142. たとえ着飾るとも、行いが正しい

ダンマパダ 第10 暴力の章 142

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

飾りをつけても、正しく行ない
静まり、調御し、定まり、修習し
生き物すべてに鞭を用いぬ
かれこそバラモン、沙門、比丘なり


(片山一良先生 訳)

○超訳の試み

たとえ着飾るとも、行いが正しく
心が平安で、自制心があり、確信があり、純潔な
すべての生きものに暴力を振るわない
彼はバラモンであり、修行者であり、修行僧である


○子供のためのダンマパダ

今でも学校で服装検査や
持ち物検査をやっていますか?
本当は心が汚れていないか
検査するためなのですよ





○一口メモ

 今の学校では、服装検査や持ち物検査をやっているのでしょうか? 今の先生は生徒が怖くて、後ろにモンスター・ペアレントがいたり、何も自主的に判断できない校長先生や教育委員会がいるので、やってないかもしれません。服装検査や持ち物検査という言葉もないのかも知れませんが、私が小学生や中学生の時はありました。

 今日のニュースでは、バンクーバー冬季五輪スノーボード男子ハーフパイプ代表の国母和宏選手の「服装の乱れ」が問題になっています。大切なのは心なのです。心をが汚れていると、その人を不幸に、世の中を暗くします。反対に心がきれいであれば、その人を幸福にし、世の中を明るくするからです。とはいえ、心の状態は外からは分かりにくいということがあります。しかし、心の状態は外面、服装などにも反映するのです。心が乱れていると服装が乱れるということもあります。服装を検査して、心の乱れを直すこともある程度可能なのです。
 実際には、服装ばかり気にして、心の状態に無関心の人がいたり、逆に心の状態のみを問題にして、外見については全然無頓着な人もいますから、服装だけでは心の状態についてはっきりしたことはいえません。

 この詩では、次の6ポイントをチェックするように述べています。
1.行いが正しいこと:五戒を守っていること。
2.心が平安であること:心が落ち着いて、静かなこと。
3.自制心があること:自分の心をコントロールできること。
4.確信があること:仏教の生き方が正しいと確信していること。
5.純潔であること:出家者は性的な関係を持たないこと。在家者は配偶者以外の性的な関係を持たないこと。
6.一切の生きものに暴力を振るわないこと。

 これらのチェック・ポイントをクリアーする人は、バラモンであり、修行者であり、修行僧です。すなわち聖者であるということです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

身なりで心が読める ~身なりを重視して中身を忘れてはならない~
http://www.j-theravada.net/howa/howa60.html

○前回の「この詩から学ぶこと」
着飾ざるも冷静自制純潔な暴力振るわぬ彼はバラモン
http://76263383.at.webry.info/200904/article_8.html


○パーリ語原文

142.
アランカトー チェーピ サマン  チャレッヤ
Alaṅkato    cepi     samaṃ  careyya,
飾る     いえども   正しく  行う
サントー ダントー ニヤトー ブラフマチャーリー
santo    danto   niyato    brahmacārī;
静まり   調御し 定まり    梵行し
サッベース ブーテース ニダーヤ  ダンダン
Sabbesu    bhūtesu    nidhāya   daṇḍaṃ,
すべての  生き物に   下に置く  棒を
ソー ブラーフマノー ソー サマノー サ  ビックー
so   brāhmaṇo     so   samaṇo   sa  bhikkhu.
彼は バラモン    彼は  沙門   彼は 比丘

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。

この記事へのコメント

拝読者より
2010年02月15日 22:19
私のまわりには、生きものがたくさんいて、その事は、とてつもなく、有り難いことです。あらゆる生命がいることがまず第一で、生命がいるからこそ、幸せになろうとやさしい気持にもなれます。皆様のコメントの有難味を切に感じます
 
仏法僧に帰依いたします
頭でっかち
2010年02月16日 01:07
ワンギーサさん。大変勉強になりました。ありがとうございました。
私は正しい目的や目標がなければ自然と心が堕落するので駄目なのではないかと考えていたのですが、目的や目標があるからと言って目的や目標に到達するわけではないのですね。
その時その時を正しく実践できているのかどうか。私の場合、実践のつもりが体当たりで頭をぶつけまくっていますけど。
これからも一層、楽しく真剣に仏教を学びたいと思います!!
2010年02月16日 03:37
ワンギーサさん、おはようございます。本文中の小学生、中学生で思い出したことがあります。「俺は長生きするより、好きなものを食べて酒を飲んでいたい」癌になった小、中の同級生の最近の言葉です。私も持病がありますが医師の指示に従い肉類をなるべく避けて食べてます。両者の違いは考え方の違いです。粗食の私が食べ物に無頓着というわけではありません。同じことが衣服にも言えて、父は服装に無頓着ですが、母がそれなりの服を着せようとするととても嫌がります(苦笑)。その意味で、地味で無頓着であることにかなりこだわっていると言えます。これも結局は考え方が反映してます。「菜食」も単に野菜好き、それから健康上の理由、またはガリガリの菜食主義など色々あるので、やはり「見た目だけで判断」すると火傷しそうです。問題は表面に現れた「外見」を自分の尺度、価値観だけで判断してしまうことにあるのでしょう。そうならないためにも、自分の「心の汚れ」を取り除くことが、最優先だと思います。有難うございました。
こころざし
2015年08月17日 07:49
こころを汚さない為の具体的な内容として本文の6つのポイントとても分かり易く思います。
日常で、こころが清いなと思う方は挨拶や礼儀・服装もそれなりに整っているように思います。朝も早めに起きられる様子ですね。
こころが汚れないように6つのポイントを注意して参りたいです。
たか坊
2016年12月19日 02:49
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

この記事へのトラックバック