまうところです。特に僕は韻文よりも散文が好きで、特に中部、相応部、増支部経典などの、思わず人を納得させてしまう論理構成に唸らざるを得ません。ですので僕は瞑想するよりも初期経典を先に読んでしまったほうが、早く心が落ち着くんです。(^^;。日常の雑念がいち早く消えてしまうところに感心してしまうのです。その時思うんです、「なんと雑念が消えて心が楽になったかと。。。」
だからやっぱり「頭に次から次へと思考が浮かんでくるという事はなんと苦しい事であるかと身に染みてわかる次第です。これが初期仏典以外の本を読むと逆に「いらぬ欲」がどんどん出てきます(笑)。
新春に当たり思うのですが、【人間の幸福とは何より思考雑念(悩み)がないことである。】
ということは、スマナサーラ長老がよくご指導されるように、『思考が出る暇なく、隙間なく実況中継(サティsati)をすべし』というのは本当の事で、まず幸福の道である。でこのヴィッパサナー瞑想をしていると自動的に起こる心の落ち着きで(定)、固定概念を捨て妄想せず、あるがままに(変化したらそれも)身体を観察する(身随観)。あるがままに(変化したらそれも)身体の感覚を観察する(受随観)。
そうすることで心は「今現在起こっている事実のみ」を認識しつづける事になる。⇒物事の本当の実相(無常・苦・無我)に気づく事になれば、その後の人生観・幸福感は随分と違ってくるであろうと予想する次第です。(^^;ありがとうございました。m( )m
あっきん
2010年01月05日 00:54
パソコンの調子が悪くて困りました。
メーカとネット管理者に連絡して、原因を調べて解消できました。
心の汚れの原因は欲・怒り・無知と仏陀は答を打ち出してくれています。解決策まである。苦労して模索しなくても、法に従うと自然と道がひらけるのでないかと思うのであった。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
2010年01月05日 03:58
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老の説法で、思い出したことがあります。正月、親と色々話しました。「あと10年経ったら~」と話すので、「10年先のことなんてわからないよ」と反論しました。親は納得してませんでしたが、私が高慢で話してたのも事実です。「無常だ、無常だ」と言ったも反感を買うだけです。しかし、親の発想では大変な苦労することくらい、私にも理解できてはいます。だから、親の態度が心配になってきたのです。そこで「10年前にこうした現状を想定できただろうか?妹の結婚のこと、隣のビルのこと、こうしたこと、ああしたことは?」と尋ねました。すると「全て想定外のことばかりだった」ということで、すんなり納得してました。この時の私の心境はいわゆる「カルナー」です。「善感情」は「善果」をもたらすものだと清々しい気持ちになったものです。賢者のやり方を真似してみるのもとても有効だと思います。しかし、真似するだけでも、仏教を勉強し、戒を守ったり、慈悲の瞑想をはじめとした実践を怠らないことだと痛感してます。日々の心がけは誤魔化しがききませんね。有難うございました。
ワンギーサ
2010年01月05日 07:50
ワタナベさん、おはようございます。
【人間の幸福とは何より思考雑念(悩み)がないことである。】これは至言ですね。私もその通りだと思います。
ワンギーサ
2010年01月05日 07:57
あっきんさん、おはようございます。
パソコンの調子が悪かったのですか。あっきんさんのコメントがないなと思っていました。
今回のコメント「苦労して模索しなくても、法に従うと自然と道がひらけるのでないかと思うのであった。」その通りですが、なかなかそのことに確信が持てないのですね。確信すればもう何でも大丈夫です。今年もよろしくお願いします。
ワンギーサ
2010年01月05日 08:17
新さん、おはようございます。
新さんのように、毎日コメントを書いておられると、去年のこの詩に対するコメントを読むのも楽しみではないでしょうか。昨年はこの詩に対する比喩について述べておられましたね。それをまおさんが感心していました。
 話は変わりますが、「賢者のやり方を真似してみるのもとても有効だと思います。」はその通りです。私もスマナサーラ長老の真似をすることがありますが、言葉以外の態度から学ぶことが多いのです。時々なぜそのようにされるか分からないことがあります。あとで、なるほどと思うことがあります。修行は単に瞑想をすればよいというものでなく、日常生活の細かい一つ一つの工夫が必要ですね。

こころざし
2015年07月29日 12:42
このブログや本等で学ばせて頂いている中で、真理を知る事の出来る喜びは実感しています。心より有難く思います、感謝致します。
コメントの「修行は単に瞑想をすればよいというものでなく、日常生活の細かい一つ一つの工夫が必要ですね」を拝見しはっとしました。一日が過ぎるのはとても早く感じますが、その日常の中で、工夫を考える間を持つようにしたいです。
たか坊
2016年08月20日 19:53
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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