149.この鳩色の骸骨を見ていかなる歓びありえよう

ダンマパダ 第11 老いの章 149

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


あたかも秋に投げ捨てられた
瓢箪(ひょうたん)のようないくつもの
この鳩色の骸骨を見て
いかなる歓びありえよう


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

投げ捨てられた
秋の瓢箪のような
鳩色の骨を見て
誰が喜べるのか


○子供のためのダンマパダ

本物の骨を見たことありますか
フライドチキンや魚の骨くらいかな
あのような骨が君の身体の中にあり
君の身体も最後は骨だけになるのだよ





○一口メモ

 今回の詩は、詩だけを読めば、「子供のためのダンマパダ」に書いたような意味になると思います。自分の肉体も死んでしまえば、腐敗して、あるいは焼いて骨だけになるものであるのです。執着するに値しないという意味になり、お釈迦さまの教えとは反しないと思います。

 しかし、この詩のできた因縁の物語がありますので、その因縁物語にそって理解すると、少し違う教えも含まれているのです。詳しくは、下記のアドレスのスマナサーラ長老の説法をお読み下さい。

 また、「死体の観察(不浄観)ポスター」について、及びそのポスターを「ゴータミー精舎日記」にありますので、ご紹介します。なれてない方は驚かれるかもしれませんが、真実の姿なのです。是非ご覧になり、何かを感じて下さい。
http://gotami.j-theravada.net/2005/11/post-103.html
http://gotami.txt-nifty.com/journal/images/maranan.jpg

 最近の「子供のためのダンマパダ」を読んで、死の問題を直接扱っていますから、子供をいじめているのではないかと思う方もおられるかもしれませんが、そうではないのです。子供も事実をありのままに知る必要があるのです。事実を隠しては正しく判断できません。なにも知らない大人ができるだけなのです。大きな病院などでは毎日死ぬ人がいますが、決して関係者以外には見せないような裏道を通します。日本では僧侶が病院に入ることをよく思わないところが多いのです。死を見つめることによって、生もよく理解できるのです。それが人々の悩み苦しみをなくし、幸福な生き方につながるのです。そうでなければ、お釈迦さまはこれほど、老いや死について述べられないのです。
 

○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

悟ったつもりは危険 ~刺激に対する反応でこころの状態がわかる~
http://www.j-theravada.net/howa/howa66.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

灰色の投げ捨てられた骨を見て欲を起こすか修行者たちよ
http://76263383.at.webry.info/200904/article_14.html


○パーリ語原文

149.
ヤーニマーニ アパッターニ
Yānimāni     apatthāni,
所の この    投げ捨てられた
アラープーネーワ サーラデー
alāpūneva       sārade;
瓢箪 こそ      秋に 
カーポータカーニ アッティーニ
Kāpotakāni      aṭṭhīni,
鳩のような色の    骨
ターニ  ディスワーナ カー ラティ
tāni     disvāna     kā   rati.
それらを 見て      何の 楽しみ

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年02月22日 04:04
ワンギーサさん、おはようございます。「死体の観察ポスター」ありがとうございます。ゴータミーの事務局で見た時のショッキングな心境を思い出しました。私も子供の頃、「生と死」に著しい関心がありました。子供にはありのままの事実を解釈せずに見せたらいいと思います。親や親戚らが、「死や死体」をやたらとタブー視して子供の頃の私から事実を遠ざけてしまいました。とても残念なことです。初めて人間の死体を見たのは、小学の図書館にあった原爆写真集でしたが、その手のものは残酷な感じが強くあまり良いとは思いません。もっともっと普通の「日常的な死」をそのまま見つめる機会を増やさないと、私のように歪んだ死生観をもったまま大人になってしまう可能性が強いと思います。現在も悪戦苦闘しながら、ありのままの姿を見つめる努力をしてますが、今更愚痴をこぼしても仕方ないので、コツコツやるしかありません。有難うございました。
ぱん
2010年02月22日 07:18
おはようございます。老、病気、死という事実、最後は白骨になるという事実、これを知ることが何故幸福につながるのか、わかりません。ただ、金持ちも、美人も、有名人も、高学歴な人も、死んでしまえば白骨になってしまうということを見ると、何か、世間的の努力というものを、それほど必死にやらなくてもいいんではないかと、そういうような気もしてきます。どうせ死んだら骨になると思えば、他者に勝つとか、そういうことは、ほどほどにして、ただ生に対する執着をなくすため、今日も職業訓練の授業中は、怒り、欲、眠気という今ここの感情に気付きを入れつつ、心をきれいにしてゆきたいと思います。
ワンギーサ
2010年02月22日 07:37
新さん、ぱんさん、おはようございます。

ぱんさんへ。
「老、病気、死という事実、最後は白骨になるという事実、これを知ることが何故幸福につながるのか、わかりません。」とありますが、ぱんさんの幸福にたいする概念が空想的であり、実はそれは本当の幸福でないということが分かってくる必要があるのです。そして、ぱんさんの今の心境が本当の幸福に近いことが納得できてくれば、今の疑問が解けてくると思います。不放逸、正念の生活に精進してください。
あっきん
2010年02月22日 11:01
おはようございます。
老いと死これは人事ではない気がします。
核家族で、身内での経験があまりなかったのですが、介護をしてみて私もいずれそうなるのであると感じます。ある意味、生き方を教えてもらっています。
年をとっても個人差があります。性格とかが絡み合っているのでしょうか。少欲で満足し心を安定し穏やかにするのが幸せと言うのが分かります。いずれ物質は離れて捨てるから。
生きとし生けるものは幸せでありますように。
ぱん
2010年02月22日 13:03
不放逸、正念の生活に精進いたします。
こころざし
2015年08月19日 07:56
老人介護の仕事の現場で、御坊様や読経等は死を連想させる機会に繋がると考えられている一面があります。また、本文にありますように死体を搬送する時には目立たないように配慮するのは当たり前になっています。そんな事実を隠すような行為が思いやりなのか?考える時があります。
ただ、本人はともかくご家族様が心不安定にならずにその後を生きれる事が一番になるように感じ、心を込めて対応させて頂いています。
死を受け入れるような心構え、色々な意味で培って参りたいです。
たか坊
2017年01月17日 00:14
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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