157. もし自分をいとしいと思うならば

ダンマパダ 第12 自己の章 157

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

自己が愛しいと知るならば
それを守り護るべし
三分のうちの一分に
賢いものは覚醒すべし


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

もし自分をいとしいと思うならば
自分をよく守るべきだ
青年でも中年でも老人になっても
知恵ある人は心を育てるべきだ


○子供のためのダンマパダ

君が一番好きな人だれ?
お母さんかな
嘘でしょう
君じしんでしょう





○一口メモ

 この詩から「第12 自己の章」になります。

 自己の章の最初の詩のポイントは「自己愛」です。「自分を愛しいと思う」気持ちがすべての生命にあるということです。慈悲の瞑想のはじめの言葉は「私は幸せでありますように」であります。この点をしっかりと自覚する必要があるのです。そんなこと当たり前だと思っている人もいるでしょうが、あまり当たり前でなく、時々ではなく、いつもぶれている人も多いのです。そのような人は、自暴自棄になって、自殺したりするのです。自殺まではしなくとも、冷静に考えれば、自分が不幸になることをしてしまうのです。

 自分を愛しいと思う気持ちは私たちが成長するための原点であり、原動力になりますが、注意しなければならないことがあります。それは、自己愛は排他的な自己愛になる恐れもあるのです。それは自分だけ良ければ良いという考え方です。実際には排他的な自己愛は不可能なことです。なぜならば、他の人々も自己愛を持っていますから、排他的自己愛は周りからつぶされて不幸になるのです。しかも、この自己は他のすべての生命に支えられているという事実があるからです。

 自己愛は、自分だけが持っているのではなくすべての生命が持っているのです。ですから、自分と同じ自己愛を他の生命も持っているのだと知る必要があります。慈悲の瞑想では、自分の親しい人々の自己愛に気づくような瞑想法なのです。その自己愛は生きとし生けるものが持っていることに気づけるようになっているのです。さらに、自分の嫌いな人や自分の嫌いな人々も自分と同じ自己愛があることに気づくことは驚きです。そのような過程で排他的自己愛でない自己愛を育てることができるのです。それが自分の幸せの保障になるのです。

 また自分の自己愛を実現すること、幸福になることは、他のすべての生命のおかげであることも知る必要があります。そのことは前回の「この詩から学ぶこと」に書きましたので参考にして下さい。
生命の自己愛については「スマナサーラ長老の説法の中で詳しく述べられておりますので、是非そちらをお読み下さい。

 この詩の後半は、人生のいつの時期でも、気がついた時に心を育てるべきだと述べられています。すなわち、若い時期に気がついて心を育てることを始めることには越したことはないのですが、例え歳を取って気がついたら、そのとき始めるべきなのです。もう老人だからと言ってやらなければ、輪廻の苦しみから抜け出ることはできません。心はその気になれば一瞬にして変えることもできるのです。また、物質的なものは死ぬと同時にすべて捨てるのですが、心に溜めたエネルギー(功徳)などは、死後も力を持つといわれています。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「自分しか愛せない」 ~智恵のある人は自分を守る~
http://www.j-theravada.net/howa/howa72.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

自己愛に気付いたならば自己守れ三つの時期の一つだけでも
http://76263383.at.webry.info/200904/article_20.html


○パーリ語原文

157.
アッターナンチェー ピヤン ジャンニャー
Attānañce        piyaṃ  jaññā,
自己を もし     愛しい  知るなら
ラッケッヤ ナン   スラッキタン
rakkheyya  naṃ   surakkhitaṃ;
守るべき  その  よく守れたものを
ティンナン アンニャタラン ヤマン
Tiṇṇaṃ    aññataraṃ    yāmaṃ,
三つの   一つのもの   夜分の  
パティジャッゲッヤ パンディトー
paṭijaggeyya      paṇḍito.
目覚めているべき  賢者は


○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

名古屋人
2010年02月27日 22:08
自分を愛せない人が、自分を愛するように他者を愛することは困難でしょう。だから大前提として自分自身を愛さなければなりません。しかし、自分で自分を愛することは、他者を愛することよりも数段難しいことに、ほとんどの人が気づいておりません。ここが、問題です。
しかも、自分の愛し方もよくわかっていませんし。
他者からの称賛を基に自己愛を築くのは、かえって自分で自分を嫌いにすることになるだけでしょう。
1951男
2010年02月27日 23:15
「自己愛」が「私は幸せでありますように」という願いを意味するとしたら、「自己愛」が排他的になるという心配は無用だと思います。

なぜなら、他の生命との関わりで成り立っている私の命が、単独で幸せになる可能性はありえないからです。
具体的な人間関係にしても、自分の内部で完結する心情的問題にしても、他者の幸・不幸は自分の問題になるからです。
私の親しい人々が幸せでいてくれないと、私は幸せでいるのが困難になります。私とうまく行っていない人々の悩み苦しみもなくなってくれないとこちらとしても安らぎがないのです。
そのことに気づけば問題解決なんですが、知らないと(無知)、問題を抱えたままなのですね、困ったものです。

他者の状況がどうであれ、ぶれない心が完成したら生存を超える準備完了ということでしょうか。当方ぶれぶれです。
nqaz
2010年02月28日 00:53
スマナサーラさんがどこかで「もし身近に一人でも悟った人が現れたならば全てを捨ててでもその人についていくべきだともブッダはおっしゃっています」(出典不明ですみません)とおっしゃっていましたが、どこの経典に出てきますでしょうか?
確か私が読んだ長部と中部にはなかった気がいたします。
2010年02月28日 01:47
ワンギーサさん、おはようございます。「自分さえ良ければ」を「自分たちだけが良ければよい」とすると、排他的自己愛や他から称賛されることの関係が明確になるかと思います。だんだん春の予感がしてきました。桜、花見の季節到来ですが、公園に残されたゴミの山や残骸を見るにつけ「自分たちさえ良ければ」の醜さを感じてしまいます。本当に酒というものは理性を麻痺させるものだとも思います。その他、組織ぐるみで不正をしたり、企業ぐるみで消費者を騙したり、詐欺、窃盗などの犯罪組織については言うまでもありません。しかし、個人個人はその組織やグループ内では「皆に愛されるよい人」なのかもしれません。そこが問題なのですが、要は「自分たちが五戒を守っているか?」ということに帰着するように思えるのです。自己愛は五戒を守り、排他的自己愛は五戒を破るでしょう。そしてそのことにこそ、仏法僧に帰依した法友善友たちと付き合えることの有り難みがあるのだと確信しております。自分たちが幸福になることで全ての生命が幸福になるからです。有難うございました。
ワンギーサ
2010年02月28日 10:37
皆さん、コメントありがとうございます。皆さんのコメントをあえて批判すれば、妄想で文章を読んでいるように思いました。皆さんの言いたいことは記事の中で述べていますが、もう一度それを繰り返して述べたいというのであれば納得します。反論があるならば、もう一度素直な気持ちで記事を読んでからして下さい。

nqazさんへ。
ダンマパダ328番、329番、330番をお読み下さい。

名古屋人
2010年02月28日 10:56
「人間は、自分のことが一番好きである」と簡単に言いますが単純にそう自覚している人は、少ないと思います。
オリンピックを例にして考えるとこうなります。
浅田真央やキム・ヨナを称賛する人は多くいますが、彼女達を称賛する以上に自分自身を称賛できている人は、どれほどいますか。ほとんどいないでしょう。
だいたいが、「それに比べて、この自分は・・・etc
」というのが大方の反応でしょう。それで自分自身を愛していると言えますか?
「慢」がはたらくと、他人と比べることになるから他人から誉められることを求めるのは良くないでしょう。

「布施や持戒の実践が自己を愛し守ることになる」。
頭で分っていても、少し実践したくらいでは、自尊感情が高まったりしませんから、自分を愛したり好きになっていくのには、時間がかかります。
2010年02月28日 12:30
ワンギーサさん、今日は。ご批判有難うございます。名古屋人さんも1951男さんのコメントもとてもユニークに感じます。私は「妄想、反論」というより、あくまで内容を御自身の言葉や文章で表現されたと受けとめました。私もそのようにコメントしました。ただ、自分流の表現も自分の文章技術や表現センスを考慮しないと誤解を招く恐れがあるので、その辺は反省材料にしたいと思います。有難うございました。
慈悲と智慧
2010年02月28日 12:39
自己愛について非常に勉強になりました。正しい自己愛を知ることは慈悲の瞑想の一つの鍵ですね。
2010年02月28日 20:19
カラスをいじめると仕返しされます。エサを与えると仲間になります。例えば、絶対にカラスの技術にかけてフンはひっかけたりはしません。そこにカラスの自己愛をひしひしと感じます。皆基本的には自分が可愛いのです。
1951男
2010年02月28日 23:33
ワンギーサさま
失礼しました。おっしゃるとおりです。
よく読めば不要な無用なコメントはゴミでした。
自分の思い込みがあって妄想で読んでいるからそうなるのだと分かりました。
nqaz
2010年03月01日 00:14
ありがとうございました。肝心のダンマパダにあるとは気づきませんでした。
こころざし
2015年08月21日 07:49
自分の事を大切にしたいと思いますので、自分の心が成長し・功徳を積めるような生き方を実践して参りたいです。
そしてどれだけ心明るく・安定して生きれるかをチャレンジしたいと思います。
たか坊
2017年01月23日 20:12
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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