173.悪業の結果を善行為で止めた人は

ダンマパダ 第13 世間の章 173

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


かつてなした悪業を
善行によって包むならば
かれはこの世を輝かす
雲を離れた月のごとくに


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

悪業の結果を
善行為で止めた人は
雲をはなれた月のように
世の中を明るくする


○子供のダンマパダ

悪いことをしても
反省して良いことをすれば
世の中の役に立つ
感謝される人になれますよ





○一口メモ

 2年近く前に初めてブログを開設した時、掲載した詩がこのダンマパダ173番です。ですから、このブログに掲載するのは三回めになります。はじめは、慣れませんから、おっかなびっくり始めましたが、最近は少しなれてきて、書くことが少しずうずうしくなったかもしれません。反省しなければいけません。しかし、これまで続けてこられましたのは皆さんの御陰です。特に、共感にせよ、批判にせよ、コメントしてくださる方には何とお礼を申し上げたらよいか分かりません。ここで熱くお礼を申し上げます。

 さて、この章は「第13 世間の章」ですが、世間は混乱し邪見が溢れています。このような世の中にあって、ブッダの言葉に毎日触れて、正しく生きる道を学ぶことは非常に大切なことです。このブログを毎日更新することは、そのために少しは役に立つかなと考えています。ですから、ダンマパダを繰り返すことになりますが、まだしばらくは続けていこうと思いますので宜しくお願いいたします。

 ブッダの言葉に毎日触れる意義に関する興味ある経典がありましたので、今日はそれを紹介します。ナーギタさんのブログ「ひじる日々 寺男日記」の[写経]無明と明解脱(増支部経典より)
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20071031

 その内容は、混乱した世の中で人々が悩み苦しんでいるのは、我々が真理が分からない無明の状態であるからですが、なぜ我々が無明であるのか、その無明の原因を順序よく解き明かされています。結局それは邪法を聞くことであり、悪人(正しくない指導者)に親しむことであると説かれています。逆に無明を克服して明解脱することについても、順序よく説明されていて、結論は正法を聞くことであり、善人(正しい指導者)に親しむことであると説かれています。お釈迦さまの絶妙な比喩もあり、ためになるものですから、是非お読み下さい。ナーギタさんが分かり易く意訳しておられます。

 つまり、このブログの役割は、善人に親しめるお手伝いができればよいと考えています。今回の詩については、スマナサーラ長老の説法、前回までのブログ記事を参考にして下さい。

 
○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

「後悔」は美徳ですか? ~非難の視線は自分に返ってくる~
 Do not repeat your faults
http://www.j-theravada.net/howa/howa88.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

悪業を善い行いで止めた人 満月のよう世を照らす
http://76263383.at.webry.info/200905/article_5.html

悪業の結果を
http://76263383.at.webry.info/200806/article_1.html


○パーリ語原文

173.
ヤッサ パーパン カタン  カンマン
Yassa   pāpaṃ   kataṃ  kammaṃ,
彼の   悪い   為した  行為が
クサレーナ ピティーヤティ
kusalena    pithīyati;
善行為で   覆われる
ソー イマン ローカン パバーセーティ
So   imaṃ  lokaṃ    pabhāseti,
彼は この  世界を   輝かす
アッバー ムットーワ    チャンディマー
abbhā    mutto'va     candimā.
雲から   離れた ように 月

○詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

◎お願い:今回の詩に共感された方は、ページ右上の『仏教』をクリックをお願いします。そうすると、仏教ランキングのランクが上がります。ランクが上がると多くの人の目に留まりやすくなり、ダンマパダの認知度が高まるからです。


この記事へのコメント

鉄人
2010年03月15日 00:35
ワンギーサ様 今晩は。

小生も小生のブログで、ワンギーサ様の「困った時はダンマパダ」を紹介させていただきました。事後になりまして申し訳ありません。

なるべく多くの人に、ワンギーサ様のブログの存在を知ってもらい、「ダンマパダ」に触れることで「気づき」の人生を送っていただけたらと、切に願っております。
2010年03月15日 04:21
ワンギーサさん、おはようございます。

子供のためのダンマパダの果たす役割は革命的だと思います。

私は小学生のころ、悪いことをするのはカッコイイと思ってました。勇者だと思ってました。

スナックに忍び込んで、酒を飲んだことがあります。「俺だって悪さできる。なめんじゃねえぞ」と自慢の種、武勇伝でした。

その傾向は成人してからも続き、喧嘩対策でボクシングでもやろうかと思った時期もあります。

それらは、勇者のやることではなく、弱者、腰抜け、馬鹿の発想です。

カッコイイのは、悪いことをしないことです。子供の頃から、そうした価値観で生きると立派な大人になるでしょう。

ダンマパダが毎日読めるこということは、大変価値あることです。悪に染まった大人は反発するかもしれませんが、脳裏にきざまれるだけでも違います。

今後も期待しております。

有難うございました。
あっきん
2010年03月15日 09:39
おはようございます。
朝起きPCの電源を入れるのが日課となりました。
困った時はダンマパダ毎日更新されていて楽しみです。
そして前回、私こんなコメントしてたんだとか見て苦笑したりします。これでも心が変化していると分かります。このプログでよい刺激を受けています。無駄の無い生活をしたいです(意欲)。生きとし生けるものは幸せでありますように。
1951男
2010年03月15日 09:48
テーラワーダ仏教に親しんでいない人に「後悔はよくないから仏教では懺悔しなさいというんですよ」と言ってもほとんど伝わらないと思います。
英語でDon't repeat your faults.と言えばわかりやすいです。日本語でもそう言えばいいということなんでしょう。
後悔も懺悔も「悔やむ」の文字を使いますし、懺悔はキリスト教を連想します。
日本語ですっきりとした用語を教えてください。
Mason
2010年03月15日 15:23
3巡目のダンマパッダブログおめでとうございます。
ほぼ毎日欠かさず拝読させていただいております。

晴れあるスタートを飾ったこの詞はアングリマーラに
ちなんだものとのことですが、
去年の夏、浅草寺へ行ったとき発見した
江戸時代の剣術家の碑文を紹介させてください。
  ******************************

久米平内堂(くめのへいないどう)

平内は、一説によると徳川将軍家の剣術指南柳生但馬守
宗矩の門人で、剣豪荒木又右衛門を打ち負かすほどの腕前だったと伝えられる。
生涯浪人を通し、ときに千人斬りの物騒な悲願を立て
多くの人を 殺傷したという。

 しかし晩年にはその所業を悔い改め、浅草寺内の
金剛院に住んで仁王座禅の法を一心に修行した。
さらに死に臨んで罪業をつぐなうため、
自身の石像を作らせて人通りの多い浅草寺仁王門付近に
埋め、 多くの人に踏み付けさせるようにした、
といわれる。

http://e-ishiya.com/tokyo-100/sensouji/kumeno/kumeno.html
チヨ
2010年03月15日 16:27
ダンマパダ三周ありがとうございます。毎日読ませていただきます。このブログを読む時は、自然と姿勢がよくなってしまいます。
ところで、Masonさんのコメントを読み、思い出したことがあります。みなさんご存知と思いますが、菊池寛の名作「恩讐の彼方に」です。これは、実際にあった話だそうです。主人公の僧禅海はひとりで何十年も石をノミで打ってトンネルを掘り、人様の役にたったということです。私はこれを読んでとても感激し、また希望を得ました。今から思えばこれが仏教との本当の出会いだったようです。
ワンギーサさん、これからも毎日教えをブログに掲載してください。みなさんのコメント共々、大変役に立っています。ありがとうございます。
ワンギーサ
2010年03月15日 21:05
 鉄人さん、早速あなたのブログを拝見いたしました。ほめすぎのようなブログ紹介で恐縮しました。今後もこのブログの宣伝をよろしくお願いいたします。

 新さん、本当に毎日コメントして頂きましてありがとうございます。新さんのコメントはこのブログの支えですのでブログが揺らがないようにお願いします。

 あっきんさんが、朝起きて、PCを立ち上げてがっかりしないようにがんばります。

 Masonさん、興味のある情報ありがとうございます。今後も度々コメントして下さい。

 チヨさん、久ぶりですね。遠い異国でも私のブログを見てくれるということは、大変励みになります。今後もよろしくお願いいたします。

皆さん励ましの言葉ありがとうございます。これからも、がんばって、このブログを続けて行きます。
ワンギーサ
2010年03月15日 21:14
1951男さんへ
キリスト教で、懺悔という言葉を使おうが、使うまいが、
仏教で懺悔という言葉を使います。ただし、仏教ではにごらずに、さんげと読むことが多いのですが、私はざんげと言ってもかまわないと思っています。
あなたに一言苦言があります。あなたは人の心配をして、コメントをしてきますが、私はもっと自分の心配をした方がいいと思いますよ。
1951男
2010年03月16日 11:05
ワンギーサさま
素直なコメントのつもりでしたが、苦言をいただいてしまいました。「後悔せずに懺悔する」の言葉については自分がわかりにくいと思ったことです。意味は解説を読みさえすれば誰でもうなずける内容です。私には自分がつまづいたことについて放置したくないという癖があります。確かに人の心配をするわけです。改良したいということです。日常の仕事や生活では、そのようにしていますのでその癖が出ます。ここでは止めておきましょう。
まさこ
2010年11月24日 20:28

私も悪いことたくさんしました。反省して良いことできるように頑張ります。
こころざし
2015年08月26日 08:59
未熟で反省が必要な事はどなた様もあるように思います。それに自分で気がついて反省出来るか・出来ないか、でその後の流れは全く違う様に思います。
人の中で上手くやって行けず・トラブルを起こす頻度が高い方は、この自身に気がつくという点で難がある印象を感じています。
反省して良いことをして、そして人の役に立つ生き方を目指して参りたいです
たか坊
2017年02月17日 18:45
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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