180. ブッダには網のような執着はない

ダンマパダ 第14 ブッダの章 180

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


どこにも誘い導くための
絡まる網の渇愛はない
かかる無境、無跡の仏を
いかなる跡にて誘い導く


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

ブッダには網のような執着はない
彼を引き止める渇愛はない
ブッダの境地は無限だ
理解を超えた彼を理解できるのか


○子供のためのダンマパダ

お釈迦さまには好き嫌いはありません
そのような人の能力は制限されません
お釈迦さまの智慧は無限です
ですから彼の教えを学びましょう





○一口メモ

 この詩に関する解説は、スマナサーラ長老のこの詩に関する説法、また前回までのこの詩に関するブログ記事をお読み下さい。

 今日は、皆さんにお知らせいたします。株式会社サンガから「サンガジャパン」という雑誌が発刊されました。その中でスマナサーラ長老は「初期仏教の智慧①ビジネスリーダーの人間力」という興味ある文章をお書きになっています。また今回の特集は「瞑想とは何か」でありますが、スマナサーラ長老の「初期仏教の瞑想とは」という解説が掲載されています。

 その文章のその最後に、「ヴィパッサナー瞑想で到達できる悟りについて」という項があります。その中で、「悟りの境地の説明」があります。このような説明はかつてほとんど誰もしたことがないものだと思います。是非必読です。これを理解すると瞑想も進むと思います。また、今回の180番の詩の理解にも役に立つことですから、繰り返しますが是非お読み下さい。

 ついでに申し上げますが、私ワンギーサの「悩みあるところ変化あり」という短いエッセイも掲載されています。時間があればお読み下さい。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

こころの檻を壊す ~欲を絶つと能力は無制限~
 Craving imprisons the mind.
http://www.j-theravada.net/howa/howa95.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

ブッダには渇愛はないその境地 理解を超えて理解できるか
http://76263383.at.webry.info/200905/article_12.html

ブッダには網のような執着はない
http://76263383.at.webry.info/200806/article_8.html

○パーリ語原文

180.
ヤッサ  ジャーリニー ウィサッティカー
Yassa    jālinī      visattikā,
彼には  網のような   執着する
タンハー ナッティ クヒンチ ネータウェー
taṇhā    natthi   kuhiñci   netave;
渇愛は  ない   どこにも  導く
タン ブッダマナンタゴーチャラン
Taṃ  buddham anantagocaraṃ,
その 仏陀を   無辺の境地の
アパダン  ケーナ  パデーナ ネッサタ
apadaṃ    kena    padena   nessatha.
足跡のない いかなる 足跡で 辿れるだろう

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月22日 04:15
ワンギーサさん、おはようございます。

雑誌のご紹介有難うございました。早速、出来れば本日購入したいと思います。

ワンギーサさんの文章が掲載されているので
興味津々です。

そういえば、何年か前に、瞑想に関する記事で、ワンギーサのお姿、確か歩行瞑想のお姿を拝見した記憶があります。

是非、読んで理解できるようにしたいと思います。

有難うございました。
2010年03月22日 04:49
上記コメントで、脱字がありました。ワンギーサさんの「さん」が抜けてました。大変失礼致しました。
nqaz
2010年03月22日 05:06
おはようございます。
今月号のpatipadaの39ページにインダラタナ先生の法話がございます。
この39ページに中部経典の引用がございます。
この中部経典の名前を教えて頂きたいのですが何でしょうか?
ぱん
2010年03月22日 07:22
おはようございます。20日の月例講演会に参加いたしました時、ワンギーサ先生が最前列にお座りになり、スマナサーラ長老のお話を誰よりも熱心にメモを取る姿を拝見いたしておりました。

先生は、スマナサーラ長老の話など、私などとは比べ物にならないほど耳にしているはずなのに、まだメモをする余地があるのかと、なぜあれほど熱心に、メモを取っているのか、私などには想像することもできませんが、とにかく頭が下がりました。

ワンギーサ先生が、サンガジャパンに執筆なさっているということなので、ぜひ書店で探してみたいと思います。
ワンギーサ
2010年03月22日 07:31
新さん、nqazさん、おはようございます。

新さん、御気使いありがとうございます。

nqazさんの質問のお答え。
今月号を3月号とすれば、39ページのその引用は「長部経典の大念処経」です。そのことは39ページに書いてありますよ。
ワンギーサ
2010年03月22日 07:41
ぱんさん、おはようございます。
講演中はメモは取らずに頭に入れた方がいいのですけれど、
講演内容を後で、思い出せない時が度々ありますので、メモをしています。
長老もメモはしない方がよいと仰られています。
トム
2010年03月22日 07:44
通勤電車の中で慈悲の瞑想をはじめました。まだ、注意をそらさずに最後までできたことがありません。色々な情報(好んだり、嫌ったり)に心がとらわれてしまいます。
nqaz
2010年03月22日 10:20
ワンギーサ様
申し訳ございません。
昨日届きました4月号の39ページでございます。
あきらかに中部経典と書かれております。
「比丘は~・・・・・・~成し遂げます」(patipada2010年4月号39ページ)の引用の部分なのですが…。
おんがえし
2010年03月22日 11:07
 私は、これまで、スマナサーラ長老の説法を紹介させて頂きながら、六根が六処に触れ感受が起こったところで気づきを入れてストップし、思考(その思考には、例えば、「花」という実感が起こることも含む)まで行かないことで、一切の感受が滅すると思うということを書きました。
 
 その六根と六処が、喩えですが、光のスピードで生滅しているのだと思います。
 これが真理のレベルの無常ではないかと思います。

 俗世間では、「花」が枯れたりすることも無常としていると思いますが、それは現象(思考)面でのゆっくりとした無常であって、真理のレベルの無常ではないと思います。
 ブッダの説法を収めた長部経典第1ブラフマジャーラ・スッタ(梵網経)をご覧いただければ幸いに思います。
 
ワンギーサ
2010年03月22日 12:33
nqazさんへ。
中部経典「第64大マールキヤ経」です。
片山一良先生訳、中部経典3のp239~240にありますが、日本語訳は少し異なります。以上
nqaz
2010年03月22日 13:05
ワンギーサ様
確かに片山先生訳経典にそのように書いてあること確認いたしました。
どうもありがとうございました。
おんがえし
2010年03月22日 16:08
 上に、「六根と六処が、喩えですが、光のスピードで消滅しているのだと思います」と書きました。
 なぜ、喩えと言ったかというと、以前にスマナサーラ長老が「光よりも速い物質もあると思います。」というようなことをおっしゃられた記憶があるからです(これも瞑想体験がお有りでないと難しいご発言ではないかと思います)。
 それと、上には書きませんでしたが、アビダンマでは、こころは、物質よりも、もっとスピードが速くて、物質の17倍の速さだったと思います。速さというのも正確ではなくて、より正確には17倍の変化という意味かと思います。
 それから、確か、大乗仏教にも、梵網経があると思いますが、それと、ブッダの説法を収めた長部経典第1の梵網経とは内容も異なると思いますので、注意して頂きたいと思います。
 ネット上で、パーリ経典の梵網経の翻訳を見かけますが、全訳されておらず、信頼できないものもあると思いますので、この点も注意して頂きたいと思います。
 
 ブラフマジャーラ・スッタ(梵網経)の経典解説として、一番信頼できるのは、スマナサーラ長老の説法、http://gotami.j-theravada.net/2006/03/dhammacast-4.html「六つの感覚を悟る」だと思います。
もく魚
2010年03月22日 19:54
作文「消えた気持玉」
・・・・・・・・・・・ゴータミー学園もく魚
もく魚は以前ワンギーサ先生の記事を読んだ後に1つ気持玉を入れていました。その気持玉から感じたことがありました。
「それは一番多い気持玉は入れたくない」と言うことでした。←これにはもく魚の天邪鬼の性格を気づかされました。

次に感じたことは、もく魚が入れた気持玉を後で見に行きそれが他の気持玉に変わっていたとき小さな怒りが出たことです。←これには心の狭さを感じました。もく魚は幼稚なんですね~。

そして一度入れた気持玉ですが、日を改めて記事を読み返すと違う気持玉を入れたほうがいいと思ったりします。←自分の心はころころ変わり当てにならないと思いました。

たった1つの気持玉ですが、そこに自分の心の中身を気づかせてくれる気持玉でした。
おしまい。
2010年03月22日 21:57
ひろちゃんが、いっぱいいたずらして、テキトーな気持ちで気持ちだま入れるから

ワンギーサ先生が気持ちだま消しちゃったんだ

ひろちゃん反省しなさいよ

ほんとにまったくけしからんやつだ

ひとっつも反省の色が見えん

ただ相手にしてほしいんだろ

けどあれじゃ誰も相手にせん

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2015年08月29日 10:14
好き嫌いの感情を持つ事で人の能力を自ら狭めている印象を感じます。確かに嫌いと思うものに接点は取らないと思います。
お釈迦様の姿勢・教えをから学ばせて頂き、智慧を広く持てるように成りたいです。
たか坊
2017年03月07日 12:35
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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