182.もろもろの仏は出現しがたい

ダンマパダ 第14 ブッダの章 182

ナモー タッサ バガワトー アラハトー サンマーサンブダッサ
Namo  tassa   bhagavato  arahato   sammāsambuddhassa
阿羅漢であり正自覚者であり福運に満ちた世尊に敬礼致します

人間の身は受けがたく
死すべきものは生きがたい
正しい法は聞きがたく
もろもろの仏は出現しがたい


(片山一良先生 訳)


○日常語訳

人間に生まれることは稀なこと
人間として生きていることは難しい
正しい教えを聞けるのは稀なこと
諸仏の出現も稀なこと


○子供のためのダンマパダ

人間に生まれてよかったね
生まれてまだ死なないでよかったね
お釈迦さまの教えが聞けてよかったね
お釈迦さまがお生まれになっててよかったね





○一口メモ

 なぜ、人間に生まれてよかったのでしょうか?

お釈迦さまの教えが聞ける(学べる)からです。

 なぜ、生まれてまだ死なないでよかったのでしょうか?

これは前の質問の答えと同じです。生命はもろく生きているのは困難なことなので、この質問が入っているのです。

 なぜ、お釈迦さまの教えが学べるとよいのでしょうか?

生命の生きる苦しみから脱出する方法が分かるからです。

 なぜ、お釈迦さまがお生まれになっててよかったのでしょうか?

お釈迦さまがお生まれたて、修行して、解脱されたからこそ、その教えが生まれたからです。

 以上、子供の質問に答える形で書いてみました。

 その他のポイントは「スマナサーラ長老のこの詩に関する説法」や「前回までのこの詩に関するブログ記事」をお読み下さい。

○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法

人生には暇はない ~真理に出会うチャンスはまれである~
 Life never rests in peace.
http://www.j-theravada.net/howa/howa97.html


○前回までのこの詩に関するブログ記事

人間に生まれることは稀なことブッダ出現は奇蹟のようだ
http://76263383.at.webry.info/200905/article_14.html

人間に生まれることは有り難い
http://76263383.at.webry.info/200806/article_10.html


○パーリ語原文

182.
キッチョー マヌッサパティラーボー
Kiccho    manussapaṭilābho,
困難    人間を領受することは
キッチャン マッチャーノー ジーウィタン
kicchaṃ    maccāna     jīvitaṃ;
困難      人間の    生きること   
キッチャン サッダンマッサワナン
Kicchaṃ   saddhammassavanaṃ,
困難     正法を聞くことは
キッチョー ブッダーナムッパードー
kiccho     buddhānamuppādo.
困難      ブッダの出現は

〇詩のパーリ語原文の訳について。100番からは正田大観先生を中心に行われました関西のダンマパダ輪読会の時の御自分のノートを参考にして、木岡治美様がわざわざ書き下ろしたものを私に送って下さいました。それを参考にさせて頂いております。


〇慈悲の瞑想

~私は幸せでありますように~
~私の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の願いごとが叶えられますように~
~私に悟りの光が現れますように~
~私は幸せでありますように(三回)~

~私の親しい人々が幸せでありますように~
~私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の親しい人々の願いごとが叶えられますように~
~私の親しい人々にも悟りの光が現れますように~
~私の親しい人々が幸せでありますように(三回)~

~生きとし生けるものが幸せでありますように~
~生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように~
~生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように~
~生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように~
~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~

~私の嫌いな人々も幸せでありますように~
~私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように~
~私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように~

~私を嫌っている人々も幸せでありますように~
~私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように~
~私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように~
~私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように~

~生きとし生けるものが幸せでありますように(三回)~


(この慈悲の瞑想を唱える人には必ず幸せが訪れます。)

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この記事へのコメント

林田明大
2010年03月24日 01:08
 お久しぶりです。まだ脱稿ができないで、四苦八苦です。
 ところで、「阿含経」のパーリー語からの現代語訳の本をご存知でしょうか。漢訳は、あまり評判が良くないようなので。「阿含経」は、桐山○○という人がかつて喧伝していたために、その片腕だった人が大変いい加減な人だったのです、「阿含経」に対してのイメージが悪くて、ちゃんと読むことなく今日にまで至ってしまいました。ご存知でしたら、ご教示ください。
2010年03月24日 04:27
ワンギーサさん、おはようございます。

昨日、立川の朝日カルチャーで経典に基づくスマナサーラ長老の講義がありました。

お釈迦様の教えを学べるって、物凄いことなんですね!

有難うございました。
ワンギーサ
2010年03月24日 08:38
林田明大先生、お久振りです。
 ご質問の「阿含経」のパーリー語からの日本語訳は膨大なもので、「南伝大蔵経」(全65巻70冊)がありますが、文語体及び旧仮名です。先生に読書指導するのは僭越ですが、まず、パーリ経典の全体像を知るために、片山一良著「パーリ仏典入門」(大法輪閣)、次に、パーリ仏典の中の長部の第2「沙門果経」(スマナサーラ著、サンガ)をお読みなるとよろしいかと思います。
 その後、片山一良の個人訳「パーリ仏典」シリーズ(大蔵出版、第一期:中部全6冊、第二期:長部全6冊)が現代語訳で読めます。パーリ仏典の相応部は増谷文雄著「阿含経典」(筑摩書房、4巻、別巻2)、現在絶版ですが、古書で容易に入手できるそうです。増支部のまとまった現代語訳はありません。
 ちなみに、株式会社サンガから最近刊行された「サンガジャパン」という雑誌の中で、佐藤哲朗氏が「パーリ三蔵読破への道」という文章を書いておられますの、簡単なパーリ経典の全体像はそれでつかめると思います。またこれらの書籍の多くは図書館で閲覧できると思います。
ワンギーサ
2010年03月24日 08:44
新さん、おはようございます。
昨日の講義は、ナーギタさんのツイッターによる実況中継で学んでおりました。
今回の182番を深く理解するには、非常にタイミングのよい講義でしたね。改めて、今回の詩の一行一行がみにしみます。またコメントお願いします。
おんがえし
2010年03月24日 11:49
 『隻手の音声』という禅の公案があると思います。
 「隻手の音声は預流果の悟り」というご趣旨のお話をスマナサーラ長老がなされた記憶があります。
 
 右手と左手を叩くと音が生じると思います。
 音の波が有で、耳の波が有でぶつかると(触)、感受が起こると思います。
 即ち、六根が六処とぶつかる(触)と感受が起こると思います。
 これが両手の音声だと私は思います。
 
 隻手の音声は、この六根と六処がぶつかって感受が生じたところでストップし、思考まで行かないことで、次の瞬間起こる出来事なのではないでしょうか?
 
 困った時はダンマパダ178のコメント欄で、現代人のための瞑想法(スマナサーラ長老著、サンガ、第7章悟りについて知る)を紹介いたしました。そこに、預流果の悟りについての記述があると思います。
 また、最近発売されたサンガ・ジャパンにおいても同様の記述があると思います。
 これをお読みいただければと思います。
 なお、これら書物でスマナサーラ長老が説かれたことは、一般人にも理解できるように語られたことですから、実際に預流果になった人が回答する隻手の音声は、また微妙に違ったものになるかもしれないと思います。
こころざし
2015年08月29日 10:22
お釈迦様の教えと御縁を頂けて、至福に思います。生きていて良かったです。
その幸運の機会を大事にさせて頂きながら、日々学び・そして実践して参りたいです。
たか坊
2017年03月09日 21:29
今回も明るく楽しく学べたコトを嬉しく思います♪

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