175.白鳥は太陽の道を行き神通力者は虚空を行く

ダンマパダ 第13 世間の章 175

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


白鳥は太陽の道を行き
神通力者は虚空を行く
賢者は世から離れ去る
魔とその軍勢に勝利して


(片山一良先生 訳)


○超訳の試み

白鳥は大空を飛ぶ
賢者は虚空を神通力で飛び
輪廻の世界から離れる
煩悩の軍隊に打ち勝って


○子供のためのダンマパダ

人は鳥を見て
空を飛びたいと思った
それで飛行機を作った
それでも幸福は得られない

ブッダは幸福への道を
発見したのだよ





○一口メモ

 この章は「第13 世間の章」です。昨日の174番もそうですが、世間の人々は真理が分かっていませんから、ほとんどのことがらについて誤解しています。つまり世間の常識は間違っていると思った方が正解です。ダンマパダの詩は世間の常識を説いている訳ではないのです。ですから、ダンマパダの詩を読んで、なるほどと思った場合、それは常識的な理解で、お釈迦さまが言いたいことと異なると思った方がいいのです。

 私も世間的な常識から離れた出世間の智慧については、経典やスマナサーラ長老から教わったことから類推して、皆さんにお伝えしているのですが、的確に表現できない場合が多いのです。そのため、皆さんが誤解していると思うことがあります。現状では致し方がありません。ですから、皆さんはご自分の理解を吟味するようにしてください。

 その一つの方法は、ダンマパダを読んで気づいたことは、「分かった」と思うよりは「今まではここが分からなかった」と思った方が誤りが少ないのです。「分かった」と思うことには執着しやすいからです。分からなかった自分に気づけば執着が少なくなります。瞑想で気づいたことも同様です。

 今回の「子供のためのダンマパダ」について。
 世間の人々は自分の希望や望みが実現すれば、幸福になると思ってがんばっています。しかし、希望や望みが実現して、一時的に満足して、幸福感を感じても、それはすぐに消えて満足できなくなってしまうのです。それでまた夢や希望を作って挑戦するということになって際限がないのです。しかし、結局は死を迎えるわけですから、人生は不満で終わることになるのす。

 そこで、ブッダは世間的な幸福ではない、真の幸福(涅槃)を発見して、私たちにそこに至る道をお示しになりました。ダンマパダではそれを繰り返す私たちに述べておられるのです。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

空を飛んでみたい ~俗世間を乗り越える道~
 A leap beyond the paradigm
http://www.j-theravada.net/howa/howa90.html

○前回までのこの詩に関するブログ記事


白鳥は大空を飛ぶ賢者たち煩悩捨てて輪廻を離れる
http://76263383.at.webry.info/200905/article_7.html

白鳥は大空を飛ぶ
http://76263383.at.webry.info/200806/article_3.html


○パーリ語原文

175.
ハンサーディッチャパテー ヤンティ
Haṃsādiccapathe        yanti,
白鳥は 太陽路を       行く
アーカーセー ヤンティ イッディヤー
ākāse       yanti    iddhiyā;
虚空を      行く    神通により
ニーヤンティ ディーラー ローカンハー
Nīyanti      dhīrā     lokamhā,
導かれる    賢者は   この世から
ジェートゥワー マーラン サワーヒニン
jetvā        māraṃ   savāhiniṃ.
勝って      悪魔に  軍隊を持つ


〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。

〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月17日 04:20
ワンギーサさん、おはようございます。

悪という自覚がないから、悪を繰り返すように思います。

私も世間的には善人です。世間では、いくら妄想しても、殺人などの犯罪をしなければ、悪とは考えませんから。

仏教を学んで、善と偽善の違いが少し理解できたように思います。

常識では、嘘も方便といいますが、仏教では嘘はダメです。

戒、道徳を100%
守る努力をすると、自分の偽善がハッキリしてきます。

例えば、嘘も方便でごまかしていると、だんだんごまかしのサテイをする方向にいってしまうのです。怒っているのに、怒っていないことにしてしまったり、私の場合よくあります。

道徳を守ることの重要性を見直したいと思います。

有難うございました。
街でプーさん
2010年03月17日 13:46
老子の道徳経を読むと、老子も社会的良識ある人を超えて仏界に至ったようです。
おんがえし
2010年03月17日 16:54
 以前に、スマナサーラ長老が「ヴィパッサナーは人間の知恵を乗り越えている、ヴィパッサナーにおいては、思考をストップすることがポイントである、『花』という実感が生まれることさえも思考である。」というようにおっしゃっている説法を一部引用いたしました。

 ブッダの教えには、uttari manussa dhamma(超人法)という言葉もあると思います。
 それ故、ブッダの教えも特定の個人を崇拝する教えなのでは?と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
 私は、そうではないと思います。

 六根に六処が触れ、感受が生じ、思考が生ずると思いますが、この感受と思考の間に一瞬の隙間があると思うということを以前に書きました。
 六根が六処に触れ、感受が生じたところで、ストップするとどうなるのでしょうか?
 一切の感受が滅するのではないかと思うのですが如何でしょうか?
 
 スマナサーラ長老は、このようにおっしゃっておられます。
 釈尊の使ったパーリ語では、感覚は…ヴェーダナー…です。物体にヴェーダナーがあれば生き物です。…
 ついでにいえば、「ヴェーダナー(受)のニローダ(滅)が涅槃である」とお釈迦さまは定義されています(平和の生滅、サンガ、97頁。パーリ語はカタカナ表記)
 また、スマナサーラ長老は、日本テーラワーダ仏教協会発行のテープ「悟りへの道~感受編」でこのようにおっしゃっておられます。
 「涅槃は…サッバ 一切 ヴェーダイタ 感じるものから ニローダ 滅することという。」
 
 このようなヴェーダナーの滅は預流果に入るときも、一瞬体験するのだと思います。
 このようなヴェーダナーの滅が、出世間の真の意味ではないかと私は思います。
 
ワタナベ
2010年03月17日 21:17
このNīyantiという単語の意味がちょっと取りづらく思いますが、スマナサーラ長老の御説法にもあるように「賢者は世から離れ去る」というのがポイントのように感じました。長老の御説法の「仏道は『空を飛ぶ』道なのです。~中略~地上(輪廻)から、完全に脱出する道なのです。無知のせいで日常生活に起こる苦しみをなくそうとする人、平和で幸福に生きられる方法を信頼する人さえ稀なこの世で、解脱を目的にする人々はもっと稀です。生きることは、苦の回転以外の何ものでもない、と発見できる智恵がある人は、解脱を目指すのです。」素晴らしい解説だと思います。

僕は本日、高校生にこれからの進路を決めるために専門学校や大学短大の先生を高校にお呼びして、模擬授業をして頂くお仕事をしましたが、この高校生にも是非スマナサーラ長老をお呼びして講演授業をして頂きたいと思ったものでした。

初期仏教の言わんとしているところを少しでも理解すれば、実に高校生の心も落ち着き、これからどんな進路を歩む事になろうともそれほど不安に陥る事はないのではないか?と個人的に思います。簡単にいえば仏教を知れば「人生を軽く見れる」と思います。なぜなら「人生、自分(の身体)に元々価値がなかった」事に早晩気づくことになるからだと思います。祈願衆生皆安楽 三宝御加護。
まさこ
2010年11月29日 21:12

私も、幸福を目指して頑張ります。
初心者
2014年02月10日 14:47
この虚空というのは空ではなく虚空蔵や阿迦奢のことでは?
こころざし
2015年08月27日 15:24
俗世間的な幸せを探す姿勢では、本当の幸せは得られないと分かりました。
涅槃を目指す事を挑戦したいです。
たか坊
2017年02月21日 14:27
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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