137~140. 暴力で無抵抗な 罪なき人々を害するならば

ダンマパダ 第10 暴力 137~140

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


鞭も害意もなき者を鞭によって害するならば
十の根拠のいずれかに たちまちいたることとなる

すなわち激痛、損失に また身体の切断に
あるいはまた重病に 心錯乱にいたるであろう

あるいは王から受ける禍あるいは恐るべき誹謗
あるいは親族の滅亡に あるいは財の破滅にも

またそのかれの家々を 火がつぎつぎと焼き尽くす
身が壊れたそののちに劣慧のかれは地獄に堕ちる



(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

暴力で、無抵抗な 罪なき人々を害するならば
次の十の状態のどれかに 直ぐに遭遇するだろう 

1.激しい苦痛、2.惚け 3.身体の傷害
4.重い病気 5.心の狂乱 

6.国王からの災難 7.恐ろしい誹謗
8.親族の滅亡 9.財産の破壊 

10.彼の家は 燃える火に焼かれる
そして愚かな人は死後に 地獄に落ちる


○子供のためのダンマパダ

なし


○一口メモ

 今ではもうほとんどの若い方はご存知ないと思いますが、江戸時代に石川五右衛門という伝説の大泥棒がいました。彼の捕まって釜煎りにされながら「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」という辞世の歌を残したと言われています。その通りで、「海岸の砂が全部なくなったとしても、盗賊はなくならない 」と言ったのです。人類の歴史を振り替えてみると、盗賊や殺人、争い、戦争ががなっかた時はなく、これからもなくなるようには思われません。

 世の中、世界はどうなっているのかと思います。仏教は脅しで仏教を信じさせるというようなことはしませんが、今回の詩にあるように、「暴力で無抵抗な 罪なき人々を害するならば」、その行為の結果はよい筈はなく、釈尊は上の詩に述べた10の禍の一つに遭遇し、死後が地獄に落ちると述べられています。そのことを信じられない方も、暴力はけして振るわないようにすべきです。

 スマナサーラ長老の「社会に幸福はあり得るか」という問題提起を、長老の説法を読んで考えてみて下さい。

 前回の「この詩から学ぶこと」では、人間の良心という点からこの問題を考えてみました。参考にして下さい。

 「子供のためのダンマパダ」は、問題が多すぎて書けませんでした。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

知らず識らず人は苦しみの原因に固執する ~社会に幸福はあり得るか~
http://www.j-theravada.net/howa/howa58.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

暴力で罪なき人を損なうと災難に遭い地獄に落ちる
http://76263383.at.webry.info/200904/article_6.html


○パーリ語原文

137.
ヨー ダンデーナ アダンデース アッパドゥッテース ドゥッサティ
Yo   daṇḍena    adaṇḍesu,    appaduṭṭhesu     dussati;
人は 棒で     棒を持たない  悪意のない     害する
ダサンナマンニャタラン ターナン キッパメーワ ニガッチャティ
Dasannamaññataraṃ    ṭhānaṃ,  khippameva  nigacchati.
十のうちの一つの     状態に 極めてすぐに 陥る
138.
ウェーダナン パルサン ジャーニン サリーラッサ チャ ベーダナン
Vedanaṃ    pharusaṃ  jāniṃ,     sarīrassa    ca  bhedanaṃ;
感受の     激しい   損失     肉体の    又  破壊
ガルカン ワーピ アーバダン チッタッケーパン ワー パープネー
Garukaṃ  vāpi   ābādhaṃ,   cittakkhepaṃ    va   pāpuṇe.
重大な あるいは 病気      心の錯乱   あるいは 得るであろう
139.
ラージャトー ワー ウパッサッガン アッバッカーナン ワー ダールナン
Rājato     vā   upassaggaṃ,   abbhakkhānaṃ   va   dāruṇaṃ;
王からの あるいは 禍        誹謗      あるいは 恐ろしい
パリッカヤン ワー ニャーティーナン ボーガーナン ワ パバングラン
Parikkhayaṃ  va  ñātīnaṃ,        bhogānaṃ   va  pabhaṅguraṃ.
滅ぶこと   あるいは 親族の      財産の  あるいは 破滅
140.
アタ  ワッサ アガーラーニ アッギ ダハティ パーワコー
Atha  vāssa   agārāni,     aggi   ḍahati   pāvako;
また 又は彼の 家を     火が 焼き尽くす かがやく
カーヤッサ ベーダー ドゥッパンニョー ニラヤン ソーパパッジャティ
Kāyassa    bhedā    duppañño,     nirayaṃ  sopapajjati.
身体の    破壊から  智慧なき    地獄に  彼は再生する

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

知足
2010年02月13日 22:35
暴力には言葉によるものも含まれる。
2010年02月14日 03:46
ワンギーサさん、おはようございます。はっきり言って、スマナサーラ長老のこのような説法は私にとって好みです。物事を楽観的にとらえる人と話したりすると、自分の隠れていた「悲観好み」によく気づかされます。「(何かにつけ)、世の中ちょっとおかしいんじゃない?何とかしなければ大変なことになるぞ!」というような悲観主義的思考の持ち主は、案外と仏教ファンになったりするのかもしれません。しかし、仏教の目的は楽観的、悲観的という問題ではなく「客観的事実、ありのままの事実」を知ることだと考えてます。だから悲観論から楽観論へ安易に移行することには十分注意したいと思います。問題となってる暴力については「害意のある思考」をしないように十分注意します。有難うございました。
こころざし
2015年08月17日 07:40
人を害してしまう事の本当の意味での恐ろしさを感じます。
自分に酷い事をした方に対し「あなたは自身の悪業を積みましたね→報いが・・」と思いそうになる自分がいました→それでは人を害すると同じ意味になってしまいそうで、慈しみに入れ替えるように努めました。
素の自分ですと容易に人を害して→悪業をためそうなので、注意したいです。
たか坊
2016年12月12日 20:40
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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