124.悪を為さない人には悪が及ばない

ダンマパダ 第9 悪の章 124

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


もし手の中に傷がなければ
手により毒を運びうる
傷なきところには毒はつかず
行なわぬ者に悪はなし


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

心にやましいことがなければ
何も心配することはない
悪いことしなければ
どんな罪もないのだから


○子供のためのダンマパダ

手に傷がなければ
バイキンが入らない
悪いことしなければ
怒られない





○一口メモ

 今回の詩を、「超訳の試み」や「子供のためのダンマパダ」を読むと、「悪いことをしなければ」と書いてあるので、簡単そうにみえますが、悪いことをしないことはそんなに簡単なことではないのです。何度も書きましたが、人間の行為は欲や怒りや誤解などの衝動で支配されているのです。欲や怒りや誤解に支配された行為は悪い行為なのです。ですから、よほど悪いことをしないように注意しないと、悪い行為をしてしまうのです。また、完全に悪い行為をしないようにするためには、智慧も必要です。智慧のない人には、誤解があり、欲や怒りの感情が表れやすいのです。

 悪いことをしないように、五戒を守り、慈悲の瞑想を行い慈悲喜捨の無量心を育て、ヴィパッサナー瞑想で智慧を開発する必要があります。そうすれば安心、不安のない安穏な生き方ができるのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「悪に対する抵抗力」~智慧さえあればこの世の中で生きることは楽です~
http://www.j-theravada.net/howa/howa49.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

傷ないと毒の中でも大丈夫 悪ない人に不幸は来ない
http://76263383.at.webry.info/200903/article_27.html


○パーリ語原文

124.
パーニンヒ チェー ワノー ナーッサ
Pāṇimhi    ce    vaṇo   nāssa,
手に     もし   傷が  ないなら
ハレッヤ パーニナー ウィサン
hareyya   pāṇinā    visaṃ;
運べる   手で     毒が
ナッバナン     ウィサマンウェーティ
Nābbaṇaṃ      visamanveti,
ない 傷なき者に 毒が 随伴し
ナッティ   パーパン アクッバトー
natthi     pāpaṃ   akubbato.
存在しない 悪が   為さない者に

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

納得
2010年02月03日 21:36
まさしく同感であります。

生きとし生けるものが幸せでありますように
2010年02月04日 03:19
ワンギーサさん、おはようございます。「それが必要か否か?」は頭でわかっても「心」がよく反発します。「「心」は自分が想定してる以上に非合理的で非効率的でバカなことが大好き、生き甲斐」というのが嫌というほど分かりました。「悪を為さない」とはとてつもないことです。だからどうしても「智慧」を開発する必要がありますね。覚悟、精進あるのみです。それから「人からの影響」を考慮すると「善友」の存在はとても大きいと思います。有難うございました。
1951男
2010年02月04日 10:21
慈悲喜捨の無量心について、ほとんど定型的なお経の一部を見たことがあります。それをパーリ語でおぼえたいのですがご紹介いただけないでしょうか?よろしくお願いします。
ワンギーサ
2010年02月04日 13:48
1951男さんへ。
慈悲の冥想は、その言葉が心にしみるように行う必要があります。ですから、どこの国の人も母国語で行った方がいいのです。ですが、パーリ語に興味があれば、その核心部分は日本テーラワーダ仏教協会発行「日常読誦経典」p86にあります。
全体は「清浄道論第9品梵住の解釈」にあります。
パーリ語については、次のアドレスをご参照下さい。
http://www.tipitaka.org/romn/
上のアドレスでうまくたどりつけないならば、
テーラワーダ仏教協会でも少し販売している、「南方仏教基本聖典のパーリ語版のp2~4にあります。
トム
2010年02月04日 19:37
厳しい現実にぶつかると、悪い妄想がでてきますね。日常生活の場で、それを振り払い実況中継することになるのですが。そのためには、普段以上に注意深くならないとできないので、最高の練習場になります。これも無常による縁、実況中継技術のレベルアップをこのチャンスを生かして図っています。
ワンギーサ
2010年02月04日 23:23
おんがえしさんへ。
あなたのコメントは参考になるものや興味にあるものもありますので、楽天の「ワンギーサの日記」に掲載することにしました。しかし、他人を批判するコメントは掲載いたしません。
こころざし
2015年08月13日 11:23
悪い事をしようとすると、自分の心がさっと暗くなります。心を暗くしたくないので、悪い事をしないように注意しています。
具体的には、周囲の状況を観察し・迷惑になるような事をしないように注意しています。そして慈しみの気持ちを持っていれば、失敗し心が暗くなることは少ないと実感しています。
日々の反省を生かして、心が暗くなる事がないように、努めてたいです。
たか坊
2016年11月25日 19:21
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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