125.風に向かって砂を投げたらどうなるか

ダンマパダ 第9 悪の章 125

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

汚れのない人、罪のない人
清らかな人を害なえば
その愚者にこそ悪は戻る
逆風に投げた微塵の如く


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

憎まない人を憎み
清らかで汚れない人を憎むならば
その悪行の結果は愚か者に戻る
風に逆らって投げられた細かいちりのように


○子供のためのダンマパダ

風に向かって
砂を投げたらどうなるか
やさしく親切な人を
いじめたらどうなるか





○一口メモ

 この詩について、スマナサーラ長老の説法があります。その最後に「今回のポイント」がまとめてあります。次の通りです。

 *怒らないことは、他人の間違い、欠点を理解し、許す気持ちを持ちことです。
 *世直しよりは自分直しが肝心です。
 *いかなる場合でも怒る人は愚か者で敗者です。

以上、しっかりと受け止めましょう。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「敗者の道」 ~怒りの制御は幸福をもたらす~
http://www.j-theravada.net/howa/howa50.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

憎まない清らかな人憎むなら悪の結果は己に戻る
http://76263383.at.webry.info/200903/article_28.html


○パーリ語原文

125.
ヨー   アッパドゥッタッサ ナラッサ ドゥッサティ
Yo     appaduṭṭhassa    narassa   dussati,
その人   悪意のない    人に   悪意を持つ 
スッダッサ ポーサッサ アナンガナッサ
suddhassa  posassa    anaṅgaṇassa;
清らかな   人を     汚れない
タメーワ   バーラン パッチェーティ パーパン
Tameva    bālaṃ    pacceti      pāpaṃ,
その まさに 愚者に   戻る      悪は   
スクモー ラジョー パティワータンワ キットー
sukhumo  rajo    paṭivātaṃva     khitto.
微細な  ちり    風に逆らって   投げられた

○詩のパーリ語について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)


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この記事へのコメント

へこき虫
2010年02月05日 01:05
勘違いしやすい解釈で、悪いヤツには罰をなんて応報的意味に捉えてはまずいと思います。あくまでも原理的なものとして理解するのが穏当です。
2010年02月05日 03:17
ワンギーサさん、おはようございます。スマナサーラ長老の説法の「ポイント」、レポート用紙に書いて壁に貼っておきます。こういう「フレーズ」を「心」にすり込ませるのは効果が期待できます。ちなみに、初めて貼ったフレーズは「すべてのものに賞味期限がある」「努力はしても結果は求めない」「我は感情である」の三つです。全部スマナサーラ長老の著書の一節です。これは個人的な感想ですが、こういう「フレーズ」を意識的に又は無意識的に普段から目にしてると、かなり時間はかかる場合もありますが(初めて貼ったのが4年前だと記憶してます)、だんだん何かあった場合にすぐ思い出すことが出来るようになります。頭だけの理解から自然に心の理解になっていることが実感できます。「心の奥」までしみ込んでいるので、重大と思われる事態に遭遇しても、とても「いい薬」となってくれてます。特に「怒り」は私が仏教をやってる衝動でもあり、天敵でもあるので、早速、壁に貼っておこうかと思います。じわじわとその効果が現れることでしょう。有難うございました。
ぱん
2010年02月05日 08:00
おはようございます。世直しよりも自分直しとは、全くその通りです。昨日は、大志を抱きつつ庭で歩く瞑想を行っていました。大志を実現するというと、もっとかっこいい行動はないのだろうかと、思いつつ、淡々と歩く瞑想を行うことで小善を積み重ねてゆくしか、私には他に方法がないのです。ネーランジャラー河のほとりで、座しつつ、偉大なる真理を発見したお釈迦様をイメージしながら。
nqaz
2010年02月05日 16:31
「パティサンビダー・マッガ」という清浄道論(正田さん訳)に出てくるこの言葉は注釈書でしょうか?
トム
2010年02月05日 16:53
いかなる場合でも怒る人は愚か者で敗者です。本当にわかりやすいですね。しかし厳しい。真理の道はだれもが通れるが歩き続けるかどうかを決めるのはその人しだいなのだから。
しかし、例え、ころんでも、休んでも、とにかくその都度歩きつづければいいのなら、楽な道かもしれませんね(笑)。
ワンギーサ
2010年02月05日 17:20
へこき虫、新さん、ぱんさん、nqazさん、トムさん、コメントありがとうございます。

nqazさんの質問について、私は読んでませんので、詳しいことはいえませんが、注釈書ではないと思います。日本語訳は「無碍解道」です。南伝大蔵経第40巻(小部経典18)に掲載されています。

nqaz
2010年02月06日 01:41
とてもありがとうございました。
こころざし
2015年08月14日 07:38
逆風で砂を投げると、自分に降りかかって大変になると思います。
自分がした悪行為は、そのように自分に影響するのだと戒めたいです。
たか坊
2016年11月27日 17:39
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪
ニック
2018年01月24日 19:50
「瞑想を唱える」ってどういう意味ですか?

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