181.気づきある正覚者たちを神々さえも敬愛する

ダンマパダ 第14 ブッダの章 181

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します


賢明にして、禅に努め
寂静、出離に喜べる
念をそなえた正覚者ら
かれらを神々さえも羨む


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

賢者たちは瞑想に熱中して
欲から離れて寂静を楽しむ
彼ら気づきある正覚者たちを
神々さえも敬愛する


○子供のためのダンマパダ

わがままでない
落ち着いた人は
皆が好きです
神々も好きです





○一口メモ

 今回も、スマナサーラ長老のこの詩に関する説法の最後の文章を引用します。

 「私たちも仏陀の性格を見習うと、皆に好かれる人間になって、幸福を得られると思います。落ち着いたこころを育てる。欲を控える。エゴを無くす。生命のことを心配する慈しみの気持ちを育てる。そうなれば、誰でも皆から好かれるようになるのです。」(以上引用)

 へそ曲がり以外は、皆に好かれたいと思っていると思います。しかし、することは皆に好かれるというよりは、皆に嫌われるようなことをしまうのです。 わがままなのです。自分がしたいようにしたいのです。そうすると皆に嫌われます。このような自分を変えなければなりません。これはなかなか困難なことですが、お釈迦さまは八正道という方法を教えてくれました。それを実践すればよいのです。三つにまとめれば、戒、定、智です。道徳を守って、瞑想実践を行い、智慧を育てるのです。

 落ち着いた、欲を控えて、エゴのない人、慈悲の心のある人は、皆の人気ものになりますが、そのような人は、人間ばかりでなく、いろいろな動物や鳥や虫たち、植物も好きなのです。さらに、実は神々もそのような人々が大好きです。幸福は自分で作るものですが、神々が持ってくる幸運あるということです。ですから、更に幸福になります。


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

仏陀は皆に好かれる ~人のエゴは幸福を壊す~
 Egoism wrecks happiness.
http://www.j-theravada.net/howa/howa96.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

瞑想の静寂楽しむ賢者たちあの神々も彼らを敬う
http://76263383.at.webry.info/200905/article_13.html

賢者たちは瞑想に熱中して
http://76263383.at.webry.info/200806/article_9.html


○パーリ語原文

181.
イェー ジャーナパスター ディーラー
Ye     jhānapasutā     dhīrā,
彼ら  禅定に熱心な    賢者らは
ネッカンムーパサメー ラター
nekkhammūpasame   ratā;
出離と寂静を      喜ぶ
デーワーピ テーサン ピハヤンティ
Devāpi     tesaṃ   pihayanti,
神々も    彼らを   羨む
サンブッダーナン サティーマタン
sambuddhānaṃ    satīmataṃ.
正覚者である    気づきある者を

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

2010年03月23日 04:17
ワンギーサさん、おはようございます。

「サンガジャパン」を読んでみました! 「悟りの境地」について、生まれて初めて知ることが出来たスマナサーラ長老の解説があり、大変勉強になりました!

「ビジネスリーダーの人間力」を実践出来れば、そのまま人に好かれるのでしょうが、肝心なのは「実践」でしょう。

仏教を生きる。

仏教について語るのとでは、天と地の違いを感じます。

ワンギーサさんの「悩みあるところに変化あり」を読むで、考えさせられました。私の場合、他人の行動を勝手に想定してしまう癖があります。想定外の行動をされると困惑しますが、それも「変化」を受け入れられないことが原因です。

他人は自分の思い通りには行動しません。

慈悲、同事について普段の心がけが大切で、それを生きることこそが真に重要なのだと改めて思いました。

有難うございました。
高橋優太
2010年03月23日 17:00
ワンギーサ先生、皆様、こんばんは。
サンガジャパン、、、興味がありますがお金がなくて買えません。お父さんに頼んでみます。
一切の過ちを懺悔いたします。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
ワタナベ
2010年03月23日 20:27
前回の文章を読ませて頂きましたが、「~あなた方の心が動くのです。」という禅の「無門関」の公案集の話が大変為になりました。
また「念」sati、気づきという単語は、上座仏教の瞑想に関して、大変重要な言葉(今現在に気づく・or心を留めることができ、自覚し、心を仕事、そのことにおく。<パユットー師の仏教辞典の定義>)ですが、その「念の実践」スマナサーラ長老のご指導で言えば「実況中継」は、ヴィパッサナー瞑想の根幹を為すものと思われます。

しかしながら、念(サティ、気づき)を絶やさず、修行を続けることは大変な精神力がいるものと思われます。「楽」ではないです(笑)。だから『修行』『行を修める』と言うんでしょうけども。。。(^^;「念・サティ・気づき」の実践が如何に大変か?を釈尊ご自身が語られている部分を最近読みましたので少しご紹介致します。

次の投稿に続く~
ワタナベ
2010年03月23日 20:33
~先ほどの続きです~
「念・サティ・気づき」の実践が如何に大変か?を釈尊ご自身が語られている部分を最近読みましたので少しご紹介致します。(増支部経典四集 南伝18巻P8から萩原雲来訳)

「もろもろ欲を制せざる 人は誰でもことごとく
この世にありて未離欲で 諸欲を受用しつつあり
しばしば生と老衰を 彼等はまさに受くるなり
もろもろ欲に打克たる 流にそうて行く人は」

「賢き人はそれ故に ここに念をば喚び起こし
諸欲と及び諸悪とに 染まりて習ふこと無くて
苦痛のあるにかかはらず もろもろ欲を断ちぬべし
流に逆に行く人と 彼をもろ人名くなり。」

やはり「念・サティ・気づき」は欲を断つ事だから、苦痛を伴うわけで(^^;、だから釈尊はその人を「(欲の)流れに逆らう人・逆流行の人」と定義しています。

別な個所(P8)では「(欲の流れに逆に行く人というのは、)苦あっても、憂あっても、顔面に涙を流し泣きつつも、円満な清浄な梵行を修す」のだとおっしゃっています。それはそうだよなと僕も思います。(^^;。
でも真面目にやれば、智慧が出るはずで、そうなれば初期仏教に「確信」が持て、今まで経験しなかった「心の落ち着き」を味わう事になるのだと思います。

ですので直に経典を読みますと、お釈迦様の言葉でストレートに仏教が語られていますので、初期仏教を理解するのに大変有効で、なおかつ面白く感じ、ますます興味が深まるような気が最近しています。ありがとうございます。m( )m
こころざし
2015年08月29日 10:19
本文の「落ち着いたこころを育てる。欲を控える。エゴを無くす。生命のことを心配する慈しみの気持ちを育てる」事、是非チャレンジしてみたいです。
実際の日常での色々な出来事から、上記が守れないような状況が容易に生じます。普段から意識し+そのような時に出来る割合を少しでも増やせるように努力したいです。
たか坊
2017年03月08日 14:48
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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