179. ブッダの勝利は敗れない

ダンマパダ 第14 ブッダの章 179

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


その勝利は打ち負られれず
世の何ものもその勝利を追わず
かかる無境(むきょう)、無跡(むじゃく)の仏を
いかなる跡(あと)にて誘い導く


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

ブッダの勝利は敗れない 
この世でだれも彼の勝利に到達しない
ブッダの境地は無辺無限である
理解を超えた彼を理解できるのか


○子供のためのダンマパダ

孫悟空の話を知っていますか
あれは作り話しだけれども、あのように
お釈迦さまの智慧にかかれば
どんな知恵者もお釈迦さまの手の中だ





○一口メモ

 この詩から「第14 ブッダの章」になります。

 「では仏陀とは何者なのでしょうか。人間のもついかなる概念をあてはめても理解できない存在です。仏陀は一切の苦しみに打ち勝った人です。その勝利 は、誰にも打ち負かすことができないものです。仏陀が獲得した涅槃という平安は、絶対的なもので、二度と苦しみに陥ることはあり得ないのです。疑を破っ て、智恵を完成した仏陀の能力ははかりしれないものです。ですから、仏陀を理解しようとするより、仏陀の教えを理解して、実践することが誰にとっても無難 で平安な道なのです。」

 以上は、スマナサーラ長老のこの詩に関する説法の最後の文章です。この詩の学ぶ要点はこの通りです。

 しかし、私が仏教を知らない、仏教にあまり関心のない人と仏教の話しをすると、ブッダの智慧が最終、最高智慧だということは納得いかないようです。現代日本人は無宗教の人が多いとは言われていますが、実は自然科学崇拝者はわりと多く、どんな自然科学的な知見も一時的なものですので、仏教もいずれ新たな発見研究で、その知見も塗り替えられると思っているのです。ですから、ブッダの智慧が最終最高であると言っても、それは受け入れられないのです。ブッダの智慧を受け容れるためには、意識の変改が必要なのです。そのことについて、スマナサーラ長老は「仏法は、理解はできても完全には納得いかないような構成になっています。」と書かれています。ブッダの教えを実践して初めて、完全に納得いくのです。実践しなければいけません。

 「子供のためのダンマパダ」について。
 最近は大人でも孫悟空の話を知らない人もいるかも知れませんが、ブッダの智慧の象徴的な表現としては面白いと思います。この話は漫画や絵本にもありますよ。

 
○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

賢者の言葉は簡単です ~仏陀は誰もが理解できるように語ります~
 Words of wisdom are simple.
http://www.j-theravada.net/howa/howa94.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

この世界彼の境地に達しない理解を超えて理解できるか
http://76263383.at.webry.info/200905/article_11.html

ブッダの勝利は壊れない
http://76263383.at.webry.info/200806/article_7.html

○パーリ語原文

179.
ヤッサ ジタン ナーワジーヤティ
Yassa  jitaṃ   nāvajīyati,
彼の 勝利は  失われない
ジタマッサ   ノー ヤーティ コーチ ローケー
jitam assa    no   yāti     koci   loke;
勝利に 彼の ない 行く    誰も  世において
タン ブッダマナンタゴーチャラン
Taṃ  buddham anantagocaraṃ,
その 仏陀を   無辺の境地の
アパダン  ケーナ  パデーナ ネッサタ
apadaṃ    kena    padena   nessatha.
足跡のない いかなる 足跡で 辿れるだろう

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月21日 04:14
ワンギーサさん、おはようございます。

確かに、「私と同じ考えを仏陀がしてた」などと話す人は巷に多いようです。

まだテーラワーダ仏教を知る前、実際にそんなことを聞いたことがあります。

しかしながら、その一方で
「仏陀は人智を越えた偉大なる存在」と考えている人も多く、そのあまりのギャップは私にとって不可解きわまるものでした。

テーラワーダ仏教の門をたたき、法話や瞑想指導をうけ、実践する途上で「仏陀」にたいする俗世間的な葛藤がなくなってきました。

ホンモノと出会うことによって思い知らされたのは、仏陀の教えとそれを実行出来ない自分自身とのギャップの大きさです。

そのギャップこそが重大でうめがたいのですが、それを教えてくれるスマナサーラ長老には感謝の言葉もありません。

精進です。

有難うございました。
おんがえし
2010年03月21日 12:31
 パパンチャというパーリ語について、それまでは戯論(けろん)と訳されていたにもかかわらず、スマナサーラ長老は、「捏造」という訳語を当てられたと思います。
 その「捏造」の意味につきましては、皆様各自で調べていただきたいと思うのですが、一点だけ指摘したいことがあります。
 パパンチャに「捏造」という訳語を、歴史上初めて当てられる以上は、その瞑想体験がない方にはできないことなのではないでしょうか?
おんがえし
2010年03月21日 19:41
 スマナサーラ長老がこのようにおっしゃられた記憶もあります。
 「仏教では『音』も物質です。これは現代科学でもまだ発見していないと思います。」
 専門外ですが、現代科学では、音は物質そのものではなく、媒体(空気)のゆれだと思います。媒体が物質とされていると思います。
 この点、かなりテーラワーダ仏教を勉強しておられた方でも気づいておられなかったのではないでしょうか?
 私は、瞑想体験がお有りでないと、この発言をされることは難しいのではないかと思っています。 
まさこ
2010年12月18日 22:49

私にもわかる言葉で語ってくれることがありがたいです。
こころざし
2015年08月28日 07:48
心の法則等もの凄く精密に観察して解明されたお釈迦様の教えは素晴らしいと思います。
そのお釈迦様の教えを機会がある時に紹介させて頂きたいと心を温めています。
沢山の方がお釈迦様の教えとご縁を持てると良いなと願います。
たか坊
2017年02月26日 12:51
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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