146.なにが笑いぞ、喜びぞ

ダンマパダ 第11 老いの章 146

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


なにが笑いぞ、喜びぞ
つねに燃えているものを
暗い闇に覆われながら
なぜに明かりを求めぬか


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

笑うのは誰か、何処が可笑しいのか
心は煩悩の火で燃えているのに
心は暗黒で覆われているのに
なぜ智慧の明かりをつけようとしないのか


○子供のためのダンマパダ

にこにこと笑っている君よ
そのように笑えるといいね
つまらないことで笑う
大人にならないように





○一口メモ

 この詩について、前回書いた時は、まだはっきりしてなかったと思います。「つねに燃えているものを」の主語を世の中とか世界というように思っていました。自分の心が煩悩で燃えているのだとはっきりしていませんでした。ただなんとなく、煩悩で燃えているのだと考えていました。ここで釈尊が言われることは、私たち一人ひとりの心が煩悩で燃えていることを教えておられるのです。世間一般と考えていたら、自覚がないということです。

 ですから、「暗い闇に覆われながら」は人のことではなく、自分が無知・無明の暗黒で覆われていると自覚しなければいけません。その自覚がないから、智慧の明かりを探そうとしないのです。だから笑っていられるのです。智慧の明かりをつけて、煩悩の火を消さなければ、黒こげになってしまいます。笑ってなどいられないのです。一人ひとりが煩悩で燃え、無知・無明の暗黒で覆われているのですから、世の中、世界は混乱しているのです。

 しかも、大人の笑いは、欲望が満たされた時、儲かったと笑います。人との競争に勝ったと言って笑います。また、他人を侮辱して笑います。一言でまとめて言えば、不品のない笑いです。

 子供はお母さんが喜ぶと笑います。友達が喜ぶと笑います。友達が転んで泣くといっしょに泣くのです。小さな虫が歩くと笑うのです。最近は虫の嫌いなお母さんの影響で、虫を怖がる子供もいますが、それは残念なことです。子供には共感の笑いや自然の変化を喜べるように育って欲しいと思います。

 最後になりましたが、「第10 暴力の章」は終わり、この詩から「第11 老いの章」になります。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

人は幸福に盲目です ~一般人の幸福論は差別的です~
http://www.j-theravada.net/howa/howa63.html

○前回の「この詩から学ぶこと」

なぜなのか笑っているのか火事なのに世界は闇だ光を求めよ
http://76263383.at.webry.info/200904/article_11.html

○パーリ語原文

146.
コー ヌ   ハーソー キマーナンドー
Ko   nu   hāso     kimānando,
誰が 一体 笑い    何が 喜び
ニッチャン パッジャリテー サティ
niccaṃ    pajjalite      sati;
常に     燃えて      ある
アンダカーレーナ オナッダー
Andhakārena     onaddhā,
暗黒によって    覆われている
パディパン ナ  ガウェーサタ
padīpaṃ   na   gavesatha.
燈明を   ない 求めようとし


○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年02月19日 04:11
ワンギーサさん、おはようございます。怒り、不安、恐怖という感情は自覚しやすくかつ排除したがるものだと思います。ところで、今週いわゆる「儲け話」を聞きました。そういう話を聞き、考えると欲が強く働きます。そして、それが続く時は「怒り」は極めて生じずらくなります。だから気分的にはいいのです。ひとつの落とし穴だと思いました。もうひとつの落とし穴は、決して楽してなど「儲からない」ということです。例えば投資は一見楽してるように思えますが、伴うリスク、リスク回避のための勉強、日々の情報収集、それに費やす時間とエネルギーを考慮に入れると割にあわないのです。私は後者の理由でその話には乗りませんでしたが、仏教を学んでいると「トータルして果たしてどうか?」という視点が養われます。それも生きる上で大切だと思いました。有難うございました。
トム
2010年02月19日 05:31
欲に覆われた心は気分だけがよくて、それが満たされないと、怒りが発生します。怒りに比べ欲は気づきづらいので、より注意深さが必要です。執着力も強いですね。妄想力が強い強い(笑゛)
こころざし
2015年08月18日 07:38
本文を拝見し、日常で自分の心が成長出来て良かった、と笑う方を拝見した事はない印象を感じました。さっと浮かぶのはお金が多く手に入った時に笑い、逆の時に厳しい顔になる情景です。
自分を少し注意して観察すると、無明・無知をベースにして生きている事が分かります。煩悩を減らしてその火で燃え尽きる事がないように注意したいです。
たか坊
2017年01月12日 20:52
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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