168.169.奮起せよ、放逸になるな、真理を実践せよ

ダンマパダ 第13 世間の章 168、169

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

起立において(奮起すべし)怠るなかれ
善行の法を行うがよい
法の行者は楽に臥す
この世においてもあの世においても

善行の法を行うがよい
悪行の法を行うなかれ
法の行者は楽に臥す
この世においてもあの世においても


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

奮起せよ、放逸になるな
真理を実践せよ
真理の実践者は幸福である
この世でもあの世でも 

真理を実践せよ
不法を行うな
真理の実践者は幸福である
この世でもあの世でも


○子供のダンマパダ

苦手なことを克服するコツは
先ず、立ち上がること
実行すること
怠けないで続けること
そうすれば
どんなことでも上手になりますよ





○一口メモ

  超訳の試みに「真理を実践せよ」とありますが、片山先生の訳では「善行の法を行うがよい」です。スマナサーラ長老の説法を読んで、「真理を実践せよ」という訳にしてみました。

 以下、前回の「この詩から学ぶこと」を再掲載いたします。

 「真理を実践せよ」、これはかなり深い意味があるのだと思います。私たちは真理が分かっていないのですから、真理を実践できないのです。真理 が分かった人は悟った人なのです。悟ってない人は真理が分かってないといわれるのです。そこで、真理を分かってない私はどのように真理を実践するのでしょ う。これはかなり難しいのです。何度も述べましたが、私たちは欲と怒りと無知の感情の衝動で行動するのが習慣になっています。真理を実践するためには、習 慣になっている行動パターンを変えなければなりません。習慣を変えるのは困難な課題なのです。

 従来の行動パターンを変えるという課題に挑戦すためには、奮起するする必要があります、そこで、ブッダは「奮起せよ」と私たちに呼びかけているのです。 次に、「放逸になるな」です。怠けず、自分の行為に注意を向けて、不法を行わずに、真理を実践するように観察するのです。

 ブッダは実践すべき真理を「八正道」として私たちに教えておられます。真理を理解してない人の実践する「八正道」は始めは真理ではありませんが、実践を 通じて、真理を理解した人、悟った人になり、真理である「八正道」を実践することになるのです。真理は言葉ではないのです。真理を理解した人が実践する 「八正道」そのものが真理なのです。最後に紹介しようと思っているスマナサーラ長老の法話の最後に「考えると見解が生じ、実践すると真理を発見する」とい う言葉があります。「八正道」の実践で真理が発見できるのです。その時の「八正道の実践」が真理なのです。
 未完成の「八正道」でもそれを実践する人の人格は成長します。心は清らかになります。この実践者は充実感を感じ心は穏やかになり、この世で幸福になるのです。この実践は善い業となり、来世も幸福になることは間違いがないことなのです。

 以上、再掲載終わり。

 子供のダンマパダの「立ち上がること」はパーリ語原文の「奮起すること」の別の訳です。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「論より正悟」 ~仏法は思考のゲームではありません~
http://www.j-theravada.net/howa/howa83.html


○前回の「この詩から学ぶこと」

奮起せよ放逸になるな実践すればこの世あの世で幸福になる
http://76263383.at.webry.info/200905/article_1.html


○パーリ語原文

168.
ウッティッテー ナッパマッジェッヤ
Uttiṭṭhe      nappamajjeyya,
奮起せよ    放逸にならないように
ダンマン  スチャリタン チャレー
dhammaṃ  sucaritaṃ   care;
法を     善行を    行うように
ダンマチャーリー スカン  セーティ
Dhammacārī     sukhaṃ  seti,
法 行者は      楽に  臥す 
アスミン ローケー パランヒ チャ
asmiṃ   loke    paramhi  ca.
この    世    あの    又

169.
ダンマン  チャレー  スチャリタン
Dhammaṃ  care     sucaritaṃ,
法を     行うように 善行を
ナ  ナン ドゥッチャリタン チャレー
na   naṃ  duccaritaṃ    care;
ない その 悪行を      行わ(ない)ように
ダンマチャーリー  スカン  セーティ
Dhammacārī      sukhaṃ  seti,
法 行者は      楽に   臥す 
アスミン ローケー パランヒ  チャ
asmiṃ  loke      paramhi  ca.
この   世      あの    又



○詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月11日 04:15
ワンギーサさん、おはようございます。

自己愛、いい意味でのプライドというものをうまく活用しながら、自己の可能性に制限を設けずチャレンジしたいと思います。

有難うございました。
おんがえし
2010年03月11日 11:28
 真理を実践するのに非常に重要なスマナサーラ長老の説法と思いますので引用いたします。
 ヴィパッサナー冥想のやり方はシンプルだから、誰にでも本は書けます。でもこれは人間の知恵を乗り越えている世界であって、本当は、誰にでも書けるものでもないのです。
 中には、肩書きだけで本を出したりする人もいます。冥想の本の良し悪しを見分けるのは、皆さんには難しいかもしれません。
 といっても、私は皆さんが勉強する邪魔をしたくはない。だから、次のことを理解しておいてください。

 ヴィパッサナー冥想は思考をストップすることです。
 ですから、その実践で思考をやめることに挑戦しているのかということは、大事なポイントです。…中略…
 
 ですから「花」という実感が生まれることさえ、思考なんです。

 しかし、いきなり「これを見ても花に見えないようにするぞ」と思っても、意味がない。今自分がいる位置からこころが成長するしか、方法はないんです。
 思考にいろんな雑念・邪念が入らないようにこころを持っていって、その状態をさらにさらに続けていくと、ドンドン思考と合成が減っていって、データのみ確認することができるようになります。
 そのようなヴィパッサナーの理論を理解しているなら、どんな本を読んでもかまいません。(パティパダー仏暦2551年(2007年)12月号、24頁以下)。 
幸い
2010年03月11日 12:21
ひたすら原子仏教の勉強を繰り返してすることが近道だと思います。
仕事に直接関係のある情報や学生であれば直接自分の勉強に関係あるもの以外は徹底的に原子仏教に絞って他の自己啓発にふらふらと浮気しないことだと思います。
おんがえし
2010年03月11日 18:24
 上記引用が、著作権法上違法となるといけませんので、私の思いを主として書きます。
 私は、ヴィパッサナーについては、直接瞑想指導を受けられた方がよいし、どなたの瞑想指導を受けられるか慎重に決せられた方がよいと思っています。
 一つには、以前にも書きましたが幻覚の問題があります。光を観るとか、妙なる音を聞くとかです。この幻覚というものは、高級な宗教でなくても、また、大した指導者でなくても特定の条件の下に起こると思います。
 しかし、幻覚は客観的には幻覚ですが、本人にとっては、幻覚ではなく、悟ったつもりになってしまう危険が大いにあると思います。
 こうなると瞑想指導の達人といえども元に戻せなくなることもありうると思います。悟ったつもりだからです。
 
 それと、上記のようにヴィパッサナーは、人間の智慧を超えた世界について語られた実践法だと思います。
 「花」という実感を持つことさえ思考であり、その思考をストップしなければならないというのは物凄いことだと思います。
 こういう超越した世界のことを一人で実践すると、迷い道に入ってしまったり、間違えてしまう可能性も大いにあると思います。
 また、その指導できる方というのは、この地上で非常に限られているということも重々自覚するべきだと思うのです。
1951男
2010年03月11日 18:48
ちょっとテーマがずれてしまうかもしれませんが、確認したいことがあります。
瞑想においては世を捨てるわけですから、データ(ことばを含む)が運んでいる情報・意味・内容は無視しなさいということなのでしょうか?各主観が持つ受信データ解析変換装置を通す手前で止めなさいということですね。
・テレビの映像や情報・内容ではなくドットとしてのデータを確認しなさい。
・言葉や音楽を聞いて意味・概念を思い浮かべず、物理的音声としてのデータを確認しなさい。
全く知らない外国語であれば概念として聞こえませんから簡単ですね。教育がなければ、知識がなければ、経験がなければデータをそのまま確認するのが楽です。でもなんかへんだなあ。

ワンギーサさま私のコメントでおかしなところをご指導願います。
ワンギーサ
2010年03月11日 19:11
1951男さんへ。
コメントがおかしくはないですが、経験がないからわからないのです。「データ(ことばを含む)が運んでいる情報・意味・内容は無視しなさいということなのでしょうか?」この答えは、無視しなさいということではありません。観察力がついてくると、データが概念に変わるところが見えてくるということです。そうすれば、概念にしないでのです。実際には次のデータが入ってきますから、過去のデータは無視することになります。
2010年03月11日 19:46
「決して辛抱しない」「けれどやめる」

これでたばこ、お酒止めれました

気づきは宝です

生きとし生けるものが幸せでありますように
1951男
2010年03月12日 00:01
ワンギーサさま
貴重なご指導ありがとうございます。
ありのままのものを概念にしない、する必要がないという経験が私にも現れますように。
まさこ
2010年11月17日 16:10

私も、立ち上がらなくては!!
こころざし
2015年08月25日 07:48
実行する事・怠けないで毎日続ける事の大切さを感じています。毎日やらないと、進んで行かない印象もあります。
日々の今を大事にして、大切な事を実践して参りたいです。
たか坊
2017年02月12日 19:48
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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