83.楽に触れても苦に触れても賢者は変化を示すことなし

ダンマパダ 第6 賢者の章 83

阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


すべてについて善人は捨て
欲望のために善人は語らず
楽に触れても苦に触れても
賢者は変化を示すことなし


(片山一良先生 訳)


〇超訳の試み

人格者はすべてにおいて捨てる
静かな人は楽しみ求めてお喋りしない
賢者は楽しい時も苦しい時も
舞い上がったり落ち込んだりしない


〇子供のためのダンマパダ

いらない「おもちゃ」はあげましょう
授業中はおしゃべりしない
楽しいときでもはしゃがない
つらいときでも弱音をはかない





〇一口メモ

 最近、私が気になるキーワードは「今」と「捨てる」です。この二つのキーワードは、書籍の世界でもネットの世界でも蔓延していて、その重要性が大いに主張されています。その意味を実用的な面からハウトゥ物として書かれている物や哲学的にその本質的な意味が説かれている物があります。私はそれは仏陀が始めに真理として説かれたのだと変なこだわりを持ったりしますが、そのようなこだわりは必要なく、多くの人が、「今」や「捨てること」の重要性を理解するようになれば、悪いことではありません。

 この詩では「今」ではなく「捨てる」について述べられています。「善人はすべてにおいて捨てる」とありますが、まず善人とはどんな人でしょうか?文脈からみると賢者のことです。賢者はすべておいて捨てるのです。では何を捨てるのでしょうか?賢者とは智慧ある人ですから、賢者の捨てるものは、こだわりとか執着です。賢者はどのような物も事柄も無常であることが分かっていますから、それらに執着する無意味さをよく理解しています。ですから執着せずに捨てるのです。

 二行目の善人はパーリ語では一行目の善人と異なる言葉が使われております。二行目の善人には「静寂なる人」という意味もあります。超訳では「静かな人」と訳しました。賢者のことです。賢者の次の特徴を述べているのです。欲望に基づいておしゃべりしないのです。それに反し、私たちはおしゃべりが好きです。いろいろな目的で話します。必要な話ももちろんありますが、それ以上に話すことは無駄なおしゃべりです。これはいろいろな欲望に基づいています。自慢ばなし、知識をひけらかす、相手の気を引く、自己主張のため、同じ目的で人を馬鹿にするなど、人のうわさ話しをするなどいろいろあります。これらの欲は際限がありません。

 そして、賢者の第3の特徴は、「楽に触れても苦に触れても、賢者は変化を示すことなし」です。
感覚には三種類あります。楽すなわち快感を感じるか、苦すなわち不快を感じるか、楽でもなく苦でもない感じを感じるかです。楽を感じると欲が現れます。苦を感じると怒りが現れます。不苦不楽を感じると無知が現れるのです。しかし賢者は楽を感じても、苦を感じても欲や怒りの感情を表さないと述べているのです。

 「子供のためのダンマパダ」では、捨てるということは欲から離れるということですが、あげることも欲から離れることです。大切な「おもちゃ」に対する執着を捨てる訓練をしておいた方が良いのです。子供もおしゃべりは好きですが、授業中などはおしゃべりしないというけじめも大切です。最近は親や先生が注意しないので、授業中おしゃべりしている子供が多いそうです。大学でも、授業中は講義を聴くより、おしゃべりの時間になっているそうです。日本はどうなるのでしょうか。


〇この詩に関するスマナサーラ長老の説法

賢者人間入門(4) ~ネガティブ人間からポジティブ人間へ~
http://www.j-theravada.net/howa/howa29.html


〇前回の「この詩から学ぶこと」

善人は楽しみ求めしゃべらない 賢い人は動揺しない
http://76263383.at.webry.info/200903/article_1.html


〇パーリ(語)原文

83.
サッバッタ ウェー サップリサー チャジャンティ
Sabbattha  ve     sappurisā    cajanti,
一切処に 実に    善人は    捨てる
ナ  カーマカーマー ラパヤンティ サントー
na   kāmakāmā     lapayanti    santo;
ない 欲から欲へ    語ら      静かな人
スケーナ  プッター アタ  ワー  ドゥケーナ
Sukhena   phuṭṭhā   atha  vā    dukhena,
楽によって 触れて  また 或いは 苦によって
ナ  ウッチャーワチャン パンディター ダッサヤンティ
na   uccāvacaṃ       paṇḍitā     dassayanti.
ない 高低を         賢者達は   見せ

〇今回の詩のパーリ語について、日本テーラワーダ仏教協会のホームページに「ダンマパダ輪読会 文法事項のまとめ( 記録文責;柴田尚武 先生 )」がありますので是非御参照下さい。
http://www.j-theravada.net/sakhi/Dhp76-86.pdf


~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものに悟りの光が現れますように~



◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。


    ★2010年1月10日(日) 新春初期仏教講演会のお知らせ★
お釈迦様が説く、幸福の「縁起」論─無知の「無限軌道」の切断ポイント

講師 アルボムッレ・スマナサーラ長老

日時 2010年1月10日(日) 18:40 受付開始 19:00 開演 21:00 終演

NHKラジオ深夜便「こころの時代 怒らない生き方」出演で話題のアルボムッレ・スマナサーラ長老。2010年初となる講演会のテーマはズバリ「縁起」。 仏教のエッセンスとされながらも、イマイチ難しそうな「縁起の教え」を私たちの日々の生活にいかして、幸福に生きる秘訣を探してみましょう。

■会場 文京シビック小ホール(文京シビック2F 定員371名)
■最寄駅 東京メトロ後楽園駅 4bまたは5番出口 徒歩3分/都営地下鉄春日駅(連絡通路)徒歩3分
■参加費 無料(ご喜捨)※予約は必要ありません
■主催・問合せ 日本テーラワーダ仏教協会
Tel: 03-5738-5526 Mail: info@j-theravada.net

この記事へのコメント

2010年01月06日 04:07
ワンギーサさん、おはようございます。「必要か、ためになるか」ということにこだわってます(笑)。衣服の必要最低限などを実践すると、面白いことに、好きな本の衝動買いが減りました。「これは何故買うのか?」と自問する癖がついてきたからです。そうなることで、「何が本質的に重要なことか」が肌で感じられます。道徳の基準「自分のため、相手のため、皆のため」の判断基準に、不完全ながらも役立ちます。また、必要最低限をしっかり知ることで、不安や心配も減ります。不要は無くても安心だからです。生活全てがそうなら素晴らしいのですが、スマナサーラ長老のされることにそれを感じます。「一秒も無駄にしない。冗談でも無駄話はしない」と伺ったことがありますが、一秒を無駄にしないとは、一ミリ、一カロリーも無駄にしない「理」に叶った動き、と理解しております。イチロー選手の守備がそれに似てます。それが、常識、慣習と違っている時は違和感を感じますが、考えさせられます。結局それは、「今」ということに繋がり、「今」を生きることによって、「欲、怒り、無知」に支配されない生き方ができると理解してます。有難うございました。
nqaz
2010年01月06日 04:08
お釈迦様は預流果と普通の人間の苦しみの差を、爪の上と大地の土の量の差に例えられているようですが、どこの経典に出ていますでしょうか?
ワンギーサ
2010年01月06日 07:58
新さん、おはようございます。
 私はまだ本の衝動買いをやってします。後で、読む時間のことを考えると、もっと必要な本を読む時間に当てた方がよいと反省します。
 必要かどうか考えるのは大切ですね。不必要と判断できれば、それに対する執着はなくなり、それは捨てられますから。いらないものがなくなると、なんともいえない爽やかさが訪れます。
ワンギーサ
2010年01月06日 08:08
nqazさん、おはようございます。
お訊ねの経典は次の通りです。
南伝大蔵経13巻相応部経典2、200ページ「爪先」です。
口語訳では、増谷文雄訳「阿含経典第一巻」(筑摩書房)261から262ページ「爪先」があります。
たま
2010年01月06日 21:56
昨日は丸一日一人で、時間がたっぷりあったのに、何かと言い訳をつけて、すぐに冥想を始めず、結局一日が終わってしまいました。

一人になると、さびしさを実感しました。常に何か刺激がほしく、食べてみたりネットやTVをつけてみたり、仏教の本だからと言い訳して本を読みふけってみたり。そして、誰かと話したくて「食事でも一緒に行こうかな」との思いも・・・寂しいから無駄話してごまかしたいだけだと気づいて、これはセーブしました。
普段は、刺激でさびしさをごまかしているということを痛感しました。
こういうときこそ、自分を観察するチャンスでした。(後悔はゴミですね。次に生かします。)
まだまだ弱いです。
今からしっかり励もうと気持ち新たにしました。
ありがとうございました。
ワンギーサ
2010年01月06日 23:06
たまさん、こんばんは。
「一人になると、さびしさを実感しました。」は非常に大切な自己認識です。多くの人はさびしいとは思っていても、なかなかそれを自分では認めないないのです。認めなければ、寂しさの原因などには気づけません。そこから、自己存在への洞察に進むのではないかと思います。また、自分の寂しさの認識から、他人の寂しさへの思いやりなども生まれてくるのかなと思います。書きすぎかも知れませんが、寂しさを感じる時は、意識は「今」はいないのでしょうね。
nqaz
2010年01月07日 04:10
どうもありがとうございました。
こころざし
2015年07月30日 09:52
日常の中で自分は、こだわりや執着する事が少なくなくあるように思います。また良いと判断した事があると喜び、悪いと判断した事があると悲しみます。
こちらで学ばせて頂き、以前よりはそのこだわり・執着する自分を観察し、それに気がついている機会が増えているように感じています。さらにすすめて、こだわり・執着する割合が減るように精進したいです。
たか坊
2016年08月23日 13:08
今回も
明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック